トランプ流「マッドマン」理論でイラン報復「封じ込め」できるか

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 米大統領選の年には毎回、「アメリカがイランと戦争を始めそうだ」という憶測がワシントンで流れる。ワシントンで最初に記者をしていた1990年代すでに、私がテヘラン特派員の経歴を持つことから、「イランを攻撃すれば、どんな報復があるか」と米政府当局者から聞かれたものだ。イランとの軍事衝突は、「最高司令官」である大統領への国民の支持を得る、スキャンダルから国民の目をそらし強い指導者像をアピールできる、などの動機が語られる。だが、これまでイランとの戦争はなかった。

 ドナルド・トランプ大統領が再選に臨む2020年は、イラン革命防衛隊の海外展開部隊「コッズ部隊」のカセム・ソレイマニ司令官の殺害で始まった。

 最高指導者のアリ・ハメネイ師の寵愛を受けるソレイマニ司令官だけでなく、イラクのシーア派民兵部隊「人民動員隊」のアブ・マフディ・ムハンディス副司令官を同時に殺害し、イラクやシリアのシーア派民兵組織の基地も攻撃して多数を殺害している。

 攻撃はイラン核合意からの離脱で始まった「最大限の圧力」が、戦争一歩手前の軍事オプションを実践する新段階に入ったことを意味する。イランの報復を抑え込めると判断した上での作戦遂行だが、この賭けが当たると見る専門家は少数派だ。ジェームズ・マティス前国防長官らトランプ氏の直情径行をいさめる「大人」が消え、イエスマンが固める政権の弱みが浮き彫りになる。

オバマ政権も殺害検討

 米国がイランへの軍事攻撃を躊躇してきたのは、イランによる本格的な反撃の恐れからだ。中東の大国イランとの戦争となれば、米国に大きな犠牲が出る。イラク、シリア、レバノンを中心に中東各地で展開するシーア派の「非対称型攻撃」は不気味だ。1979年にテヘランで起きた米外交官人質事件、1983年にレバノンで起きた米海兵隊基地への爆破テロや米国人の誘拐・拉致事件など、シーア派組織の恐ろしさは記憶に残る。中国やロシアはイランの後ろ盾となる。イランは核兵器開発を突き進める。米国が失うものは大き過ぎる。

 このため米国は、イランが本格的な反撃に出ない範囲での対イラン攻撃を、精力的に検討してきた。サイバー攻撃や経済制裁、反体制デモへの支援など、実弾を撃たない作戦は、効果が限られる。イランはサイバー攻撃への対抗部隊を創設したし、経済制裁だけでイランの無力化は実現しない。むしろイランは軍事的緊張を高めた。

 そこでトランプ政権は実弾を使う攻撃に移行した。実はジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ両政権もソレイマニ司令官の殺害計画を練ったが、頻繁に中東を移動する司令官の行動確認が難しいことや、イランの報復を恐れて断念していた。

 今回の攻撃のポイントは、米国がイランの反発、報復を抑え込めると判断したことだ。そこが過去の政権と決定的に違う。イラン核合意からの離脱もそうだが、この政権は戦略的な判断をする能力が弱い。

年末の3者協議

 トランプ政権は正当性を多方面から説明している。

 昨年12月27日にイラク・キルクークのイラク軍基地で米軍関係者がシーア派民兵組織のロケット攻撃で殺害された後、マイク・ポンペオ国務長官、マーク・エスパー国防長官が、トランプ大統領が滞在していたフロリダ州の別荘に集まり、この3者協議でソレイマニ司令官への攻撃が決まった。「もっとも極端な選択肢」として提示された司令官殺害は「戦争嫌い」のトランプ大統領がいったんは却下したが、バグダッドの米大使館が12月31日に襲撃された映像が司令官殺害決定へ心変わりを促した。この辺の判断をすぐに変えるあたりは、昨年6月に米無人偵察機の撃墜の報復攻撃を「10分前」に中止したのに通じる。決定を聞いて軍幹部は「仰天した」という。

 年が明けてソレイマニ司令官のイラク入りが判明、バグダッド国際空港での3日の殺害となった。トランプ大統領はゴルフ場で最終承認した。この作戦のために、ポンペオ長官は3日から予定していたウクライナなど5カ国への歴訪を2日に突然中止した。

 3者協議では、作戦の成功可能性とともに、イラン側の報復がどの程度になるか、国際法的に認められるのか、などが議題となった。

 作戦は、イランの国外で軍事作戦を担う軍人の殺害となる。対外的な軍事工作を任務とする司令官が、作戦指示のために訪れた外国の地で「敵国」の軍事オペレーションで殺害されるのは、いわば戦闘中の死亡・殉職と位置付けられる。国内で平和に暮らす市民が、いきなり侵攻してきた外国の軍隊に理由もなく殺されるのとは意味合いが異なる。

 直前にイラク・キルクークで米軍関係者がイラン系の民兵組織の攻撃で殺害されるなど、イランと米国の間では、イラクやシリア、レバノンで相互に攻撃し犠牲者を出す事態が続いていた。ソレイマニ司令官の殺害はその延長にあるという論理だ。イラン精鋭部隊の司令官殺害であるものの、主権の侵害が明白なイラン国内への攻撃ではない。

 国際法的には「米国人を守るための防衛措置」と主張することで、国連憲章が認める自衛権の行使であるとの弁明をしている。ソレイマニ司令官が具体的にどのような対米攻撃に着手しようとしていたかは明らかにしていないが、シリアやイラクでのシーア派民兵組織による対米攻撃をすべて同司令官が指揮しており、新たな攻撃がまもなく起きるという理由付けである。

イラン国内の溝

 イランも一枚岩ではない。自由裁量権を持ち、ハッサン・ロウハニ大統領やモハンマド・ジャバド・ザリフ外相が率いる対話派と、革命防衛隊が代表する強硬派との関係は複雑だから、その溝も米国は期待している。

 米メディアによると、3者協議では「司令官殺害でイランが報復として戦争を始めることはなく、イランの穏健派を力づける」と結論づけた。

 米国の過去の軍事作戦との比較で言うならば、相手国内への侵攻だったイラク戦争(2003年)でなく、アフリカの2つの米大使館爆破テロの報復として遂行したアフガニスタンとスーダンへのミサイル攻撃作戦(1998年)に近い。攻撃されたアルカイダのウサマ・ビンラディンは3年後に9・11テロという巨大な報復に出たが、アルカイダという国家を持たない国際テロ組織と、8000万人を超す人口と豊富なエネルギー資源を持つ大国イランは、政策決定に至る価値判断の基準が異なる。より合理的な判断、つまり米国との戦争という自爆的行為はとらないと見越したに違いない。

大統領選の文脈

 米大統領選の文脈で読めば、昨年夏以来続いていたイランやイラン系組織によるとみられるさまざまな攻撃に対する、初の米国の反撃で、中東政策での「弱腰」批判を封じ込められる。ジョン・ボルトン前大統領補佐官ら共和党内のタカ派が、シリア、アフガニスタンからの米軍撤退方針などトランプ政権の中東政策の「弱腰」を鋭く批判しており、イラン政策でもイラン側の「挑発」行動に打つ手がない政権をなじっていた。

 安倍晋三首相の訪イラン中に起きたペルシャ湾での2隻のタンカーへの攻撃(2019年6月)、米軍の無人偵察機の撃墜(同6月)、さらにサウジアラビアの石油施設への攻撃(同9月)で、トランプ大統領は「イランの責任」を断定しながらも、報復しなかった。イランとの軍事衝突を望む声は10%台にとどまるという米国民世論の厭戦観が背景にあるのだが、「戦争ができない米国」の足元を見て、イランは行動をエスカレートさせていった。

 大統領選と弾劾手続きはともにトランプ大統領に有利に展開しているものの、1980年の大統領選でテヘランの米大使館人質事件に翻弄されて落選したジミー・カーター元大統領の悪夢の再現も否定できない、との不安は常にある。

 エスパー国防長官は年末からのシーア派民兵組織によるイラクの米軍基地への攻撃やバグダッドの米大使館への襲撃を受けて、「ゲームのルールが変わった」と説明している。大統領選が本格化する今年の皮切りとして、強い行動をアピールする必要があるとの判断であろう。トランプ大統領は昨年11月に「イスラ-ム国」(IS)を創設したアブ・バクル・アル・バグダディ容疑者を特殊部隊が殺害した作戦に上機嫌で「成功体験」の再現を狙ったのかもしれない。

北朝鮮へのメッセージ

 もちろん、地政学的に見てイランが「シーア派の弧」構築をはじめじわじわと勢力を広げ、またロシアやトルコも中東での国益の拡大を模索する中で、米国の存在感を再度確認させたいという狙いがあるのは間違いない。中東とは大国のパワーがぶつかり合う主戦場であり続けるのだから、このままずるずると後退するのは米国の国益に合わない。

 もう1つ見逃せないのは、北朝鮮に対するメッセージでもあろう。非核化交渉の膠着化から、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は「新たな戦略兵器」の開発を目指すと年末の朝鮮労働党中央委総会で述べているが、米国の無人機を使った攻撃の破壊力は「斬首作戦」を金委員長に想起させ、結果的に慎重にならざるを得ないだろう。2003年のイラク戦争に驚き、北朝鮮は6カ国協議に臨む決断を下したが、米国の中東での軍事作戦は、北朝鮮を交渉の場に着かせる圧力となりうる。ただ、同時に北朝鮮の核保有の意志を固める結果にもなりそうだ。

 問題は今後の展開だ。

 米国はイラク在住の米国民に国外退去を指示し、米軍基地などに最大限の防衛態勢を命じるなど、イランの反撃への守りを固めている。予防的な措置としてイラン系の民兵組織への攻撃を今後も続けるとみられ、中東への米軍の増派を行い、イランへの「最大限の軍事圧力」をかける方針だ。

中東から追われる米国

 イランはハメネイ師が宣言した「激しい報復」を行うことになるが、米国との本格的戦争は避けるだろう。一定期間をかけて報復をじわじわと進める長期戦に出そうだ。中東の米軍施設、イスラエルやサウジアラビアなど米国の「同盟国」への攻撃、ペルシャ湾を通過するタンカーへの攻撃、サイバー攻撃などが挙げられている。核計画の本格再開も選択肢である。

 イランの究極の報復は、トランプ落選であろう。中東での米国民が被害を受ける形での軍事的混乱や油価の高騰による経済の混乱で、トランプ大統領の無策ぶりが浮き彫りになるような作戦を繰り返すのではないか。

 トランプ政権は増派を発表しているが、本心は中東撤退の方針である。小規模な軍事挑発で米国民の厭戦観を強めてその中東撤退を加速させることもイランの目的となるだろう。「米国のいない中東」が実現すれば、イランは一層この地域で影響力を発揮でき、それこそがまさにソレイマニ司令官の夢だったのだ。

マッドマン理論

 米国はイランとの対話の模索を強化せざるを得ない。司令官殺害では、限定的であれば軍事力を行使するという意志を明確にできたが、本格的な戦争には踏みだせない、という限界も裏腹に見せた。トランプ大統領は再選に向け、イラン問題を自らのシナリオで動かしている、という絵図を描く必要がある。そのためには、イランの報復を抑制する目的で対話の提案を加速する必要がある。

 トランプ大統領の外交理論は、予測不能な行動を意味する「マッドマン理論」と言われている。マッドマン理論とは、元来はリチャード・ニクソン大統領の統治手法を指しており、予測不能性を武器にディールを勝ち取る手法だ。ニクソンは米中和解、ソ連との緊張緩和(デタント)、そしてベトナム戦争の終結などの成果を生んだ。

 ソレイマニ司令官殺害は、マッドマン理論の実践のつもりであろう。大統領再選の見通しがつけば、その賭けは結実しディールの可能性が浮上する。1期で落選の公算が強まれば、イランは誘いを無視して世界の米軍施設への攻撃などを執拗に続け、米国を痛めつける。トランプ大統領には戦争の選択肢はない。司令官殺害は決定的な失策だったと烙印を押されないように、中東撤退を加速せざるを得ないだろう。

杉田弘毅
共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科講師なども務める。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)など。

Foresight 2020年1月7日掲載

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