NHKドキュメンタリー「欲望の資本主義」で再注目の宇沢弘文氏の思想――「経済は人間のためにある」

ビジネス 2020年1月15日掲載

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 1月3日放送のNHK-BS1スペシャル「欲望の資本主義2020 日本・不確実性への挑戦」で紹介されたことで、6年前に亡くなった経済学の巨人、宇沢弘文氏に再び注目が集まっている。

 番組を締めくくる終章のパートで、経済学者のジョセフ・スティグリッツ氏が「30~40年後にどんな経済や社会を実現したいか――日本には非常に偉大な知性がいましたよね。私の先生の宇沢弘文氏です」と名前を挙げて語ったのだ。宇沢氏はいち早くアメリカ式の資本主義の限界を予見していた、とも。

 スティグリッツ氏といえば、2001年のノーベル経済学賞受賞者。その彼に「非常に偉大な知性」とまでに言わしめた宇沢氏の思想とはいかなるものか。核となるのは、番組でも紹介されていた「社会的共通資本」という考え方である。

 最晩年の宇沢氏へのインタビューや講演をもとにした『人間の経済』の序章には、その考え方がやさしい言葉で書かれている。加えて昭和天皇やローマ法王との貴重なエピソードも語られた「序 社会的共通資本と人間の心」を同書から全文引用しよう。

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昭和天皇のお言葉

 人間は心があってはじめて存在するし、心があるからこそ社会が動いていきます。ところが経済学においては、人間の心というものは考えてはいけない、とされてきました。マルクス経済学にしても人間は労働者と資本家という具合に階級的にとらえるだけで、一人ひとりに心がある、とは考えません。また新古典派経済学においても、人間は計算だけをする存在であって、同じように心を持たないものとしてとらえている。経済現象のあいだにある経済の鉄則、その運動法則を考えるとき、そこに人間の心の問題を持ちこむことは、いわばタブーだったわけです。

 次のようなことを記憶しています。1983年、私が文化功労者に選ばれたときのことでした。顕彰式が終わったあと、宮中で昭和天皇がお茶をくださることになり、じつはそれまで私は天皇制に批判的な考えをもっていたので、違和感を抱えたまま席にのぞみました。

 昭和天皇を囲んで一人ひとりが、それぞれ自分が何をしてきたかを話し、ときおり天皇がそれにお答えになります。昭和天皇は思いのほか親しみのある気さくな話しぶりでしたが、私は自分の順番がきたときにはすっかりあがってしまい、ケインズのここがおかしいだの、新古典派の理論がどうだとか、社会的共通資本とは何か、などと懸命にしゃべりたてました。しかし、われながら支離滅裂なのがわかって混乱していたところ、昭和天皇が話をさえぎって、こうおっしゃったのです。

「君! 君は経済、経済というが、つまり人間の心が大事だと、そういいたいのだね」

 心の中をピタリといいあてられたようで、私自身、ハッとしたものでした。

 それから四半世紀にわたって社会的共通資本の考え方、人間の心を大事にする経済学の研究をすすめてこられたのは、あのときの昭和天皇のお言葉に勇気づけられたからでもありました。

「レールム・ノヴァルム」

 もう一つ、私の人生のなかで最も感動的な思い出をふりかえります。

 今から20年ほど前、私はローマ法王ヨハネ・パウロ2世にヴァチカンへ呼ばれて、ある歴史的な文書の作成を手伝いました。文書というのはEncyclicalsです。Encyclicalsは、歴代のローマ法王が在任中に一度は出される重要な公式文書のことで、その時どきの世界の状況に関してローマ教会の公的な考え方をまとめたものです。世界中のビショップに配布されるこの分厚いドキュメントは、日本では「回勅」「同文通達」などと訳されます。

 そのなかで歴史的に最も有名な回勅が、1891年5月にレオ13世によって出された「レールム・ノヴァルム」で、経済学の考え方に大きな影響を与えました。レールム・ノヴァルムとはラテン語で「新しいこと」、カトリックの方では「革命」と訳されることもありますが、それにはこういう印象的な副題が付いていました。Abuses of Capitalism and Illusions of Socialism(資本主義の弊害と社会主義の幻想)です。

 この背景には、産業革命以降のイギリスの工業都市で、資本家が徹底的に労働者階級を搾取し、一般大衆が非常に悲惨な状況に追いやられていたことがありました。

 レオ13世は、新しい工業都市で、子どもたちの生活があまりにも悲惨なことを深く心配されていた。しかし、多くの人が社会主義になれば救われると主張しているのは単なる幻想にすぎず、社会主義になればもっと悲惨な現実が待っていて、人間の存在、魂の自立すら維持できないということを主張されたのです。つまり、階級的対立や競争によってではなく、人類が互いに協力し助け合うことで困難な時代を乗り越えていくべきである、というのが回勅の主旨でした。

 そのあとを受けて、ヨーロッパでは協調と友愛を基調とする新しいタイプの労働組合運動が起こり、それと同時に協同組合運動が大きく発展しました。しかし20世紀に入ると、1917年のロシア革命によって、15の共和国と世界の陸地面積の6分の1、3億人の人口から成るソビエト連邦が成立しました。その支配は、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアなどの東欧諸国に及び、一時期は世界の人口の3分の1までが社会主義体制に組みこまれます。

 ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世は、ローマ法王としてヴァチカンに行くまで、過酷な社会主義体制下にある人びとの魂を守ることに、心を尽くしてこられた方です。そしてレオ13世の回勅からちょうど100年目、新しい「レールム・ノヴァルム」を作成することになり、私はヨハネ・パウロ2世から、そのアドバイザーになってほしいというお手紙をいただいたのです。

 私は躊躇することなく「社会主義の弊害と資本主義の幻想」こそ、新しい「レールム・ノヴァルム」の主題にふさわしいと返事をさし上げました。私のような部外者が回勅の作成に関わること自体前例がなかったようですが、ヨハネ・パウロ2世によって1991年5月に出された新しい「レールム・ノヴァルム」のタイトルは、Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism(社会主義の弊害と資本主義の幻想)というものでした。

 当時は東西ドイツを隔てたベルリンの壁は崩壊したものの、まだソ連共産主義が生きていて、東欧諸国に破滅的な影響を与えていました。「社会主義の弊害」とは、スターリンが何百万というソ連の人々を殺し、ソ連全体を収容所列島のようにしながら、同時に東欧の国々に対しても非常に過酷な支配をする、そのことを指していました。

 その一方で「資本主義の幻想」とは、その頃、西側諸国で勢いを増していた市場原理主義を中心とした運動が、やがてはある意味で社会主義の弊害に匹敵するような大きなダメージを人々に与えるにちがいない、という危惧だったのです。

「新しいレールム・ノヴァルム」が経済学者に提起したのは、それぞれの国が置かれている歴史的、社会的、文化的、自然的、経済的諸条件をじゅうぶん考慮して、すべての国民が人間的尊厳と市民的自由を守ることができるような制度をどうやってつくればいいのか、という問題でした。

 そしてこの年に八月革命が起こり、12月にかけてソ連帝国の解体という世界史的な事件に発展します。2005年にヨハネ・パウロ2世が亡くなられたとき、ゴルバチョフ元ソ連書記長は葬儀に異例の弔文を送り、そのなかでヨハネ・パウロ2世の「新しいレールム・ノヴァルム」が、新しいヨーロッパをつくるために非常に大きな役割を果たしたということを述べ、その業績を称えました。

 医療や教育、自然環境が大事な社会的共通資本であることはもちろんですが、もう一つ、つけ加えるなら、平和こそが大事な社会的共通資本なのです。

 ヨハネ・パウロ2世は、生涯、アメリカが広島と長崎に原子爆弾を落としたことは人類が犯した最大の罪である、として厳しく批判されました。そのためにヨハネ・パウロ2世はアメリカでは評判が悪かったのですが、ローマ法王になられたばかりの1981年に来日されて広島と長崎を訪れた際、小石川の後楽園で盛大な野外ミサを執りおこない、流暢な日本語でこういう話をされています。

「平和は人類にとって、いちばん大事な共通の財産である。特に日本の平和憲法は、平和を守る非常に重要な役割を果たす社会的な資産である」

 社会的共通資本、という言葉こそ使われませんでしたが、平和を守ることの意味を非常に大切なことと強調されたのです。ヨハネ・パウロ2世は全世界のこれまでまったく対立していた宗教の責任者の方々を回って歩き、そして歴史的な和解を実現されました。聖なる存在を神として敬う、そういう気持ちが宗教の原点にあるのだから、対象とする神は違ったとしても、神をもって自分たちが平和を守っていくという気持ちで結びつきたい、と考えておられたのです。

 話はちょっと脱線しますが、私には一つ欠点があって、それは酒を飲み過ぎることです。あるとき、ヨハネ・パウロ2世のお部屋でご馳走にあずかりました。ローマ法王庁のラベルが貼られたワインを美しい修道女が注いでくれ、ご馳走を前にした私はすっかりいい気分になってしまいました。その際、ヨハネ・パウロ2世が「教育や医療はどのようなルールで維持したらよいのか」とお聞きになりました。

 私は「教育も医療も、それぞれの職業的専門家が職業的なdiscipline(規範)にもとづいて、そして社会のすべての人たちが幸福になれることを願って、職業的な営為に従事することだ」と申し上げ、さらに「今、世界は人々の魂が荒れ、心が殺伐としている。あなたは人間の魂、心を守るという聖なる職業をされているのに黙っている。あなたはもっとはっきり主張しないといけない」と一席ぶってしまったのです。するとヨハネ・パウロ2世はニコニコしながら「この部屋(ローマ法王の部屋)で私に説教したのは、あなたがはじめてだ」といわれました。

 そのあとヨハネ・パウロ2世から、新しく作られた「レールム・ノヴァルム」のゴスペルを、自分の代理人として全世界に広めてほしいという旨の手紙をいただきました。Gospelというのは普通、ローマ教会の正式な考え方を集約したものですから、キリスト教徒でもない私にとっては荷が重過ぎる、と申し上げてお断りしたのですが、後になって手紙の「gospel」の頭文字が小文字だったことに気がつきました。大文字のゴスペルはローマ教会の公的な考え方を強調したもので、小文字のゴスペルは単なる信条みたいなものですから、かなり意味合いが違うのです。しかし、それからまもなくヨハネ・パウロ2世は他界されてしまい、失礼な返事をしてしまったことが悔やまれます。

 そして残念ながらそのあと、必ずしもヨハネ・パウロ2世が期待されたようなかたちでの、新しい世界秩序は生まれていません。それでも、資本主義と社会主義という二つの体制概念が、歴史的な役割を終えて変質あるいは崩壊する過程で、ローマ法王の重要な仕事を手伝うことができたのは、経済学者としてたいへん名誉なことでした。

デイリー新潮編集部