56年前の東京五輪で臨時列車「オリンピア」が不人気だった理由

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不調だった『オリンピア』

 準急「臨時日光」は、157系日光型電車だった。こちらも外国人観光客向けの臨時列車だった。

「157系は当初、冷房無しの準急用として1959年に登場。東京―日光間の準急『日光』として運行していました。車内設備が特急型と同等レベルでしたので、1等車を連結して東京―大阪間の臨時特急『ひびき』としても運行していた。その後『ひびき』は冷房搭載改造が行われ、臨時特急から定期特急へ。ところが、東海道新幹線の開業で特急『ひびき』は廃止されてしまいます。オリンピックの臨時『日光』は、特急『ひびき』の編成を使用したものでした。オリンピック後は、64年11月から、東京―伊豆急下田の急行『伊豆』に転用されました」

 東京―熊本間を走った急行「聖火」もある。

「東京オリンピックを開催するにあたり、九州の高校から修学旅行でオリンピックを観戦したいという要望がありました。福岡の直方高校230人、柳川高校764人、糸島高校497人、宮崎工業高校340人がこの『聖火』に乗ったそうです。この列車は急行となっていますが、客車は戦前のもので、座席は対面4人掛け。熊本から東京まで、片道で丸1日近くかかるので結構疲れたと思いますよ。下関と北九州を結ぶ関門トンネルを通りますから、この区間だけ特殊な電気機関車に換装しています。海底トンネルを走るので、普通の電気機関車だと錆びてしまう。そのためステンレスの電気機関車を使ったんです」

 車や飛行機は、交通手段としてまだまだ身近ではなかった時代。国鉄は多くの臨時列車を走らせ、万全の態勢を敷いたのだ。では、実際の利用状況はどうだったのだろうか。

「『臨時日光』は乗車率が80~90%と好調でした。もっとも、『聖火』など大半の臨時列車は平均乗車率が50%以下でした。中でも、『オリンピア』は平均10%で、一番厳しかったそうです。国鉄は、宣伝が足りなかったと反省しています。元々、明治時代から外国人観光客は避暑地として軽井沢や日光に行っていました。日光には外国人客専門の日光金谷ホテルがありますからね。熱海と聞いても外国人はピンとこなかったのかもしれません」

 ちなみに、今年の東京オリンピックでは臨時列車の予定はないという。

2020年2月28日掲載

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