安倍政権「半島外交」完全総括【北朝鮮編】「合意」から「大変身」でも膠着

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 安倍晋三首相の、約7年8カ月の対北朝鮮政策はどうだったのかを見てみよう。

置き去りにされた拉致問題

 第2次安倍政権は2012年12月26日にスタートしたが、安倍首相はその2日後の28日に拉致被害者の家族会メンバーと会った席上で、

「わたしがもう一度総理になれたのは、なんとか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。かならず安倍内閣で解決していくという決意で進んで行きたい」

 と決意を述べた。

 しかし結局、その7年8カ月後に辞意表明となり、拉致問題はまったく進展せず、1人の拉致被害者の帰国もなかった。拉致問題が解決できなかったことは「痛恨の極み」であるとしたが、「かならず安倍内閣で解決する」という公約は実現しなかったのである。

 安倍首相は辞任会見で、拉致問題への取り組みについて、

「ありとあらゆる可能性、様々なアプローチ、私も全力を尽くしてきたつもりであります」

「特にこういう外交はそうなのですが、御説明できませんが、言わば考え得るあらゆる手段を採ってきているということは申し上げたいと思います」

 と述べた。

 だが、果たして本当に「ありとあらゆる可能性、様々なアプローチ」を取ったのだろうか。「拉致問題を解決したいという使命感」があったからこそ総理になれた、と言った安倍首相だが、拉致問題の解決は「痛恨の極み」という言葉で置き去りにされた。

第2次安倍政権の拉致問題4原則

 政府の拉致問題対策本部は2013年1月25日、「拉致問題の解決に向けた方針と具体的施策」を決定した。そこで示された方針における4つの原則は、

(1)拉致問題は国の責任において解決すべ喫緊の重要課題である

(2)拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はあり得ない

(3)拉致被害者としての認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国のために全力を尽くす

(4)拉致に関する真相究明、拉致実行犯の引き渡しを引き続き追求――というものであった。

 第1次安倍政権当時の拉致問題解決に向けた3原則からの変化は、

■拉致被害者を政府認定の有無を問わず、特定失踪者までを含めた

■真相究明、拉致実行犯の引き渡し要求を追加

 である。この結果、「全ての拉致被害者」という定義がどこまでの人を含むのかということが曖昧になった。

 そうした中、飯島勲内閣官房参与が2013年5月14日に突然、訪朝した。飯島参与は同15日に金永日(キム・ヨンイル)党国際部長(当時)、同16日に金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長(当時)と会談したが、日本政府の基本的な立場を説明する程度で終わり、日朝関係を動かすほどの訪朝とはならなかった。

モンゴルでの横田夫妻と孫娘の対面

 拉致問題の象徴である横田めぐみさんの両親の滋さん・早紀江さん夫妻は2013年末ごろ、日本政府に孫娘キム・ウンギョンさんとの面会を実現するように要請した。

 外務省は横田夫妻の希望を実現するために北朝鮮側と非公式協議を行った。具体的には、2014年1月25~26日にベトナムのハノイで、さらに2月22~23日には香港で協議を行ったとみられた。

 こうした非公式協議を経て、3月3日に中国の瀋陽で日朝赤十字会談を持ち、同時に小野啓一外務省北東アジア課長(当時)と北朝鮮外務省の劉成日(リュ・ソンイル)課長の日朝政府間非公式協議も実施し、横田夫妻の孫娘との面会を確認した。そして横田夫妻は3月10日から14日にモンゴルのウランバートルでめぐみさんの娘、キム・ウンギョン一家との面会を実現した。

 横田夫妻の孫娘との面会を実現した日朝双方は2014年3月30~31日、北京で伊原純一外務省アジア大洋州局長(当時)と宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使との局長級による日朝政府間協議を行った。

「ストックホルム合意」の実現

 横田夫妻と孫娘との対面実現には日朝双方が協力し、そこで生まれた対話ルートは、日朝政府間協議へと発展した。

 伊原局長と宋日昊大使による日朝政府間協議は、2014年5月26~28日にスウェーデンのストックホルムで行われ、日朝両政府は翌5月29日に「ストックホルム合意」を発表した。

 この合意で双方は、

「日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために真摯に協議をした」

 ことを確認した上で、北朝鮮はこれまで「解決済み」としてきた拉致問題への立場を改め、拉致被害者を含めて特定失踪者、残留日本人、日本人配偶者など北朝鮮における日本人問題を再調査し、1945年前後に北朝鮮で亡くなった日本人の遺骨や墓地の調査などを行うとした。

 日本側は、北朝鮮側が包括的調査のために特別調査委員会を立ち上げ、調査を開始する時点で(1)人的往来の規制措置(2)送金などへの規制措置(3)人道目的の北朝鮮籍の船舶の日本への入港禁止措置――を解除するとした。

 しかし、この合意には「拉致問題の解決」とは何なのかという点についての言及はなかった。

 北朝鮮は「ストックホルム合意」で、安倍首相がこれまで封印してきた、

「日朝平壌宣言に則って、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現するために」

 という文言を含めたことで、安倍政権の対北朝鮮政策に変化が出たと判断した。これによって、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」という従来の姿勢を変え、拉致被害者の再調査を受け入れた。「ストックホルム合意」の大きな枠組みは、日本が「過去の清算と国交正常化への努力」を表明し、制裁の一部を解除し、北朝鮮が「拉致の再調査」をすることであった。 

北朝鮮は当初、安倍政権との交渉に期待

 北朝鮮が「ストックホルム合意」をしたのは、安倍首相が、封印してきた文言を含めたこともあるが、日本で反対の根強い日朝国交正常化を実現するのは安倍政権しかない、という考えがあったためとみられる。仮に民主党政権が北朝鮮と合意すれば保守層から反発をうけるが、右派層を支持基盤とする安倍政権による合意であれば世論を抑え込める、と考えたとみられる。

 筆者はストックホルム合意後の2014年10月に訪朝し、宋日昊大使をはじめ北朝鮮当局者と会ったが、安倍政権への批判はまったく聞けなかった。

 宋大使は、

「明白なのは、政権が毎年代わったのでは複雑になるということでしょう。しかし、長期政権になるのでこれを利用し、意図的に仕掛けようということではない。最近のストックホルム合意前後から、拉致問題担当相を除いて、官房長官、外相、安倍首相の対朝鮮発言は以前とは異なるもので、われわれが、新しいことを感じているのは事実です。ストレートに言えば、以前のように孤立させろ、制裁を強化しろ、圧力を加えろという発言がほとんどない」

 と、安倍政権の姿勢の変化を評価した。

生存を通告

『共同通信』は2018年3月16日、日本政府が拉致被害者と認定している17人中の1人である神戸市の元ラーメン店員田中実さん=失踪当時(28)=について、北朝鮮が2014年の日本側との接触で、北朝鮮に「入国していた」と伝達していたことが分かったと報じた。さらに、『共同通信』は同25日、日本政府が「拉致の可能性を排除できない」としている神戸市の元ラーメン店員金田龍光さん=失踪当時(26)=についても、田中さんと同じく北朝鮮が入国を認めていたと報じた。

 北朝鮮はそれまで「入国を確認できていない」としていたが、一転して主張を変え、北朝鮮内にいるが、本人は日本へ帰国の意志がない、と説明したという。

 外務省幹部は、『共同通信』の取材に「コメントできない」と答えた。だが北朝鮮は2014年5月のストックホルム合意前後に、2人の日本人の生存を通告していたわけである。

 国会でもこの問題はたびたび取り上げられたが、政府は『共同通信』の報道を「誤報」としたことは1度もない。安倍首相は国会答弁で、

「今後の対応に支障を来す恐れがあり、コメントを差し控える」

 と述べるだけであった。2人の生存はほぼ確実とみられる。

 田中実さんは政府の認定被害者であり、金田龍光さんは特定失踪者といわれるグループの1人である。

 日本政府がこの2人の生存をなぜ4年も公表しなかったのか、極めて疑問である。

 考えられるのは、2人が同じ施設で育った友人であり、日本に家族がいないということである。横田めぐみさんのような拉致問題の象徴になっている人物ではなく、日本に家族もいない人の生存を公表しても、政府の実績にならないと判断したのであれば、これほど人権を無視した話はない。

 少なくとも外務省職員を北朝鮮に派遣し、日本政府として本人の意向を聞くべきであった。そうした措置を取らなかったために、時間が経過するにつれ、それは政府の「失策」であるため、事実を隠蔽しようとしているとしか思えない。

 田中実さんは2002年と2004年の日朝首脳会談後の2005年4月に、鳥取県米子市の松本京子さん=失踪当時(29)=は2006年11月に拉致被害者と日本政府が認定した人物である。つまり、この2人は首脳会談時点では、金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)の口からは言及されていない拉致被害者である。

ストックホルム合意の崩壊

 北朝鮮は2014年7月4日、拉致被害者を含む日本人調査に関する特別調査委員会を設置し、これに対して日本政府は閣議で対北朝鮮独自制裁の一部解除を決定した。

 北朝鮮側は特別調査委員会が調査を行い、日本側は2014年10月27日から30日まで伊原アジア大洋州局長を団長とする政府代表団が平壌を訪問、特別調査委員会側と協議を行った。

 しかしストックホルム合意にある、拉致被害者を含めた日本人への再調査の結果は、一応の目途としてきた1年後になっても出なかった。北朝鮮側は、2015年夏には再調査はすでに終わって報告書は完成しているが、日本側が受け取らないとした。

 宋日昊朝日国交正常化交渉担当大使は、2015年9月10日に平壌で『共同通信』の取材に答え、再調査の報告書は「ほぼ完成」しており、日本への報告が遅れているのは調査結果を日本と共有できていないからだとした。

 日本政府は2016年2月10日、同年1月6日の4回目の核実験と、同年2月7日の事実上の長距離弾道ミサイル発射である人工衛星「光明星4号」発射をした北朝鮮に対して独自制裁の強化を決定した。

 北朝鮮はこれに反発。2月12日、ストックホルム合意で実施した拉致問題を含む日本人の調査を全面的に中止し、特別調査委員会を解体すると表明した。双方はストックホルム合意の破棄こそ表明しなかったが、その枠組みが事実上壊れた。

 北朝鮮は2016年9月9日に5回目の核実験を行い、日本政府は同12月2日、さらに独自制裁強化を決定した。

 しかし北朝鮮は、2017年にも核ミサイル開発を続けた。北朝鮮の宋日昊日朝国交正常化交渉担当大使は同年4月17日、平壌で日本メディアを対象に会見し、ストックホルム合意について「すでになくなった」とした上で、拉致問題に「誰も関心がない」と主張した。

 繰り返すが、ストックホルム合意は(1)拉致問題への立場を改め、拉致被害者を含めた特定失踪者(2)残留日本人(3)日本人配偶者(4)1945年前後に北朝鮮で亡くなった日本人の遺骨や墓地の調査など――北朝鮮にいるすべての日本人の調査を行うという内容であった。

 拉致被害者問題で行き詰まった状況で外務省は、(2)や(3)など日朝間で意見の相違のない人たちの調査、帰国を優先させて、外堀を埋めて拉致問題の解決を図るという姿勢を示したが、官邸は拉致問題優先にこだわった。この結果、ストックホルム合意で帰国を願った(2)や(3)の範疇に入る日本人は帰国を果たせなかったのである。

 ストックホルム合意は画期的なものだったが、日本側は拉致問題での進展を獲得できず、北朝鮮側も制裁の一部は解除されたものの、人道目的の北朝鮮船舶の入港はなく、北朝鮮への送金増加の形跡もなかった。許宗萬(ホ・ジョンマン)朝鮮総連議長の1回の訪朝が実現しただけだった。

「安倍政権相手にせず」の決定

 安倍首相は、2017年9月20日の第72回国連総会における一般討論演説の大半を北朝鮮問題に割き、

「対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」

「対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した」

「必要なのは、対話ではない。圧力だ」

 と訴えた。

 安倍首相は、2017年11月にドナルド・トランプ大統領が訪日した際の共同会見で、

「日本は全ての選択肢がテーブルの上にあるとのトランプ大統領の立場を一貫して支持しています。改めて日米が100%ともにあることを力強く確認した」

 とも述べている。米国が軍事行動を取れば、それを支持するとも取れる発言だった。

 さらに河野太郎外相(当時)は2017年末から2018年始めにかけて、講演や外相会合などで北朝鮮と国交を持っている国に、断交を求める発言を続けた。

 北朝鮮に近い消息筋によると、北朝鮮は2018年初め頃、安倍首相の前年11月の国連総会演説などから「安倍政権相手にせず」という方針を固めたという。

 同筋によると、安倍首相は2018年2月の平昌冬季五輪の開会式前のレセプションが終わった時に、金永南最高人民会議常任委員長に近づき、

「平壌宣言とストックホルム合意に立ち戻りましょう」

 と語りかけたが、金永南委員長は、

「日本の植民地支配に対する謝罪と賠償が先だ」

 と答え、それ以上の対話にならなかったという。

 当時の日本メディアの報道では、

「外務省によると、首相は拉致問題と核・ミサイル問題について取り上げ、早期解決を求めた」(『産経新聞』)

 とされた。

 消息筋の伝えた、安倍首相の「平壌宣言とストックホルム合意に立ち戻りましょう」という訴えは、よいものだ。だが、その前に「必要なのは、対話ではない。圧力だ」という国連での発言を取り消していない。そんな状況で語りかけても、北朝鮮が応じるはずはなかったであろう。

安倍首相の「変身」

 しかし、安倍首相は変身した。トランプ米大統領が2018年3月に金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との首脳会談を了承してしまったからだ。

 安倍首相は3月16日の文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領との電話会談で、

「日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との国交正常化を目指す考えに変わりがない」

 と伝えた。安倍首相は、その後の国会での質疑でも、

「日朝平壌宣言に則り、北朝鮮との国交正常化を目指す考えに変わりがない」

 という趣旨の答弁をした。安倍首相はそれまで、この文言を自ら口にすることを避けてきたが、それをさらりと語る「変身」であった。

 安倍首相は2019年1月28日の施政方針演説で、

「北朝鮮の核、ミサイル、そして最も重要な拉致問題の解決に向けて、相互不信の殻を破り、次は私自身が金正恩朝鮮労働党委員長と直接向き合い、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動いたします。北朝鮮との不幸な過去を清算し、国交正常化を目指します」

 と述べ、日朝首脳会談への意欲を示した。

 さらに、2019年5月1日の『産経新聞』とのインタビューで、

「条件を付けずに金正恩党委員長と会って、率直に、虚心坦懐に話し合ってみたい」

「日朝の相互不信の壁を打ち破るためには私が金氏と直接向き合うしかない」

 と述べた。

 安倍首相は「何の前提条件も付け」ない日朝首脳会談を提唱したが、実際に日朝首脳会談を開いたら、拉致問題を出さないわけにはいかない。拉致問題解決を前進させるために首脳会談をするわけで、国交正常化をするために首脳会談をするわけではない。

 安倍首相の対北朝鮮政策で最も問題なのは、

「必要なのは、対話ではない。圧力だ」

 という主張から、

「何の前提条件もなく金正恩党委員長と向き合いたい」

 という大転換の理由について、国民に何の説明もないことだ。

 そして一方で、北朝鮮への経済制裁については、国際社会に厳しい履行を求めている。国連制裁が続いている限り、北朝鮮は「過去の精算」を受け取れないのだから、日朝交渉をやる意味がない。北朝鮮は、2019年10月開始の幼児教育・保育の無償化に朝鮮学校幼稚園を含めるよう求めているが、これも実現していない。

 これで北朝鮮が首脳会談に応じるとは思えない。北朝鮮にとって「過去清算と国交正常化」のための首脳会談はあり得ても、拉致問題のための首脳会談はあり得ないのだ。

 日朝首脳会談があり得るとしたら、「拉致問題」の解決と、「過去清算と国交正常化」をともに解決するしかない。安倍政権にはそういう包括的なアプローチが存在しなかったのである。

平井久志
ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

Foresight 2020年9月13日掲載

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