「藤浪晋太郎」は中継ぎで復調、「斎藤佑樹」は2軍で1回持たず 甲子園スターの明暗

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早稲田実業時代に斎藤投手と苦楽を共にしたOBの話

 そしてかつての甲子園スターでここ数年苦悩の日々を送っている選手が…斎藤佑樹投手であります。

 2006年夏の甲子園、ご存知の方も多いと思われますが、現ニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手に見事投げ勝ち早稲田実業を日本一に導きました(田中投手は当日39度の熱をおしての登板だったそうですが、それも時の運)。

 なんといってもマウンドに於いてハンカチタオルで汗を拭う姿にあやかり「ハンカチ王子旋風」を巻き起こし、流行語にもノミネートされたことがスターの証明であると思われます。

 その後、プロには進まず早稲田大学に進学し6大学野球での選手生活を選択したのですが…。ここがもしかしたら彼の分岐点になったのでは?

 早稲田実業時代に斎藤投手と苦楽を共にしたOBの方に話を聞くことができたので、是非ご覧ください。

「彼は高校時代から腰痛持ちで、大学の成績を見てもわかるように学年が上がるごとに成績が落ちてて、それは右肩の関節唇が投げ過ぎで麿耗していたんです。高校3年夏は148キロのうなるような速球を投げてましたが、肩の痛みでもう速球は投げられなくなっていたんですよね」

「大学でちゃんとプロに向けてトレーニングを教えてくれる人とかがいれば話は違ったと思うのですが、彼は当時人気絶頂で学生トレーナーや先輩の言うことに聞く耳を持たなかったとも聞いてます」

「あのぬるま湯の4年間、高校の時の貯金を食い潰す4年を過ごした斎藤と、プロがお金と経験で手塩にかけて育てた4年を過ごした田中まーくんとでは身体の出来上がり方がまったく違ってきますよね。もちろん、体格や素質の差はあると思いますが、高卒からプロに入っていればもう少し勝てたと思います」

入団時10年契約という密約の噂、今年がくしくも10年目

 このような言葉に対し私が、「ある意味で環境が整っていなかったのですね。人間だから慢心するのも仕方がないことだし、それを責めるのも少しかわいそうですね」と返しましたところ……。

「そうですね。言っても18歳の子供ですから誰かがしっかり指導して、身体のことも考えてじっくり鍛えてあげるべきでした。あとやっぱり彼もマスコミにチヤホヤされて祭り上げられた被害者の1人だと思います」と仰っておりました。

 確かに実に的を射た言葉であります。その後、プロ入りした彼の成績を目の当たりにしますと残念ながら大いに納得してしまいます。キャリアハイの成績が入団した2011年の6勝その後5勝0勝2勝1勝0勝1勝0勝~と成績を落としています。

 入団時10年契約という密約があったという噂も根強くあり、それが事実なら今年が最終年に当たります。

 先日、イースタン・リーグでの対巨人戦(2020年10月16日)に登板しましたが、1イニング持たず、2/3回で4安打を浴びて5失点KOという結果を出してしまいました。

 直球も135キロ前後でした。

 まだまだ老け込むには……なんて綺麗事を言うつもりはありません。

 苦悩を知るが故の経験を基にして、いずれ投手コーチ、名伯楽として素晴らしい投手を育てて欲しいと、プロ野球ファンとして願うばかりです。

徳光正行(とくみつ・まさゆき)
1971年12月生まれ。茅ヶ崎市出身。日本大学芸術学部在学中よりミュージシャンを目指すが、父の病により断念。その後、司会業やタレント業に従事する。また執筆活動にも着手し『伝説になった男~三沢光晴という人~』『怪談手帖シリーズ』などを上梓。4月27日には岩井志麻子氏との共著『凶鳴怪談』を出版。現在YouTube「徳光ちゃんねる」でも活躍中。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年10月18日掲載

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