ファーストレディの肖像 小渕、福田、森、橋龍、村山、野田…各首相の妻たち

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「JALに就職せず、福田家に永久就職しませんか」と口説かれた福田夫人

 その小渕氏らと「上州戦争」を闘った父・福田赳夫の後を襲ったのが福田康夫元首相(84)だ。

 福田氏は昭和41年に故・桜内義雄元衆院議長の姪にあたる貴代子さん(76)と結婚した。

 福田家に近い人物はこう話す。

「貴代子さんは、斎藤明元毎日新聞社長の義理の妹にあたります。慶応大学文学部に在学していた彼女はJALのCAになるのが夢で、斎藤さんを通じて福田赳夫元首相に就職の口添えをお願いした」

 しかし、

「夫人の三枝さんが貴代子さんのことをすっかり気に入って、“JALに就職せず、福田家に永久就職しませんか”と口説いたそうです」

 当時、丸善石油(現・コスモ石油)勤務だった福田氏は、

「君を政治家の女房にしない」

 と言ってプロポーズしていた。政治家どころか首相の女房となってしまったわけだが、

「衆院選への出馬について康夫さんは迷っていましたが、尻を叩いたのは夫人だった。夫人は本当に康夫さんの3歩後ろを歩いていくタイプ。選挙区では後援組織を束ね、康夫さんは選挙を夫人任せでずっと闘ってきたのです」

 かつて福田氏は、自身の散髪を夫人がやってくれていると明かしたうえで、

「女房が倒れたら、私が完全介護する。結婚時に、そういう契約をしたんです」

 と語っていた。

「朝は早くから起きて鼻歌さえ歌っていました」と森夫人

 福田氏の父・赳夫元首相が立ち上げた清和会で、赳夫氏以来の首相の座に就いたのが、森喜朗氏(83)だ。

 先に登場した小渕元首相の突然の不幸の後、政治空白を避けるべく、青木幹雄官房長官、村上正邦参院会長、野中広務幹事長代理、亀井静香政調会長、そして森氏のいわゆる「5人組」が密室で「森新首相」を決めた。

 すべての閣僚を受け継ぐ居抜き内閣の船出は、5人組による密室謀議で誕生したという曰くつきのレッテルを貼られ、芳しくなかった。それでも387日間続いたのは、後で記すように、森元首相の意地だったのかもしれない。

「神の国」発言、えひめ丸事故の一報を受けてもゴルフ場にとどまった……などで、国民からはソッポを向かれ続け、最終的に支持率8%、不支持率82%という不名誉な数字を残して退陣した元首相について、智恵子夫人はこう語っている。

《主人の料亭通いが度々、報じられましたが、党の幹事長時代はもっと多かったんですよ。自宅ではほとんど夕食を食べる人ではなかったんですもの。主人は「呼ばれていくのであって、何が悪いんだ」と言っていました。私は「いい悪いの問題ではなく、控えた方がいい」と何度も言ったんです。しかし、主人は料亭に行かないようにすると、自分の過ちを認めたことになると思ったのでしょう。今から思うと主人は確信犯でしたね》(北國新聞社2001年4月26日)

《ゴルフもいろいろ言われました。衝突事故があった日のことですが、その前の晩、主人はきちんと自分でベッドの横に洋服をそろえ、朝は早くから起きて鼻歌さえ歌っていました。久しぶりのゴルフだから楽しみにしていたんでしょうね。私はやめるように言おうと思いました。でも、こんなにうれしそうな主人の姿を見て、「いつも苦しんでいるんだなあ」と逆に悲しくなり、止めることはしませんでした》(同)

《主人に総理としての点数を付けるなら、私は八十五点をあげたいと思います。十五点のマイナスは人の言うことをもう少し聞くべきでした。でも男のメンツ、意地もあったのでしょう》(同)

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