故・シラク仏大統領「日本との出会いがあったからこそ当選できた」と発言

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玄人顔負けの美術品の目利き

 9月26日に亡くなった元フランス大統領のジャック・シラク氏は日本文化の愛好家で知られたが、日本との出会いがあったからこそ大統領になれた。それほど日本との絆は深かった。

 日本文化への造詣の深さで知られるシラク氏だが、正確には日本、朝鮮、中国、インドなどの歴史と文化を包含した東洋文明全体への敬意と愛着があった。その中で、日本との交流の中で育まれた太い人間関係もあって、日本文化への愛情はひときわ大きかった。

 同氏が東洋文明への興味をもったのは中学生時代だ。凱旋門に近いパリのギメ美術館で仏像に魅せられ、学校が終わると毎日のように通った。美術館の警備員と親しくなり、彼に頼まれて近くのカフェに使い走りをし、エスプレッソのカップを届ける代わりに、ただで美術館への出入りが認められるようになる。警備員はそんなシラク氏を、美術館に足しげく通う東洋美術に詳しい亡命ロシア人に引き合わせた。

 ロシア革命でフランスに亡命したこの帝政ロシアの元外交官は当時60代。自宅アパートでシラク氏にサンスクリットやロシア語を教え、その合間にインドや中国、日本などの東洋美術の素晴らしさを話してくれた。

「ロシア語とサンスクリットは全くものにならなかったが、東洋文明について学んだことは私の血となり肉となった」とシラク氏は語っている。シラク氏が専門家も舌を巻く玄人顔負けの美術品の目利きとなるのは、この時の経験が基礎となっている。

 その中で日本との出会いがあった。シラク氏の来日回数は50回を超えているが、60年代に初来日したとき奈良を訪れ、法隆寺で百済観音と対面した。「ひと目見て私は衝撃を受け、日本にたちまち魅了された」と語っている。この百済観音をフランスに持ってくるのがシラク氏の長年の夢となる。

 これを実現したのが大統領だった1997年だった。カウンターパートは朋友の橋本龍太郎首相。この年の「フランスにおける日本年」の目玉企画としてフランスで展示したいという大統領に、橋本首相もフランス政府の要望に応えるよう関係者に強く要請した。こうして門外不出の百済観音のルーブル美術館での展示が実現した。

 シラク氏は日本の政治家や財界人によく「万葉集は世界で三指に入る詩集の最高傑作だ。日本は誇るべき世界文学をもっている」と述べている。また相撲を「精神性の極めて高い伝統競技」と絶賛し、その入れ込みようは並みでなかった。2000年7月の名古屋場所から、大相撲の優勝力士に贈る「フランス大統領杯」を新設した。この新設式をとり行うため、九州・沖縄サミット出席前にわざわざ名古屋場所に足を運んだ。この「フランス大統領杯」は現在も「日仏友好杯」として続いている。

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