コロナ禍の「国家」「国民」関係を「トリレンマ」から考える

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 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、世界の政治経済の変化を加速させ、国家と国民の関係を変容させるかもしれない。

 新型コロナ危機への対応では国際的な協力体制の構築が重要であるにもかかわらず、現実には国家間の対立が増している。国民もグローバルな政策協調よりも国家の政策に期待し、政策への依存度を強めている。

 こうした流れを考える上では、「国際政治経済のトリレンマ」による考察を行ってみるのが1つの方法かもしれない。

 本稿では、新型コロナによる国際政治経済の変化、国家と国民の関係の変化を、なるべく平易にわかりやすく考えてみたい。

“黄金の囚人服”

「トリレンマ」と言えば、「国際金融のトリレンマ」を思い起こす人が多いかもしれない。「為替の安定性」、「資本の自由な移動」、「金融政策の自立性」の3つの政策目標は、一度に2つは達成できるが、3つすべてを達成することはできないというのが「国際金融のトリレンマ」で、現在では国際金融の中心的な理論だ。

 これに対して、「国際政治経済のトリレンマ」(以下、トリレンマ)は、「国家主権」、「民主主義」、「グローバリゼ-ション」の3つの政策目標・統治形態のうち、一度に2つは達成できるが、3つすべてを達成することはできないというもので、米プリンストン高等研究所の教授も務め、現在ハーバード大学ケネディ行政大学院教授であるダニ・ロドリックが2000年に提唱した。

 第2次世界大戦後半から1973年まで続いた「米ドルを基軸とした固定為替相場制」である「ブレトン=ウッズ体制」は、戦後の世界経済の安定に寄与した。国家間の資本移動に規制をかける同体制は、トリレンマで示すなら「国家主権」と「民主主義」の達成を目指したものだった。

 しかし、ブレトン=ウッズ体制が崩壊すると、世界は「グローバリゼーション」に向かって走り出す。特に東西冷戦の終結はグローバリゼーション進展の契機となった。グローバリゼーションを進めるためには、トリレンマによれば国家主権か民主主義のいずれかしか選択できないということになる。

 たとえば、EU(欧州連合)の加盟国は、各国が民主主義的な政治体制の下で、グローバルな経済や市場を許容している。だが、そのために加盟国は国家主権の主張を抑制し、グローバリゼーションと民主主義を達成しようとしている。

 もちろん、国家主権を主張しながらグローバリゼーションを達成しようとする国もある。こうした場合には、政策決定で民主的なプロセスが取られることはなく、国際的なルールや基準が国民の考えるルールや基準に優先する。

 このような状況について、ピューリッツァー賞を3度受賞した国際的な米国のジャーナリストであるトーマス・フリードマンは、“黄金の囚人服(Golden Straitjacket)”と名付け、「経済が強くなり、民主政治がなくなる状態」と指摘している。

大きな変化の可能性

 グローバリゼーションの進展は、経済的に大きな利益をもたらすという恩恵を与えた。しかし、それは規制緩和を進め、関税の引き下げや撤廃を行い、減税(特に法人税と富裕層に対する)を行うことによってもたらされたものであり、結果として資本家と労働者に象徴される「格差の拡大」を招くこととなった。

 フランスの経済学者であるトマ・ピケティが格差問題を取り上げた著書『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)が、経済書としては異例の世界で300万部を超えるベストセラーとなったように、グローバリゼーションの進展が招いた格差の拡大は、世界的にも大きな問題となった。

 さらにグローバリゼーションは、中国をその強大な経済力を背景に国際舞台の主役へと押し上げた。

 だが一方で、通信技術や軍事技術などにおいて、「リープフロッグ(馬跳び)現象」(新興国が新しい技術に追いつく時、通常の段階的な進化をすべて飛び越し、一気に最先端の技術を導入してしまうこと)的な発展を遂げた中国に対する警戒心を強めることになった。

 世界には今、反グローバリゼーションの動きが台頭し始めている。それは、「グローバリゼーションと民主主義」の達成から、「グローバリゼーションと国家主権」の達成の動きへの変化として現れている。

 米国では、2017年から政権を担うドナルド・トランプ大統領が「自国第一主義」を掲げ、自国の利益のために関税の引き上げを打ち出し、自国の経済的利益の回復を図ろうとしている。

 欧州でも、英国が国家主権を主張し、自国の利益優先のためEU離脱を強硬に推し進めた。

 他の国々でも自国第一主義を掲げるポピュリスト政権が誕生し、欧州ではネオナチ運動も深刻化している。また、人道的な面でも難民や移民を拒否し、社会保障で制限をかけるといった動きが見られている。

 このように、国際政治経済の潮流は、反グローバリゼーションを背景に、民主主義から国家主権への動きを強めている。そして、この動きは新型コロナにより加速し、国家と国民の関係に大きな変化を与える可能性があるのではないか。

民主主義「衰退」に繋がるか

 新型コロナの世界的な感染拡大で、国境の封鎖やロックダウン(都市封鎖)、外出禁止などの防止策により、世界経済のグローバリゼーションがシャットダウンされた。

 本来、新型コロナに世界中が協調して立ち向かわなければならないにもかかわらず、トランプ大統領は「WHO」(世界保健機関)を「中国寄りに過ぎる」と激しく非難し、拠出金の停止や脱退すら仄めかしている。5月19日に2日間の日程を終えて閉会したWHO年次総会でも、「多大な貢献をしている」とWHOの対応を称賛した中国と、ますます対立を深め、世界に危機感をもたらしている。

 また、新型コロナの感染拡大は、マスクや医療品に象徴されるように製品の内製化を進め、サプライチェーンの再構築も加速度を増した。それだけに、各国とも経済の立て直しは内需を中心にせざるを得ない状況だ。

 一方で国民は、緊急事態宣言と外出自粛による経済活動の停止からの生活防衛のため、国の政策への依存度を高めている。

 安倍晋三政権が実施した国民1人あたり10万円を支給する特別定額給付金は、一時的なものとは言え、「政府がすべての国民を対象に最低限の生活に必要な金額を提供する」という「ベーシックインカム政策」と同様、“国が国民を養う仕組み”だ。畢竟、新型コロナ対策は国家主権を強め、民主主義を衰退させる動きを増幅することに繋がるのではないだろうか。

 奇しくも、安倍政権が特例的に検事総長ら検察官の定年延長を可能にする検察庁法改正案の今国会での成立を目論み、これに対して「三権分立と民主主義の危機」だとして、SNSを中心に稀に見るほどの反対運動が巻き起こった。結果、政権は今国会での成立を断念し、法案を取り下げた。新型コロナ禍は、グローバリゼーションの中での国家主権と民主主義の折り合い点を探る動きをさらに強めていくことになるかもしれない。

 筆者は無論、新型コロナ禍の中で国民が生命を守るために国の政策に頼ることを否定しているわけではない。

 ただ、新型コロナ禍が政治経済の流れや国家と国民の関係の変化を加速させる可能性があるということについて、考えるきっかけになることを望んでいる。

鷲尾香一
金融ジャーナリスト。本名は鈴木透。元ロイター通信編集委員。外国為替、債券、短期金融、株式の各市場を担当後、財務省、経済産業省、国土交通省、金融庁、検察庁、日本銀行、東京証券取引所などを担当。マクロ経済政策から企業ニュース、政治問題から社会問題まで様々な分野で取材・執筆活動を行っている。

Foresight 2020年5月24日掲載

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