「水曜日のダウンタウン」で注目 青ヶ島の人たちの選挙権が剥奪されていた理由

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1956年に初選挙

 もちろん国としても意地悪で選挙権を剥奪していたわけではない。しかしあまりにも青ヶ島は遠く、謎多き存在だった。

「世間的にも、青ヶ島は完全に秘境扱いされていました。『こういう島らしい』という真偽不明の伝聞形式の情報が多く、当時の報道では『20人の巫女が麦まきまで支配しているらしい』だの『食器も使わないので、戦後進駐してきたアメリカ兵が持ってきた栓抜きを島民が知らなかったらしい』だの、完全に外部と隔絶された謎の島のような噂が堂々と取り上げられていたのです。

 1954年、国や都が学術調査団を結成し、青ヶ島の調査を行うことになりました。調査団は直接青ヶ島におもむいて、人類学や民俗学、優生学、遺伝学などの観点から調査を行おうとしたのです。この学術調査団さえも、謎の秘境の島扱いをしていた証拠として、当初、全島民の裸の写真を様々な角度から撮影しようと計画していたという話があります。ただしこれは島民の反発を招くとして、中止されました」

 この調査団の強い提案により、安定的な無線電話の導入が決められる。もともと計画はあったものの、1956年7月の参院選を想定して、その前に前倒しで導入することが決定したのだ。本来、投票用紙は規定のものでなければならないし、開票結果の書類も早く送らねばならないが、そのあたりは状況を鑑みて青ヶ島に限っては、村内で作った投票用紙でもよく、結果を電話報告するのでもよいということになった。

 こうしてようやく、その年の参議院選挙から青ヶ島の人たちも選挙権を行使できるようになる。終戦から実に11年後のことだ。

「八丈島から木製の新しい投票箱を積んだ船が青ヶ島の沖合に到着し、青ヶ島村の選挙管理委員自らが漕ぐはしけに投票箱を載せて、青ヶ島に無事上陸。そして、上陸した投票箱は牛の背中に載せられて、投票所である村役場に搬入されました」

 選挙に関する書類は飛行機からパラシュートで投下されたという。その時の投票率は77%で、東京都全体の約45%を大きく上回った。

『ヤバい選挙』著者の宮澤さんの趣味は、日本国内の選挙にまつわる珍しい事例を収集することだという。いわば選挙マニアで、同書はその研究の成果である。

 青ヶ島の事例について改めて、選挙マニアとしての立場からコメントをしてもらった。

「一定の年齢になれば選挙権があって当たり前と考える方も多いことでしょう。しかし、青ヶ島の事例は決して“当たり前”ではないことを示しています。若年層の低投票率が問題になっていますが、『牛やブタじゃない』という島の中学生の悲痛な叫びに思いを馳せていただければ、と思います」

デイリー新潮編集部

2020年7月2日掲載

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