「吉村知事」が語る「西浦モデル」の問題点 教授本人はなんと答えるか

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ブラックボックス

 また、被害想定の妥当性について西浦教授は、

「伝達法は政府も専門家も改善点がありますが、その時点での科学的妥当性に瑕疵があったとは考えていません。社会的影響が大きかった流行対策なので、科学的検証がなされる必要があると思いますが、被害想定の42万人を、米国の状況とくらべていただくとよいのが、人口差を換算しても大きく離れているようには思いません。いまだ“日本は大丈夫だった”というわけではないので、注意していただく必要があります」

 政治が動かないなか、体を張って発表した妥当な試算は、あくまで感染症疫学上のもので、副作用云々の批判は的外れ。そこは政治家が考えるべきだった――。そう言いたそうだが、政治家も含めてみな素人。衝撃的な試算の前に、冷静でいられるわけもない。

 とはいえ、西浦教授だけに責任を負わせるのもアンフェアかもしれない。国の専門家会議関係者などで構成されるコロナ専門家有志の会の一員、早稲田大学の田中幹人准教授(科学技術社会論)が言う。

「西浦教授も、被害想定は政治の側から発信してほしいと語っています。科学者が情報を上げ、決定は政治が、という棲み分けが必要でしたが、日本では政府が専門家会議から意見を聴取し、政策決定は自分たちが行う、という役割分担がうまくいかなかったのです。安倍総理の会見でも、社会的に議論を呼びそうな部分は“専門家会議の提言はこうだから”と、判断の主体を専門家に差し戻している様子が窺えます」

 また、国際政治学者の三浦瑠麗さんは、

「そもそも感染症に関する対策は、国際協力や地方自治体との関係もからみます。だから感染症の制御に関して専門家が意見を出し、そこに総理や関係閣僚も出席して、議論のプロセスを共有しながら意思決定するのがよいと思うのですが、そういう体制がない」

 という点を問題視。科学コミュニケーションが専門の東京大学特任講師、内田麻理香さんも言う。

「本来、リスク評価は専門家、リスク管理は政治、と分けるべきで、そのバランスがとれているのがドイツ。コッホ研究所や科学アカデミーの助言、分析をもとにメルケル首相が判断を下す、というように役割が明確に分けられています。しかも科学アカデミーには、政治学や経済学の専門家もいるので、サッカーをいつ再開するかというテーマも、経済学の視点を入れて取り上げることができます」

 それができない日本は、

「科学者がリスクマネジメントにまで踏み込むという、不健全な状態になってしまった。常設の科学の諮問機関はなく、専門家会議も新型インフルエンザの際の会議の変型版で、権限や責任が不明確のまま形成され、シミュレーションも西浦教授頼み。人材不足は、日本が感染症のように普段は重要とみなされない分野への予算を削った影響でもあり、数理モデルを扱える人はわずかなためブラックボックスになってしまう、という見方をされています」

 さる専門家が指摘する。

「国の専門家会議には、コロナウイルスの専門家もいません。コロナウイルスの研究には予算がつきにくく、政治力のある研究者が少ないという実情もあります」

 結果、敵を知らない学者が出した試算を、「セカンドオピニオン」も聞かずに受け入れ、癒やされぬ副作用に苦しみ続ける。不思議な国だと笑うには、ダメージが深刻すぎるではないか。

週刊新潮 2020年6月25日号掲載

特集「『吉村知事』が『8割おじさんに騙された』!」より

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