国会に登場した「39名」女代議士の功罪~「強い女たち」列伝1

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農家の主婦の告白

 堕胎容疑(結局、冤罪だった)での逮捕歴を有する64歳の女医竹内茂代から、「焼け跡のマドンナ」として知られ、園田直との「白亜の恋」で一世を風靡することになる弱冠27歳の松谷天光光まで、まさに多士済々――と言いたいところだが、正直なところ、玉石混交であった。しかも、玉よりも石がゴロゴロしていたのである。

 昨日まで一介の主婦であったり、バーのマダムであったり、中には「神のお告げ」によって立候補した女性もいた。立派な人もいることはいたが、いちいち名前を挙げるに及ばない女もまた少なくなかった。

 岩手の山奥から立候補して当選した菅原エン(46)は農家の主婦だった。

「私はね、自分の考えで立ったというのではありません。偶然みたいなもんだったね」

 かつて本誌の取材に応じた彼女は、のっけからそう語っている。

「周囲にも選挙なんてものを分かっているのは誰もいなかった。そこへ弟の友達というのが来て、お茶のみ話に婦人参政権の話が出た。その人が突然、私に“あんた出てみろよ”と勧めたんです。そしたら、急に周りの者も、そうだそうだ。と言い出した。それがキッカケでしたよ。出てみると、定員8人に47人も候補者がいましたが、女は私一人。最高点だったなス」

 女性解放の波は、全国津々浦々にまで染み渡っていたのである。

国会キス事件

 福島全県区で当選した山下春江(44)は、恐らく国会で最初に唇を奪われた女性である。だが、「国会キス事件」とも「国会酔虎伝」とも呼ばれる愚かしい事件の真相はいまも定かではない。

 ともあれ、事件が持ち上がったのは23年の暮れである。

 事件のもう一方の主役である蔵相の泉山三六は、豪放磊落で鳴る人物で、当時の新聞にこう評されている。

〈泉山さんが敷居をまたいだ料理屋で繁昌しないものはないというから、花柳界の女将さん連中から引っ張り凧になるのも道理、政治によし、囲碁によし、酒よし、女よしで、粋人政客として異色ある存在は誰ひとり知らぬものはない〉

 要するに、何でもありの人だったわけである。

 さて、予算審議も大詰めを迎えた12月13日、スムーズに法案を通すべく、泉山は大蔵委員を招集し、一席を設ける。当時は院内で酒を飲むことが許されていたのである。

 泉山三六の回想録『トラ大臣になるまで』によれば、二人はこの時が初対面だった。〈気安く互いに盃を交わしている中に、とうとうコップ酒となった。(中略)どうして私が山下さんと一緒に出かけるようになったのか、その点はどうも月に尾花で、無粋には割り切れない。兎も角、議長室の前を通って、広い廊下をアベックして、階段のところまで行き、そこから引き返したに相違はない〉

 泉山蔵相、酔っ払っていて何をしたのか憶えていないというのである。一方の山下春江は、事件後、懲罰委員会で次のように主張した。

「強く抱きしめられた上、キッスを強要されたので、私が首を振ったらかみつかれた」

 この事件、当時の民主党が仕組んだ謀略とする説が根強くあった。山下春江はそれくらい酒が強かったのである。

「げに、女は恐るべし」

 泉山三六は、いかにも粋人政客らしい名言を吐いて議員を辞職したが、あべこべに「トラ大臣」と親しまれ、その後、国会にカムバック。山下春江も衆院6回、参院2回の当選を果たし、議員としての人生を全うした。

 いま思う。ひょっとしたら、この事件は二人が仕組んだヤラセだったのではないか、と。

国会にファッションを持ち込んだ「山口シヅエ」

 東京・深川の自転車屋の娘で、「下町の太陽」と呼ばれた山口シヅエ(28)は、公認をもらうべく社会党本部に行った日のことを昨日のことのように憶えている。

 ミカン箱の上に立たされて、試しに演説をさせられたシヅエの第一声は、

「諸君、諸君」

 それを聞いた党職員たちはずっこけた。

 自民党の顧問で、83歳になるいまも矍鑠(かくしゃく)としている山口シヅエは、当時を振り返ってこう言う。

「それまでにも、家業の山口自転車の工具を空き地に集めて、よく演説していたのよ。女は選挙権もなく、子供と同じ扱いだったの。でも、私は社会主義思想を青年に混じって論じていた。そこでは男とか女とかとは言わないのよ。男と一緒に戦うために、すべては『諸君』だったの」

 選挙区である東京1区には鳩山一郎、浅沼稲次郎、野坂参三など錚々たる候補者が勢揃いしていたが、色白の可愛らしい顔で「みなさん」と呼びかけた結果、鳩山一郎に次ぐ第2位で当選(その後、鳩山の公職追放により、繰り上げトップ当選)した。

「初当選の時は選挙事務所に4人ほどの外人さんがジープでやってきた。言葉も分からないし、どこに連れて行かれるかもわからないので怖かった。連れて行かれたのは、確か日比谷だったわね。そこで外国人記者を前に会見をしたの。出されたチーズケーキが美味しかった。私は『ライフ』にも採り上げられ、“銀のスプーンをくわえて生れてきた”なんて書かれたのよ」

 山口シヅエは、国会にファッションを持ち込んだ最初の女性議員でもあった。ハイヒールにスーツがトレードマークで、外遊先で買った帽子をかぶって議場に入り、取れ、取らない、という論争を巻き起こしたことを憶えている人もいるだろう。

 昭和21年以来、衆院で13回当選。社会党から自民党に転じたことで、「亡命」「変節」「甘ったれ転向」と批判されたが、議員生活25年の表彰を受けたことで、その判断が誤りでなかったことが証明されたといえよう。

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