村上春樹さんDJ「村上RADIO」緊急特別版の総指揮者が明かす「コロナ禍の奇跡」

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 作家・村上春樹さんがディスクジョッキーをつとめる番組『村上RADIO』では、5月22日(金)22時00分~23時55分の約2時間にわたり、『村上RADIO ステイホームスペシャル ~明るいあしたを迎えるための音楽』を放送した。コロナ禍の緊急事態の中、収録が村上さんの自宅書斎で行われた緊急特別版。その濃密な裏側を番組の総指揮者・延江浩が明かす。

2週間あまりしかなかった準備期間

「村上RADIO」緊急特別版は、まさに怒涛の勢いで作った番組だ。村上春樹さんは「宅録」にチャレンジし、限られたスタッフは全員リモートワークで、制作期間は放送まで2週間あまりしかないというぎりぎりの状況だった。

 5月22日金曜午後23時55分、その日最後のニュースが始まり、『村上RADIO』が無事にオンエアされたことを確認し、僕はしばらくの間、放心状態になってしまった。

 この1か月、番組タイトルにあるように「ステイホーム」での仕事だった。急きょ企画された番組作りはいつも以上に大変だった。在宅での仕事は一見のんびりしているように思えるが、2時間の番組を短期間で制作するためのコミュケーションは並大抵ではなかった。

 朝起きて2匹の兄弟飼い猫と顔を合わせ、ズーム会議後に昼食を摂る。午睡の前に本を読み、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」を聴きながら自宅そばの森林公園を散歩し、人影のないゴルフ場で新緑を眺め、夕方にはビールを飲みながらNetflixでドキュメンタリーを観て寝る……だが、僕がイメージしたそんな夢のような「新しい日常」はそう簡単には実現しなかった。それどころか、緊張の連続だったといっていい。

 緊急特別版の放送翌週、局に上がると机の上には国内の数々の新聞をはじめ、NHK「おはよう日本」、仏紙「リベラシオン」や米「ニューヨークタイムズ」の資料がどさっと置かれていた。想像以上の反響だった。今回は、海外の村上ファンにもメッセージを共有してもらいたくて、新潮社のWebマガジン「考える人」と協力し合い、村上さんの語りをすぐに英文に翻訳して掲載していた。番組の中身が新聞やTVによって、海外にまで幅広く報じられたことは感慨深いものがあった。

 文字化された記事に目を通すと、いろいろなことを思い出した。何度村上春樹さんとやりとりしたことだろう。早起きの村上さんとのやりとりはいつも午前中だった。

上がってきたラジオの聴取率

 3月あたりからラジオの聴取率がじわじわ上がってきた。新型コロナウイルス感染防止のためディスクジョッキーは自宅からのリモート出演になって手の込んだ演出ができるわけでもない。しかし、話したい人に話したいことを、聴かせたい人に聴かせたい曲をというシンプルなラジオの基本に戻ったとも言える。

 ラジオはいたずらに正義を振りかざすことや一方的に不正を糾弾することはしない。ディスクジョッキーは毎日同じ時間にリスナーに語りかける。スイッチを入れればいつもと変わらない声が聞こえる。

 コロナ関連の生活情報を随時入れ、たとえば学校にいけない子供たちのために、新しく子ども電話相談コーナーを設けたりしているし、在宅率の高まりのせいか中学生からサラリーマンまで、リスナーの層が拡大し、ジャズやロック、歌謡曲とリクエストの幅も増え、語らいの場に投稿されるメッセージも増えているのだ。

 実は村上春樹さんから、番組企画を発案するメールが届いたのは5月4日のみどりの日、国の緊急事態宣言の延長が発表された直後だった。

「いろいろと考えていたんだけど、こんな厳しい時節だから、もしできれば『明日をあかるく迎えるための歌』を集めた番組ができればな、と思っています。けっこう充実したプレイリストができました。こういう番組が今できるといいなと思います。できないかな?」

 そこには魅力的な選曲リストも添えてあった。僕はすぐに企画書を書いた。時間がない。社長に電話を入れ、「いいね、すぐにやろうよ」と了解を取り付けた。編成は営業に連絡し、ネット各局への連絡、放送時間帯の枠取り作業が行われた。

“緊急特別版”放送! DJ村上春樹が自宅書斎から届ける「言葉と音楽」。僕は「村上RADIO」のスタッフを召集した。新型コロナウイルスをめぐる厳しい状況やつらい気持ちを音楽で少しでも吹き飛ばせたら。そんな村上さんの強い思いに応えなければ。

 思えば、緊急事態宣言が発出されて自粛要請が強まる4月に放送された第13回「村上RADIO~言語交換ソングズ」の番組冒頭はこんな言葉で始まった。

「僕も昔、7年くらい飲食店を経営していました。だからローンを抱え、高い家賃を払って、従業員に給料を払って、それでいて何カ月も店を開けられない、先行きもわからないというのはどれくらいつらいことが、身に染みてわかります。こんなときに僕にできるのはどんなことだろうと、日々考え込んでしまいます。音楽や小説みたいなものが、ほんのわずかでも心の慰めになればいいのですが」

 ジャズバーを経営していた村上さんの発言が心に響いた飲食店関係の方も多かったのではないか。

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