米プリンストン大学での「イラン」体験――イラン・フーゼスターン紀行(番外編)

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 昨年6月、イラン南西部フーゼスターン地方への研究紀行について、2度にわたって記した(『ジョージアから「連れ去られた人々」を追って――イラン・フーゼスターン紀行=上』2019年6月3日、『』6月19日)。

 約400年前にジョージア(グルジア)から半ば強制的に移住させられた人々の末裔を訪ねる旅であったが、その後、米プリンストン大学に研究滞在することになり、なかなか続編に取りかかることが出来なかったところへ新型コロナ禍の到来である。

 しばらく空いてしまったが、このような時にこそ、遠い異国の、遠い過去に目を向けるのも悪くないかもしれない。

 そこで今回は、フーゼスターン紀行に戻る前に、プリンストン大学で触れたイランと中東の「近い」過去に簡単に触れてみよう。

新型コロナ禍が促す歴史回顧

 そもそもイランは遠い異国などではない。国際政治の重要なアクターであり、アメリカにとっても、そして日本にとっても、外交や安全保障の観点から常にその存在感を意識せざるを得ない。原油の価格が下がっても、ペルシア湾岸の安全保障上の位置付けは簡単には低下しない。

 何より歴史的に、イラン高原に覇を唱えることは中国と地中海世界、インド洋世界をまたぐ広大な領域に大きな影響力を及ぼすことにつながったのであった。

 古代に遡るユーラシア文化上のつながりや、ディアスポラ・コミュニティの存在など、接続のベクトルは多様かつ多彩である。

 現在、孤立主義と中国への仮想敵国言説を強めるドナルド・トランプ政権下のアメリカであるが、イランの存在感と中東問題の重みは、アメリカ滞在中にそれでも強く印象に残った。

 コロナ禍到来前と到来後でどれくらい社会が変化するのか、現在われわれには予想もつかない。それでも、人の営みがウェブ上で完結するわけもなく、むしろ地政学的な国際秩序の綻びとその綴り合わせへの目配りは、今後より一層重要になると思われる。

 新型コロナ禍は、これまで以上に地球上に展開する人類社会の歴史と現在、未来について見直すことを促すのではないだろうか。

アメリカの1つの中東像

 2020年の年初はすでに遠い過去のようにも思える。特に在宅状態が続くと時間の感覚が通常と異なるような錯覚に襲われるのだろうか。

 今思えば、実はすでに不気味な疫病の足音が迫りつつあった当時、アメリカでもっとも話題になった国際的な事件は、イランのイスラーム革命防衛隊ゴドス部隊を率いるガーセム・ソレイマニ司令官の爆殺事件であった。

 滞在先のテレビには、各地で行われたソレイマニ司令官の葬儀の様子が映し出されていた。その中に、フーゼスターンの州都アフヴァーズからの映像もあった。

 筆者が穏やかなアフヴァーズの街並みを散策したのは、その9カ月ほど前である。あらためてフーゼスターンの位置とイランとイラクの近い関係を実感した。

 実は、その少し前に参加したイベントで、アメリカにとってイラク戦争とその後の情勢がいかに複雑であるかを感じていた。

 昨年11月の下旬であったが、プリンストン大学で『モースル(Mosul)』と題する映画の上映会と、監督との討論会が開催された。

「イスラーム国」がイラクの大都市モースルを占拠したのは2014年のことであり、その統治は世界を震撼させた。映画では、2016年秋から2017年夏にかけてのモースル解放作戦に参加したイラク軍の「英雄たち」を取り上げていた。

 上映会の案内では、イラク第2の大都市であるモースル解放作戦が、第2次世界大戦のスターリングラード包囲戦以来の大規模な軍事作戦であったことが強調されていた。

 監督のダン・ガブリエルはかつてCIA(米中央情報局)に勤務していたという。映画では、アメリカが支援してきたイラク「国軍」と「愛国者たち」を賞賛する(無論必ずしも一筋縄ではないものの)。特殊部隊のエリート司令官や、夫を殺害されて戦場に身を投じた女性司令官などが登場する。

 質疑応答の中で、監督は次の企画として、イランに焦点をあてた「代理戦争」を考えていると述べた。レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ、イラクやアフガニスタン情勢が念頭にあることは容易に想像がついた。

 イベントそのものの出席者はそれほど多くなかった。『モースル』がアメリカの自賛映画のようにも感じられることや、おそらく監督の経歴も関係しているのだろう。

 ただ、 「イラク・ナショナリズム」という映画の主題そのものは国造りの観点から極めて興味深いテーマである。また、アメリカの見通しの甘さは当時から指摘され続けていることであるが、その1つの中東像を如実に見せられた感もある。

「色つき革命」と喧伝された民主化政策

 そもそもジョージ・ブッシュ(子)政権は、イラクへの軍事侵攻の後、その民主化政策について「紫革命」と称していた。

 これは同じ頃に発生したジョージアの「バラ革命」(2003年)、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)などと合わせて、「色つき革命」(Colour revolution)と喧伝された。

 筆者も関連の論文を記したことがある(『「民主化革命」とは何だったのか:グルジア、ウクライナ、クルグズスタン』)が、最近、バラ革命の指導者でウクライナに亡命していたジョージアのミヘイル・サアカシュヴィリ元大統領が、ウクライナで復権して要職に任命された。

 革命から十数年の月日が経つが、「国造り」の困難さ、特にイラクやアフガニスタン、イエメン、シリアなど現代中東情勢の混迷ぶりを改めて強く感じる。その中で相対的に安定しているイランが、次第に大きな影響力を有する中で、司令官爆殺事件にも至ったわけである。

 ちなみにこのイベントは、プリンストン大学の「現代中東・北アフリカ・中央アジア地域横断研究所」(TRI)の主催であった。

中東文化遺産を巡るアメリカの矛盾

 このようにアメリカの「関与」を素直に賞賛する映画が作られる一方で、トランプ政権はできる限り直接的な関与を避けて、遠隔で拠点を叩く(効率的な)作戦を好むように思われる。

 その象徴である司令官爆殺事件以降、報復を宣言したイラン側に対して、アメリカは強硬な姿勢を示し続けた。

 印象的であったのは、トランプ大統領がイランの文化遺産への攻撃も辞さない姿勢を示したことであった。イラン革命時に起きたアメリカ大使館占拠事件の人質の数と同じ数のターゲットを示したことは、「歴史の復讐」という意味でも興味深い。

 イランの誇りである歴史文化財すら空爆のターゲットに組み込む可能性を示唆したトランプ政権に対して、プリンストン大学内部はじめ社会の広汎な層から大きな反対の声が上がった。

 行動は素早く、1月末にはプリンストンが誇る高等研究所で「文明の十字路イラン―歴史家と弁護士がイランの歴史と文化遺産について語る」というイベントが開催された。

 ユネスコ前事務局長や新進気鋭の研究者から大御所の国際政治学者まで、多彩なスピーカーを揃え、筆者も旧知の近世史専門家であるデラウェア大学のルディ・マテー教授と再会することが出来た。

 冒頭から、ユダヤ人の経験などに触れながら「文化ジェノサイド」という言葉が紹介された。その後、イランの豊かな歴史を概観し、講演の最後では、人々を守ることと文化遺産を守ることはほとんど同義でありことが強調された。

 講演の模様はこちらから視聴できる。

 この講演会やそれ以外のセミナーでも感じたが、アメリカは過去100年にわたって多くの発掘調査隊を中東現地に送り、文化財の多くを持ち帰っている。プリンストン大学も大きな研究拠点の1つであり、その所蔵品についてたびたび話題に上っていた。

 かたや文化遺産の爆撃をほのめかし、かたや保管する文化遺産を最新機器で解析して研究データを積み重ねていく。当事者としての力と言ってしまえばそれまでだが、これもアメリカ現地に滞在して感じた、矛盾を飲み込んでいく複雑な力学である。

41年目のイラン革命

 次いで、エスカレートする一方の米・イラン関係の中で開催されたのが、イラン人による寄付講座「イラン・ペルシア湾岸研究センター」主催によるイラン革命記念企画「イランの終わらない革命」であった。

 センター長のベフルーズ・ガマリー=タブリージー教授は、飄々として非常に温厚な人柄であるが、実際に革命後に投獄された経験を持つ。数年前には、悪名高いエヴィーン刑務所で処刑されていった若者達の群像を描いた書籍を刊行している。

 先に紹介した2つが、ある意味で外側から見た両極端なパブリックイベントとすれば、当事者による企画という意味でも極めて興味深い講演会であった。

 ちなみに教授の自宅にもお招きいただいたが、数々の素晴らしいレコードコレクションの中から現代音楽家の武満徹の1960年代のアルバムを見せて下さった。このような知識人が命からがら国から逃げ、アメリカの最高学府で教鞭を執っている。

 講演会に招かれていたスピーカーはジャーナリストのエレーヌ・シオリーノと写真家のデビッド・バーネットであった。

 バーネットは「ほとんど全ての写真賞を受賞した」と豪語する凄腕の写真家である。

 HPを見ると、洋楽に馴染みのある人なら見覚えがあるだろうボブ・マーリーのポートレートや、イラン革命の指導者ホメイニー師が亡命先のフランスから帰国して飛行機のタラップを降りていくシーン、取り巻きに囲まれているホメイニー師が珍しく柔和な顔つきで微笑む写真、群衆デモの様子など、イランに関心を持つ者にとって懐かしい写真も並ぶ。

 ガマリー=タブリージー教授の前述の著作のカバーも、バーネットの写真である。おそらく鎮圧部隊の発砲から逃れようとするデモ参加者を撮ったスナップではないかと思うが、何か不透明な未来を見据えて跳躍するような、非常に印象的なカバーである。教授たっての希望で採用されたという。

 バーネットによれば、イランとパキスタンの間のバルーチェスターンという、彼にとって聞いたこともない辺境地域の仕事を引き受けたことが、イラン行の発端になったという。講演では、テヘランに移動して革命に巻き込まれた撮影の日々について、懐かしそうに話した。伝説の写真家と言っても非常に気さくで、話し好きな人物であった。

 一方、『ニューヨーク・タイムズ』で活躍した、やはり高名なジャーナリストであるシオリーノは、ホメイニー師がフランスからイランに戻る際に同行した1人だ。

 ただし、先に話をしたバーネットが芸術家らしく(?)大幅に時間を超過したため、彼女にはほとんど持ち時間が残されず、筆者が一番話を聞きたかったホストのガマリー=タブリージー教授に至ってはコメント時間さえも残らないという、ある意味イラン的な(時間にルーズな)オチまでついた講演会であった。

ホメイニー師の親類筋が……

 この他、外交畑の数多くの講演会にも参加することが出来た。駐エジプト、駐イスラエル大使を歴任したベテラン外交官のダニエル・C・クルツァー教授が、レバノン、クウェート、シリア、パキスタン、イラク、アフガニスタンの大使(この全ての国を!)を務めた元外交官のライアン・クロッカーと登壇したセミナーは聞き応えがあった。

 もっとも、外交官の言辞の難しさは、歴史学者にはいささか理解の限度を超えていたことも告白しなければならない。 

 こちらの英語力の乏しさが一番の問題ではあるのだが、はっきり物事を述べない高度な技術にも驚かされた、というのが実感である。その合間のウイットはお手上げであった。

 ここまでプリンストン大学で見聞きした数々のイラン・中東関連セミナーについて紹介してみた。これらは全て昨年の年末から今年2月までに行われたイベントである。

 実は西アジアの近世史を専攻する歴史家の筆者にとって、古代ギリシア史や近世アフリカ史のセミナーが一番興味深かったのであるが、研究のダイナミズムや企画力と発信力の点からも、アメリカの大学の凄みを感じた。

 何より、ここで触れた講演会はすべて、地域研究や歴史研究の研究グループや、外交、地域研究センターなどの学内組織が主催している。イラン危機という背景の中で、同時多発的に様々な視点からの講演会を組織する、その群を抜いた企画力、組織力、財力、知的体力を目の当たりにした。

 さて、今回はアメリカでの「イラン」体験の一部を記したが、実はもっとも印象に残ったのはホメイニー師の親類筋の自宅に招かれたことであった。夕食に招かれただけであるし、普通の暮らしぶりであったが、ニュージャージーの片隅にこうした人々が住んでいることもまた、アメリカのもう1つの顔なのであろう。

前田弘毅
東京都立大学人文社会学部教授。プリンストン大学近東学部客研究員。1971年、東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(文学)。大学院在籍中にグルジア科学アカデミー東洋学研究所に留学。北海道大学講師・客員准教授、大阪大学特任助教・招へい准教授、首都大学東京都市教養学部准教授などを経て、2018年より現職。著書に『多様性と可能性のコーカサス』(編著、北海道大学出版会)、『ユーラシア世界1』(共著、東京大学出版会)、『黒海の歴史』(監訳)『コーカサスを知るための60章』(編著)『イスラーム世界の奴隷軍人とその実像』(ともに明石書店)、『グルジア現代史』(東洋書店)など。ブログはこちら【https://www.hmaeda-tmu.com/】。

Foresight 2020年5月21日掲載

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