「菅総理」夫人ってどんな人? バツイチを乗り越えファーストレディに

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 政界で裏街道も走ってきた菅新総理をさらにその裏から支えてきたのが、新ファーストレディとなる真理子夫人である。これまで表舞台に立たず、世間に知られることのなかった謎多き夫人の履歴を辿った。

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 駿河湾に面し、古くから水軍と水運の拠点となってきた静岡県の清水港。その港からの貨物輸送で発展した清水駅のほど近くに菅氏の5歳下、真理子夫人の実家がある。

 近隣住民によれば、

「もともとご両親は地元で食料品の卸問屋を経営していました。ただ、小売りもやっていましてね、インスタントラーメンや缶詰を売っていました。良い卸し先があって経営は安定していたそうです」

 教育熱心な母親の影響で、夫人は地元の小学校から静岡大学附属静岡中学、その後、県立清水東高校へと入学した。

 高校の同級生が回想する。

「当時、1学年は350人ほどで、真理子さんは普通科に所属していました。成績上位50名に入ると、校内に張り出されるのですが、彼女はよく名前が入っていた。弓道部に所属していて、ショートカット、目もパッチリだったので、入部した時は男子部員が“あの子いいよね”と色めきたっていましたよ」

 卒業後は静岡女子大学へ進むも、先の近隣住民は、

「真理ちゃんのお母さんに聞いた話では、大学で英語の勉強をしていたそうです。昔から茶道なんかも習っていたとか。そして、大学を出るとすぐに地元で結婚したのです」

 嫁ぎ先は県内の農家だったという。

「いちご栽培で有名な地区の農家でした。でも、“お茶の柄杓(ひしゃく)持つより、肥料の袋を持った方がいい”なんて、姑さんにいびられたみたいで、農作業に馴染めず、半年か1年でダメになっちゃったんです」(同)

家賃5万円

 心に疵(きず)を抱えたのだろうか。やがて、横浜を地盤とする、当時衆院議員だった小此木彦三郎氏のもとで住み込みの家政婦として働くことになる。

 小此木事務所の関係者が言う。

「横浜が地元の小此木さんは港湾関係と付き合いが深く、港町の清水ともつながりがあったのだと思います。最初、真理ちゃんが来て、何年かして、妹さんも小此木事務所のスタッフとして働くようになりました」

 そこで当時、小此木事務所の秘書だった菅氏と出会う。

 菅氏と法政大学時代からの友人である寺田修一氏は、

「婚約した際に菅くんから真理子さんを紹介されました。私の家に上がる時、菅くんと自身の靴を揃えていた。できた方だなと思いましたよ」

 新婚時代の二人は、寺田氏の父が所有する横浜市内のアパートの2階で暮らした。彼女は専業主婦として多忙な夫を支えていたのだ。

「部屋は2LDK、家賃は友達価格で5万円。長男が生まれ、次男を妊娠すると手狭になったので引っ越したと記憶しています」(同)

 菅氏はそれから市議、そして国政へと権力の階段を昇ることになる。

 現在、真理子夫人はベイブリッジなどが見渡せる、横浜駅近くの資産価値で1億は超えるタワーマンションに暮らす。

「普段は人前に出ず、事務所には選挙期間中だけ顔を出します。ただ、スタッフに“手伝うことはありますか”と声をかけ、奥様然と座っていることはありません」(菅氏の選挙事務所長を務めた齋藤精二氏)

 港町の少女がバツイチの苦労を乗り越え、ファーストレディとなった。

週刊新潮 2020年9月24日号掲載

特集「『菅総理』の裏街道」より

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