コロナより恐ろしい米露中朝「核のリスク」

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 国連軍縮部門トップの中満泉国連事務次長が英誌『エコノミスト』(6月20日付)で、

「核の恐怖が高まっている。偶発かどうかはともかく、核爆発が起きるリスクは冷戦がピークだった時以来、最も高い」

 と警告した。中満次長は、冷戦期や冷戦後に見られた軍縮や軍備管理の枠組みが損なわれていることに危機感を強めている。

 スウェーデンの「ストックホルム国際平和研究所」(SIPRI)も6月15日に公表した年次報告書で、核兵器を保有する米露中英仏、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9カ国が核兵器近代化を進める一方、軍備管理交渉の見通しは暗いとし、国際戦略環境が一段と悪化していると警告した。

 戦略環境悪化の背景には、新型コロナ禍に伴う自国優先主義やグローバル化の後退、米中対立の激化もありそうだ。

 こうした中で、米中露3国は核戦力近代化を進め、核兵器使用のハードルを徐々に引き下げており、「核のリスク」が高まりつつある。

「バイデン政権」なら「新START」延長も

 トランプ米政権下では、米ソ中距離核戦力(INF)全廃条約破棄、領空開放(オープンスカイズ)条約からの脱退、イラン核合意離脱、米朝核交渉の不調などにより、世界の戦略環境が悪化したが、次の焦点は米露新戦略兵器削減条約(新START)の取り扱いだ。

 ドナルド・トランプ大統領は当初、米露両国の配備核弾頭の上限を1550発に抑えることをうたった新STARTについて、「バラク・オバマによる悪い条約だ」などと破棄する意向だったが、その後「中国が参加しないと意味がない」とし、中国を加えて3カ国で交渉を行う意向を示した。しかし、中国は参加を拒否しており、条約の延長は不透明だ。

 米露は6月22日にウィーンで、条約延長問題などを協議する高官協議を開き、技術作業部会を設置し、対話を継続することを決めた。交渉に先立ち、米首席代表のマーシャル・ビリングスリー軍縮担当大統領特使は、

「米国は中露に新たな軍拡を挑む気はないが、米国が冷戦に勝利したのと同様に、彼らを打ち負かす用意がある。米国は勝利する方法を知っている」

 と強調。ロシア代表のセルゲイ・リャブコフ外務次官は、「米露関係の現状は過去数十年で最悪であり、われわれは米国を一切信頼していない。軍備管理分野は負のスパイラルに陥っている」と述べていた。従来の軍縮交渉ではあり得ないけんか腰の姿勢だった。双方は次回協議の開催では合意したが、

「米国の立場に変化は一切なかった」(リャブコフ次官)

 とされ、条約延長は容易ではない。

 期間10年の同条約は来年2月5日で期限切れとなり、双方がそれまでに合意すれば、最大5年間延長できる。ただ、トランプ大統領が延長を拒否しても、11月の大統領選で民主党のジョー・バイデン大統領候補が勝利すれば、来年1月20日の就任式後にロシアと延長合意することは可能だ。その場合、短期間に新政権の核戦略を固める必要がある。外交の影響力を持つ上院の共和党支配が続くなら、妨害を受けそうだ。

 仮に、昨年のINF全廃条約の破棄に続いて、新STARTが失効すれば、軍備管理軍縮分野は半世紀ぶりに無条約状態となり、核軍拡競争が野放しとなりかねない。

米は「使える核」を重視

 トランプ大統領は2016年の大統領選で核削減方針を掲げていたが、就任後は一転して国防予算をオバマ時代より15%増額し、核兵器近代化を進めた。国防総省は2018年の「核戦略見直し」(NPR)で、ロシアや中国の核の脅威が増大し、安保環境が変わったとし、米国の核兵器を「近代化、多様化」させる方針を打ち出した。

 NPRは特に、核兵器を小型化し、破壊力を意図的に減らすことで、指導者が核兵器使用の心理的障害を低くすることを想定している。いわゆる「使える核」の開発である。

 さらに、トランプ大統領は今年2月に発表した2021年度予算教書で、新型潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、宇宙兵器、新型中距離ミサイル、極超音速兵器などの開発を進め、関連予算を大幅に増額するとした。

 米メディアによれば、トランプ政権は5月に核爆発を伴う地下核実験の是非を協議したという。地下核実験を実施すれば、1992年以来となる。オバマ前政権が核戦力を軽視したのに対し、トランプ政権は一転して核戦力重視に転換したことが分かる。

 トランプ大統領は選挙戦中、「過激派組織『イスラーム国』の対米攻撃には、核で反撃する」と述べたり、外交顧問に、

「核があるのに、なぜ使わないのか」

 と質問していた。「戦略核3本柱」の内容を知らず、無知をさらけ出したこともあった。公職や軍務の経験がなく、気まぐれな性格のトランプ大統領が、「使える核」のボタンを握ることには不安が付きまとう。

ロシアもハードル下げる

 これに対し、ロシア側は無条件で新STARTを延長したい意向だ。ウラジーミル・プーチン大統領は昨年12月、

「いかなる前提条件も付けずに、即座に条約を延長する用意がある」

 と述べた。セルゲイ・ラブロフ外相は、新STARTが延長されるなら、極超音速ミサイルシステム「アバンガルド」など2つの最新兵器を規制対象に含める用意があると提案した。

 ロシアが条約延長を望むのは、軍備管理が無条約状態になった場合、経済力の弱い方が不利になるとの判断によるものだろう。ロシアの国内総生産(GDP)は米国の8%にすぎない。ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相は「米国の国防予算はロシアの16倍に上る」と述べたことがある。

 しかし、ロシアは通常戦力では北大西洋条約機構(NATO)に対抗できないだけに、核戦力への依存を強めており、近年、極超音速ミサイルや新型中距離ミサイル、大型大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの開発・配備を進めてきた。

 通常戦力でNATOをしのいだ旧ソ連は先制核使用を否定していたが、ロシア軍は核使用のハードルを徐々に引き下げてきた。プーチン大統領が6月初めに承認した、核兵器をめぐる指針を示す「核抑止力の国家政策原則」は、核使用を認める条件として、(1)弾道ミサイル発射の確実な情報入手(2)ロシアや同盟国に対する核兵器攻撃(3)国家存続を脅かす通常兵器による攻撃――などを挙げた。ロシアのメディアによれば、2010年にドミートリー・メドベージェフ大統領が承認した非公開の「原則」に比べて、核使用条件をやや緩和したといわれる。

「原則」は、「非核保有国領内での核兵器や核運搬手段の展開」も脅威と位置付けており、日本でのミサイル防衛(MD)展開を暗にけん制している。ロシアも米国同様、核使用のハードルを引き下げているといえよう。

中国は秘密主義継続

 冒頭で触れた「SIPRI」の年次報告によれば、今年1月時点でロシアが保有する核弾頭は6375発、米国は5800発で、世界の核弾頭の91%を米露が占めている。SIPRIは、中国が保有する核弾頭を前年比30発増の320発とし、フランスを抜いて3位になったと伝えた。

 トランプ大統領は核戦力増強に走る中国を加えた多角的な軍備管理交渉を求めており、5月にもプーチン大統領との電話会談で、中国を加えた交渉枠組みを提案した。しかし、中国外務省報道官は、

「われわれは参加したくない。この立場を何度も表明してきた」

 として参加を拒否した。

 中国は核戦力や核ドクトリンを不透明にすることで核抑止力の維持を図っており、核戦力の公開を強いられる軍縮条約には関心がない。

 この点で、ロシアのリャブコフ外務次官は、

「中国の参加は現実的でない。米露両国で交渉すべきだ」

 と述べる一方、もし中国が参加するなら、英仏両国の核も削減対象にすべきだと語った。プーチン大統領は1月にイスラエルで、地球規模の諸問題を協議する国連安保理常任理事国首脳会議の開催を呼び掛けており、「P5プロセス」に結び付けたいようだ。

 中国は核戦力では米露に劣るとはいえ、中距離ミサイルは2000発近く保有する。米露が全廃していた間に、中距離ミサイル分野では最大の保有国になった。経済成長や国防予算増を背景に、戦略核や短距離核の開発・製造を急ピッチで進めており、米露にとっても脅威が高まるとみられる。

 中国は1964年の最初の核実験以来、一貫して「核先制不使用」を公言してきたが、習近平体制下でこの表現に触れなくなったのが気がかりだ。米露同様、核使用条件の緩和を含め、核ドクトリンの見直しを進めている可能性がある。コロナ危機の裏で、香港、台湾から東・南シナ海、インド国境に至るまで習政権が展開する攻撃的な「戦狼外交」とも絡んで不気味だ。

 SIPRIの報告は、今年1月時点の北朝鮮の核弾頭を30~40発とし、前年の20~30発から増加したと分析している。こうして、わが国周辺の核をめぐる脅威は確実に高まっているのが現実なのだ。

名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)、『北方領土はなぜ還ってこないのか』(海竜社)など。

Foresight 2020年6月24日掲載

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