「麒麟がくる」“染谷将太の織田信長”に賛否 敢えて違和感を狙った起用のワケ

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

”殺さないで”とNHKに投書が殺到

 元・上智大学教授でメディア文化評論家の碓井広義氏は、的確なドラマ批評で知られている。

 そんな碓井氏に「思い出に残る信長」を訊くと、「3人の役者さんを挙げたいですね」と言う。まず1人目は、【1966~88年】の表に登場する高橋幸治(84)だ。

 1965年の『太閤記』に出演した当時、高橋は無名の新人。だが、大抜擢は功を奏し、一躍、お茶の間で人気を獲得した。NHKには「殺さないでください」と“助命嘆願”の投書が相次いだ。結局、8月8日の第32回に放送される予定だった本能寺の変は、何と10月17日の第42回まで延期になったという。

「『太閤記』が放送されていた時、私は10歳でした。テレビに釘付けになったことを覚えています。それ以来、『織田信長』という名前を目にしたり、耳にしたりすると、反射的に高橋幸治さんの顔が浮かぶようになりました。恐らく、これは私だけでないでしょう。高橋さんの演技は、日本人の信長像に大きな影響を与えたと思います。それほどのインパクトがありました」(同・碓井氏)

 高橋の演技は、日本人が持つ信長のイメージに忠実でありながら、「演技自体は相当にユニークな役作りの上に成り立っていました」と碓井氏は指摘する。

「凡庸な演出家と役者なら、喜怒哀楽が激しく、いつも暴れているような信長にしたでしょう。ところが『太閤記』での高橋さんをよく見ると、むしろ喜怒哀楽の表現は抑えられており、非常に内面的な演技でした。立ち居振る舞いや表情の変化だけで、“一国一城の主”たる信長の存在感を表現しました。常識の逆をついた演技だったはずなのに、視聴者には『これぞ信長』という正統派のイメージを与えることに成功しました。加えて、非常にリアルでしたね。高橋さんが無名だったこともかえって効果を発揮し、本物の信長がテレビの中で動いているような錯覚を覚えたものです」(同・碓井氏)

次ページ:染谷将太と桶狭間

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。