「畠山みどり」語る大借金を乗り越えた演歌道 現在は息子夫婦と田舎暮らし

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「月に叢雲(むらくも)、花に風」のたとえを地でいくのが畠山みどりさん(81)。ミリオンセラー演歌歌手として大豪邸を構えた一方で、バブル崩壊で大借金もこしらえた。その彼女が、コロナ禍のさなかにひっそりと富士山の麓に居を移したという。

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 みどりさんが世に出たのは1962年。デビュー曲「恋は神代の昔から」が150万枚、3曲目の「出世街道」は250万枚が売れた。“美空ひばりの妹分”として一気にスターダムにのし上がり、63、64、66年に紅白歌合戦出場。“対決相手”は村田英雄に春日八郎、北島三郎だった。

 彼女がミリオンヒットで手に入れたのが「高輪御殿」。東京の一等地、約115坪に建つ大豪邸だ。元フジテレビプロデューサーの夫、千秋与四夫(せんしゅうよしお)氏と彼女が仲人を務めた吉永小百合の結婚をめぐり、その祝言が秘かに挙げられた場所でもある。

 バブル期に、御殿の評価額が34億円と知った彼女は株投資にのめり込み、25億円もの負債を抱える。後援会長だった佐川急便の佐川清会長(当時)などの助けを得つつ、本業の芸能活動に励んで借金を返済。そんななかでも高輪御殿は決して手放さず、人手に渡っても賃料を払って住み続けた。が、みどりさんの知人曰く、

「4月ごろ、彼女は御殿場へ引っ越していきました。旦那さんを亡くし、一人で暮らしていましたから」

 終の棲家へ、ということなのだろうか。

「60周年」で新曲を

「昨年11月末、夫が脳卒中で逝きました。88でしたが、病気が多くて可哀想で……。楽になったんじゃないかな、とも思います」

 と語るのは、当のみどりさんである。

「転居は夫が亡くなる前に決まっていたんです。昨夏以降、夫が急性心不全で倒れ、私は足の傷から細菌が入って感染症。夫婦入れ替わりで入院していました。高輪では3階の寝室まで階段で上り下りしていたこともあり、息子が心配して、今年から彼の勤務先が御殿場になるのを機に近くで暮らそうと言ってくれた。夫も賛成していたのに……」

 親子揃って田舎暮らしの夢は潰えたが、

「こちらではマンションに入り、息子夫婦と隣同士、楽しくやっています。空気も富士山もキレイだから、毎日2キロ歩いて。もう、友だちもできましたよ」

 この日常を得るまでには、

「返済のために仕事仕事でスケジュールは毎日びっしり。40カ月休みナシで働きました。60歳近いときにバラエティ番組で火だるまになったり、バンジージャンプもやりました。借金は2017年に完済できましたが、どん底のときは必ず誰かが助けてくれた。つくづく、私はラッキーな人生を送ってきたと思います」

 その幸せを、もう分ちあえない夫に、

「願わくば、“まだ迎えに来ないで”と伝えたいかな。コロナでお休みしていましたが、つい先日、30人限定でイベントをやったら、倍以上の申し込みがあったの。あさっても羽織袴で歌います。来年はデビュー60周年。新曲も出したいんです」

 名峰富士を望む新天地で尚、意気軒昂。その演歌道はまだまだ続きそうである。

週刊新潮 2020年7月16日号掲載

ワイド特集「この人たちの『新天地』」より

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