「医系技官」が狂わせた日本の「新型コロナ」対策(下) 医療崩壊(37)

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 前回の最後でご紹介したように、「新型コロナウイルス」のような新病原体が発生したときに、厚生労働省で窓口になるのは結核感染症課だ。検疫法と感染症法を所管するためだ。

 日本の新型感染症対策は、この2つの法律を根拠に実施される。さらに、国立感染症研究所と連携して感染経路を調査するのも、結核感染症課の仕事だ。

 では、彼らはどこで間違ったのだろうか。それは初期対応だ。まずは、この件について簡単にご説明しよう。

十分議論せずに政令指定

 1月16日、武漢から帰国した日本在住の中国人の感染が確認されると、厚労省は翌17日、国立感染症研究所に積極的疫学調査の開始を指示した。

 積極的疫学調査とは、感染者が確認されたらその周囲の「濃厚接触者」を探し出し、彼らも検査することだ。感染が確認されれば、感染症法に基づき、強制入院させ、そうでなければ一定期間の自宅待機を要請する。

 幕末の開国により、日本でもコレラやチフスなどの輸入感染症が問題となった。当初は感染者を見つけて隔離し、その人物の自宅を家族ごと閉鎖していたが、ハンセン病患者への人権侵害が問題となって、1998年に現在のような形となった。強制隔離が待機要請に変わっても、実態は同じだ。

 確かに、この方法はコレラやペストなど古典的な感染症には有効だ。潜伏期が短く、特徴的な症状を呈するからだ。コレラの場合、潜伏期は1日程度で、「米のとぎ汁様」と言われる下痢を生じる。感染者を見逃すことは少ない。無症状の人が周囲にうつす新型コロナウイルスとは対照的だ。

 法律の運用は難しい。時に予期せぬ影響をもたらすからだ。今回の措置を発動すれば、検査を中国から帰国した感染者と濃厚接触者に限定することになってしまう。潜伏期や不顕性感染の患者からの感染は無視することになる。

 ところが、厚労省内でこの点が十分に議論されたとは言いがたい。

 1月28日には新型コロナを感染症法の指定感染症の「二類感染症並み」に政令指定した。この結果、感染者は、たとえ無症状であっても、つまり医学的には入院の必要性がなくても、感染症法に基づいて強制入院させられることになった。

 さらに、このような措置がPCR検査の拡大を難しくした。『選択』5月号の「日本のサンクチュアリ 厚労省・結核感染症課」という記事には、以下のように書かれている。少し長くなるが引用しよう。

〈このような対応は濃厚接触者を徹底的に検査する一方で、一般の発熱患者に対してPCR検査を厳しく抑制することに繋がった。感染症法では想定していなかったPCR検査の対象の拡大や、無症状や軽症患者の自宅やホテルなどでの隔離には躊躇し、放置した。

このことは単なる過失では済まされない。1月17日に始まっていた積極的疫学調査の方向転換の機会を逸し、PCR検査の拡大や軽症者の病院以外での隔離の道を閉ざすダメ押しとなったからだ〉

世界の議論を「見落とし」?

 実は、このような対応をとったのは日本だけだ。新型コロナに関する研究が世界各地で進んでいたにもかかわらずだ。

 たとえば1月24日には、香港大学の研究者たちが英『ランセット』誌に、無症状の感染者の存在を報告している。

 医学はグローバルなコンセンサスが形成されやすい世界である。世界の議論をリードするのは、『ランセット』誌や『ネイチャー』誌などの学術誌だ。日本ではあまり議論されないが、このような雑誌の編集長こそ、新型コロナ対策をリードしている。

『ランセット』誌が無症状の感染者に関する論文を掲載するということは、世界の専門家たちが、このことを重大視していることを意味する。ところが、このような情報は日本の政策には活かされなかった。

 医系技官がこの事実を軽視したわけではない。1月30日、武漢からの帰国者に無症状の感染者がいることが分かると、日下英司結核感染症課長は緊急記者会見を開いている。そして、

「新たな事態だ。潜伏期間にほかの人に感染させることも念頭において、対策をとらねばならない」

 と説明している。気づくのが遅かったのだ。いや、『ランセット』誌の情報を見落としていたのだ。問題は、新型コロナ対策担当者が、世界で最も権威ある医学誌をフォローできていなかったことだ。これではまともな対策など打てるはずがない。

 勿論、これは日下課長個人の責任ではない。厚労省や、彼らと近い専門家会議やクラスター班も問題だ。酷な言い方だが、専門家としてのレベルが低いと言われても仕方ない。

 問題はこれだけではない。過ちを認め、軌道修正できなかったことが被害を拡大させた。

 新型コロナ対策で試行錯誤をするのは当たり前だ。

 行政が間違っても、誠実に対応すれば国民は批判しない。

 求められるのは、組織としての誠実さだ。厚労省は問題が生じても、責任者が頰被りすることが少なくない。この結果、問題は解決されないままだ。

医系技官を批判できない医療界

 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」に停留を命じ、検疫を指示した横浜検疫所長も医系技官だった。

 彼は船内で感染が拡大し、国際的な問題となっても、記者会見などの形で説明することはなかった。なぜ、あそこまで世界の批判を浴びる事態になったのか、有耶無耶のままだ。

 これでは組織は緩んでしまう。「ダイヤモンド・プリンセス号」の下船者に、

「ゴジラのような大きな咳をする人がいない限り、感染しない」

 と言って顰蹙をかった東海北陸厚生局長も医系技官だ。

 なぜ、医療界は医系技官を批判しないのだろうか。それは、医系技官がポストと予算を差配するからだ。時に、その配分は恣意的だ。

 現在議論が進んでいる補正予算では、PCR検査等の体制確保に充てられるのは、わずか49億円だ。これは健康保険がカバーしない公費負担のものだけだが、それでも1日あたり1500件は少ない。安倍晋三首相の国会での「1日2万人」という答弁など、はなから無視している。

 一方、国立病院機構、地域医療機能推進機構には65億円が、一般の医療機関を対象とした緊急包括支援交付金1490億円とは別に措置される。新型コロナ対策で、国立病院機構、地域医療機能推進機構だけを特別扱いする理由は特にない。

 国立病院機構、地域医療機能推進機構は、厚労省が管轄する独立行政法人で、医系技官が現役出向あるいは天下っている。たとえば、後者の理事長は尾身茂氏。専門家会議の副座長を務める元医系技官だ。この組織には石川直子氏という医系技官が理事として出向している。

恣意的に使われる「厚労科研」

 最も運用が恣意的なのは、「厚生労働科学研究費補助金」(厚労科研)と呼ばれる補助金だ。「医系技官の貯金箱」(厚労省関係者)と呼ばれることもある。

 2007年3月には、医系技官から逮捕者もでている。

 この人物は、京都大学教授が主任研究者を務める研究に部下を分担研究者として送りこみ、受け取った総額370万円の研究費のうち、210万円を出版社に架空の伝票を作成させて騙し取っていた。この医系技官は、この金を銀座での交際費に充てたという。

 新型コロナ対策では、結核感染症課が管轄する「新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」が主たる厚労科研だ。2019年度は総額3億4320万円を、31人の研究者に配っている。

 このうち13人は、国立感染症研究所の研究者だ。

 さらに9人は、専門家会議、クラスター班の委員が所属する組織の研究者だ。

 形式は公募だが、国立感染症研究所を中心に一部の研究者が独占しているのが分かる。

 メディアに登場する有識者の発言は、どのような組織に所属しているかで全く違う。私の知る限り、「新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」関係者で厚労省を表立って批判した人はいない。毎年補助金をもらっていれば、厚労省を批判するのは困難だ。

 医系技官のムラ社会の構造を調べたければ、「厚生労働科学研究成果データベース」を利用すればいい。どのような研究者が、どのような厚労省の部局とつるんでいるかが一目でわかる。業績に不釣り合いな研究費が付いていれば、そこになんらかの「特殊な関係」が存在すると言っていい。

 クラスター対策班のことを調べているうちに、興味深い研究をみつけた。2009年1月に『感染症学会雑誌』に掲載された「住民に普及啓発すべき感染症 : 感染症診療に従事する臨床医を対象にしたデルファイ調査」だ。

 筆頭著者は柏木知子氏。共著者として堀口逸子氏、石川直子氏、丸井英二氏が名を連ねる。全員が順天堂大学公衆衛生学教室の所属だ。柏木氏は、この研究で2009年2月に同大学から博士号を授与されている。

 実は柏木氏は医系技官だ。公務の傍ら、順天堂大学に通い、論文を書いた。素晴らしいことだ。

 ただ、この話は単なる美談ではない。問題は石川氏の存在だ。この石川氏は、前出の地域医療機能推進機構の理事を務める医系技官だ。

 この研究は、2007年から始まった厚労科研「感染症への国民啓発に効果的なリスクコミュニケーション方法と教育方法に関する研究」の一環として実施されている。主任研究者は丸井氏、分担研究者として堀口氏が参加し、研究費の総額は7075万円だった。

 当時、石川氏は健康局総務課の課長補佐だ。そして、この研究を所管するのは健康局だ。石川氏は論文の共著者に名を連ねているが、厚労科研の報告書にその名はない。

 医系技官の博士論文を指導する大学教授に、厚労省が科研費をつけることは世間の常識を逸脱している。大学院教員と大学院生・父兄の関係に置き換えれば、問題の深刻さが分かるだろう。

 2014年に東京大学眼科学教室で同様の事例が発覚した時、教授は諭旨解雇となった。

 丸井・堀口氏の指導の元、学位をとった医系技官は他にも多数存在する。

 国立情報学研究所が提供する「CiNii Dissertations」という博士号授与者データベースを用いて、詳細検索から大学名と期間を指定すれば、学位授与者名の一覧が確認できる。

 ちなみに、この2人の指導教員はその後も新たな厚労科研が採択され、2010年には1105万円を受け取っている。丸井氏は2012年に定年退職し、主任教授が代わると、厚労省と順天堂大学公衆衛生学教室の関係はなくなる。

 では、彼らのその後はどうなったのだろうか。

 柏木氏は小樽検疫所に勤務する。夫はクラスター対策班を率いる西浦博北海道大学教授だ。

 堀口氏は東京理科大学の教授として栄転した。公衆衛生学・リスクコミュニケーションを専攻している。医系技官が出向する内閣府食品安全委員会の委員を務め、クラスター対策班の広報活動も担っている。西浦氏は同委内に設置されたワーキンググループの専門委員を務める。4月15日の記者会見では、堀口氏はその西浦氏の隣に座った。

 堀口氏は日本を代表する研究者とされるが、米国国立医学図書館データベースで“Horiguchi Itsuko”で検索すると、筆頭著者の英文論文は存在しない。ちなみに、堀口氏は2019年度にも厚労科研に採択されている。

 医系技官とクラスター班の関係は、通常の官庁と研究者の関係とは異なる。こんなことをしていると、日本の医学研究はダメになってしまう。

自治体と厚労省のいびつな関係

 新型コロナ対策を迷走させたのは、このようないびつなムラ意識だ。

 たとえば、PCR検査数の抑制だ。4月10日、西田道弘さいたま市保健所長は、

「病院が溢れるのが嫌で(PCR検査対象の選定を)厳しめにやっていた」

 と公言したことが話題となった。

 保健所長が地域の病床のことまで心配するのは不思議だ。だが実は、西田氏も元医系技官だ。2008年3月に鳥取県福祉保健部次長を最後に退職し、さいたま市に異動した。

 病院が溢れて困るのは医系技官だ。新型コロナを感染症法の二類並みとしたため、軽症者でも入院となった。

 本来、この法律はエボラ出血熱など重症感染症を年頭においたものだ。感染症病床の数は限られている。PCRの数を増やせば、患者を収容できなくなる。彼らは、

「PCRを増やせば医療が崩壊する」

 と奇妙な理屈を言い続けた。西田氏は患者の命より医系技官の意向を忖度したことになる。軽症患者が高齢者にうつし、彼らが亡くなることなど考慮しなかった。

 全国に472ある保健所の中で元医系技官が所長を務めているところは、東京都中央区、ひたちなか市、川口市、山梨市、伊賀市など少数だが、新型コロナ対策では重要な役割を果たす。

 医系技官が巣くうのは保健所だけではない。医師不足に悩む地方自治体は格好のターゲットだ。自治体は厚労省とのコネクションを切望するからだ。

 茨城県の健康福祉部顧問を務める元医系技官のケースをご紹介しよう。

 2018年4月には女性職員を食事に誘うメールを400回も送り、懲戒処分となっている。普通なら相手にされない。ところが、彼の母校が存在する茨城県は採用した。茨城県は埼玉県についで、人口当たりの医師数が少ない。脛の傷を考慮する余裕などないのだろう。

 ただ、日本の医師不足を招いたのは、

「医師は不足していない、偏在しているだけだ」

 と主張し、医学部定員数を抑制してきた医系技官だ。

 茨城県の事例を見るに、医系技官が医師数を抑制してきたのは、彼らの再就職先確保という視点に立てば合理的だった、とも言える。

真の専門家登用を

 話を新型コロナ対策に戻そう。

 安倍首相は「PCR検査を増やす」と繰り返し公言してきたが、医系技官には効かなかった。それは、大部分の医系技官が次官や局長を目指すわけではないからだろう。幹部官僚の人事権を振りかざす安倍政権のやり方は通じない。

 現在、医系技官には追い風が吹いている。それは新型コロナの流行が長期化し、その対策が求められているからだ。専門家会議は、

「地域でクラスター(患者集団)対策を指揮する専門家を支援する人材の確保」

 のための予算措置を要求している。

 与党には、「日本版の感染症対策司令塔が必要だ」と求める議員が少ない。これは、医系技官が生業としてきた公衆衛生分野への大盤振る舞いを意味する。誰が振り付けているかは言うまでもない。

 果たして、これでいいのだろうか。

 医系技官に求められるのは、医療・医学の知識だ。欧米、韓国の医務技監に相当するポストの人物は、臨床・研究経験を積んだ一流の専門家だ。だからこそ、最先端の医学研究を咀嚼し、臨機応変に対応できた。

 新型コロナ対策は長期戦だ。いま、日本に求められているのは、真の専門家を登用することだ。医系技官制度のあり方を見直す時期に来ている。

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

Foresight 2020年5月14日掲載

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