死者170人突破「新型肺炎」があぶり出した習近平政権の「弱点」

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 習近平政権は、国民に「強国復権」という夢の実現を呼び掛けている。これは、日本の明治時代の「富国強兵」と同じ文脈で語られている。

 世界2番目の経済規模を誇る大国・中国は、ほんとうに強国になれるのだろうか。アメリカとの貿易戦争は1年半も続いて、ようやく中国側の大幅な譲歩によって第1段階の合意に達した。

 香港で起きた抗議デモは、もともと逃亡犯引き渡し条例改正案の採決に反対するための動きだったが、やがて反中デモと化し、いまだに収束していない。

 習近平政権は「一国二制度」の枠組みで台湾を統一するとしているが、さる1月11日に行われた台湾の総統選挙で、独立志向の強い蔡英文が圧倒的な得票数で再選された。

 こうしたなかで、新年早々、北京政府が青天の霹靂のような出来事に見舞われた。中国一大工業都市の武漢市で、新型コロナウイルス感染による肺炎が急速に広がっているのが、それだ。

根源は「なんでも食べる文化」

 振り返れば17年前の2003年、中国はすでにコロナウイルス感染の肺炎(SARS)禍を経験している。しかし、当時の経験と教訓がほとんど活かされず、今回もコロナウイルスが猛威を振るっている。

 そもそもなぜ人間がコロナウイルスに感染したのかについて、中国政府と専門家は、野生動物によるものだとの見方を示している。そうであるとすれば、人間が野生動物に接触しなければ、ウイルスに感染しないはずである。

 今でも一部の中国人、とりわけ富裕層の人たちは、野生動物を食べる習慣がある。

 今回、武漢市で発生したコロナウイルス感染の中心地は、市内にある「華南海鮮市場」というところといわれている。海鮮市場と名乗っているが、海鮮だけ売っているわけではない。食用の竹ネズミやコウモリなど、さまざまな野生動物が売られているのだ。

 中国の広東省で、地元の人と食文化について会話すると、

「4つ足のものなら、机と椅子以外なんでも食べる。空を飛ぶものなら、飛行機以外なんでも食べる。水のなかを泳ぐものなら、潜水艦以外なんでも食べる」

 と必ずいわれる。このなんでも食べる食文化こそ、ウイルスに感染する禍のもとといえる。

医師の不用意なSNSで

 コロナウイルス感染の原因はある程度判明したといえようが、なぜその広がりを食い止められなかったのだろうか。

 今報告されている、最初の感染例は12月8日だった。そのあと数人の感染があったが、武漢市政府は、コロナウイルス感染の深刻さを十分に認識せず、患者の隔離措置も取られなかった。

 同じころ、北京大学第1付属病院のある医師は、

「今回の肺炎は毒性が弱くコントロール可能なものだ」

 と中国国内のSNSに書き込んだ。この専門家の書き込みこそが、武漢市政府の対応を遅らせてしまったのである。

 それ以降、武漢市政府および湖北省政府は、コロナウイルス感染例が増えたのに、事実を公表しなかった。おそらく地方幹部として、すでに深刻化してしまった事実を公表すると、社会不安につながるのではないかと危惧したのだろう、隠蔽工作を行った。

 このような連鎖的なボタンの掛け違いが重なった結果、コロナウイルスの感染拡大を食い止める良いタイミングを逸してしまった。ここで検証すべきは、今回の地方政府の失政は地方政府幹部個人の能力の問題なのか、それとも制度の欠陥によるものなのか、ということだ。

「中央集権」と「隠蔽体質」

 2019年秋に開かれた、中国共産党第19期中央委員会第4回全体会議(4中全会)で演説した習近平国家主席は、国家統治と管理の近代化を呼び掛けた。これは、かつて周恩来首相(当時)が呼び掛けた「4つの近代化」(工業の近代化、農業の近代化、国防の近代化と科学技術の近代化)に加え、「5番目の近代化」と呼ばれている。

 しかし、今回のコロナウイルス感染による肺炎の禍こそ、習近平政権の国家統治能力を検証する試金石になっている。

 これについて詳しく述べてみよう。

 習近平政権になってから、国家の統制力を強化するために、これまで以上に中央集権型の制度作りを行ってきた。

 しかし、中央集権型の制度は、資源を動員する能力を強化することができるが、地方政府が突発事故や事件に対処する力が弱くなってしまう。

 武漢市政府が市全域を封鎖することを決めたのは、2020年1月23日。北京で習近平国家主席が指示を出したあとのことだった。最初の感染例が報告されてから、1カ月半も経っていた。すべては万事休す、遅すぎたといわざるを得ない。

 また行政官僚の、都合の悪い情報を公表したがらない体質も問題だ。

 武漢市で最初に感染した8人の患者は、命がけでインターネットのSNSでコロナウイルス感染の事実を告発した。だがその直後、この8人は武漢市公安局に拘束されてしまった。その理由は、「デマを流した」というものだった。

 無論、この8人が流したのはデマではなく、事実である。もし、この8人の告発を受けた武漢市政府が即座に感染症に対処すれば、事態はここまで拡大しなかったはずである。

 さらに、世界保健機関(WHO)の対応が謎である。

 WHOは1月23日、新型コロナウイルスをめぐる国際的な公衆衛生上の緊急事態の宣言を見送った。ただし26日、新型コロナウイルスの世界的なリスクについて、「中程度」とした表記を「高い」と修正した。WHOの評価の恣意性が疑われ、その権威に傷がついたといわざるを得ない。

迫られる「地方分権」「民主化」

 コロナウイルスの猛威はまだ鎮静化していない。中国だけでなく、世界的に感染が広がっている。当初、今回のウイルスは毒性が弱く、人から人へ感染しないといわれたが、ここに来て毒性が強くなっており、人から人への感染も確認された。中国国内でも感染者の数は増え続け、死者はすでに170人を超えた。

 1月29日に日本政府手配のチャーター機で緊急帰国した第1陣200人余の中から、3人の感染者も確認された。日本国内での感染確認はこれで10人となった。

 中国社会に目を転じると、コロナウイルスの大規模な感染は、年に1度の春節の民族大移動と重なってしまった。今、中国政府は人の流れを力ずくで止める措置を取っているが、感染症が長期化すれば、国民の不満が爆発する恐れがある。すなわち、コロナウイルス感染の公衆衛生問題が、深刻な社会問題になっていく可能性がある。

 結論的にいえば、今回の危機を通じて中国社会の弱点がみえてきた。

今、中国社会は完全にパニックに陥っている。だがそれに対処しなければならない政府、とりわけ地方政府のリスク管理能力が、予想以上に弱い。また、危機管理のための制度も構築されていない。

 行き過ぎた中央集権型の制度が危機に対処できないことは、今回の禍で実証されている。

 習近平政権が「強国復権」の夢を実現しようと本気で考えているのならば、地方分権を進め、将来の民主化を目標に取り組んでいかなければ、真の強国にはなれないといわざるを得ない。

柯隆
公益財団法人東京財団政策研究所主席研究員、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授、株式会社富士通総研経済研究所客員研究員。1963年、中国南京市生まれ。88年留学のため来日し、92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院修士取得(経済学)。同年 長銀総合研究所国際調査部研究員、98年富士通総研経済研究所主任研究員、2006年富士通総研経済研究所主席研究員を経て、2018年より現職。主な著書に『中国「強国復権」の条件:「一帯一路」の大望とリスク』(慶応大学出版会、2018年)、『爆買いと反日、中国人の行動原理』(時事通信出版、2015年)、『チャイナクライシスへの警鐘』(日本実業出版社、2010年)、『中国の不良債権問題』(日本経済出版社、2007年)などがある。

Foresight 2020年1月31日掲載

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