佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、竹下登、海部俊樹、細川護熙と「ファーストレディ」

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竹下登夫人は記者に手料理を出し、時には得意な麻雀の相手をした

 海部氏が総裁候補に浮上して出馬するまで、幸世夫人を含めて家族全員はそれに大反対だったという。海部氏の前任で元芸者に「3つ指」不倫を暴露されて辞任した宇野宗祐、そして田中角栄ら元首相の名を挙げ、

《「宇野宗祐さん、あの人、幸せだったと思う? それから、田中角栄さんほどお金があるの?」とたたみかけてきた》(中日新聞2014年6月25日)

「正気なの?」とまで言われても諦めなかった夫に妻は折れる。

《しつこい人ね。仕方ないわ。あなたのやりたいことをおやりなさい》(同)

 ちなみに、海部氏と同時に総裁選に立ったのは、林義郎、石原慎太郎の各氏だ。

 読売新聞は当時、《私の夫を推薦します 自民党総裁選候補夫人に聞く》と銘打ってあれこれ聞いている。

「女性問題」についても触れているのだが、慎太郎氏の妻・典子夫人の答えを紹介しておこう。

《主人の浮気? それはありますよ。最近はさすがにないでしょうけど。まあ男の甲斐性とまでは言いませんが、妻にわかったときはちゃんとあやまって清算すべきだということじゃないですか》

 弱小派閥のボスでもなかった海部氏が首相の座を射止めた背景には、国民の政治不信があった。クリーン三木が求められた時と状況は似ている。

 その不信の主たる原因は1988年に発覚したリクルート事件であり、自らも未公開株を受け取るなどしていた竹下登首相は89年6月、消費税導入を置き土産に内閣総辞職した。

 竹下元首相の直子夫人(享年84)は1925年生まれ。1946年に2歳年長の竹下氏と結婚。竹下氏は2年前に結婚していたが、その最初の妻を出征中に亡くしている。

 島根県議から国政、そしてその中で重責を担うにつれ、自宅に記者が押し掛けるようになる。大人数になっても直子夫人は手料理を出し、時には得意な麻雀の相手もした。

サーファーでゴルフ部主将、海外に一人旅をしていたファーストレディ

 内助の功の中、3人の娘を育てている。金丸信元自民党副総裁の長男で、テレビ山梨社長を務めた金丸康信氏に嫁いだ長女の一子さんはかつて週刊新潮にこう語っている。

「父が仕事も趣味も政治なら母は全て竹下登。世話をするのが生きがいでした。父の頑張りと母の支えを見て育ちました。両親とも我慢をするので、わがままで迷惑をかける人の方が得ではと父に聞いたことがあります。放っておけばいい、時間はかかっても社会が成敗する、と言われました。母も同じ考えで人の悪口を絶対に言わなかった」

 竹下登氏の弟で、代議士の竹下亘氏の活躍を喜び、何より孫好きで、DAIGOと漫画家の影木栄貴姉弟を応援。DAIGOのファンクラブに入り、ライブにも出かける熱の入れようだったという。

 最後に紹介するのは、55年体制を打ち破った細川護熙元首相の妻・佳代子夫人(78)だ。

 夫人は1942年旧満州生まれで、翌年に帰国し、神奈川・鵠沼に住んだ。

 高校までは近くの海でサーフィンに耽溺し、上智大ではゴルフ部女子キャプテンを務めた。

 バックパッカーよろしく海外にも一人で旅に出ている。ある会社で駐在員としてヨーロッパを担当している時に、大学同窓の細川氏との結婚を決意したという。

 関係者によると、

「プロポーズは、“君の元気と明るさが僕にあれば”というような言葉だったようです」

 結婚当時の細川氏は朝日新聞を退社した後に政界進出をもくろんでおり(1969年の衆院選に旧熊本1区から出馬して落選)、それを是としない父親から勘当状態だった。細川家の次期当主といえどもお金がなかったのだという。

 その後、参院議員、熊本県知事、衆院議員、首相と上り詰めて行く細川氏とは別に、佳代子夫人は、知的発達障害者のスポーツ大会「スペシャルオリンピックス(SO)」の活動に奔走。現在もSO日本の名誉会長を務めている。

週刊新潮WEB取材班

2020年9月14日掲載

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