「文科省」「入管」「自治体」「学校」ブータン留学生を食い物にする「日本」の罪(上) 「人手不足」と外国人(36)

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 梅雨の雨が降り注いでいた7月16日――。時刻は正午を過ぎていたが、ブータン人留学生のダワ君(仮名・20代)は千葉県船橋市内のアパートで、布団に横たわったままだった。宅配便の仕分け現場で徹夜のアルバイトをこなした後、2時間ほど前に眠ったばかりなのだ。

「ダワ!」

 名前を呼ばれ目を覚ますと、部屋の入り口にルームメイトのタンディン君(仮名)が立っていた。普段は明るい彼の表情が沈んでいる。

 アパートはタンディン君らブータン人留学生3人とシェアしている。彼とは今朝、アルバイトから戻った後に言葉を交わした。在籍する日本語学校から「留学ビザの更新結果が出た」との連絡を受け、ダワ君と入れ違いにアパートを後にしていた。

「ビザは更新できたのか?」

 母国語のゾンカ語で話かけると、タンディン君がポツリと漏らした。

「いや、ダメだった。ブータンに帰ることになった……」

「えっ!」

 驚いて布団から飛び起きた。いつ入ってきたのか、台所には日本人4人の姿がある。

「日本語学校の人たちだよ。20分で準備して、空港に行かなくちゃならない」

 タンディン君の言葉を聞き、ダワ君は状況を悟った。

(強制送還だ!)

 彼の周囲では、ビザの更新ができず、在籍先の日本語学校から強制送還となる留学生が相次いでいたからだ。

「留学生30万人計画」のために

「幸せの国」ブータンは、今年8月に秋篠宮家が訪問したことで注目を集めた。しかし、そのブータンから「留学生」として日本へと送り出された若者たちが味わい続けている苦しみについて、大半の日本人は知らない。

 本連載ではブータン人留学生問題に関し、昨年8月から継続して取り上げてきた。この問題には、安倍政権が成長戦略として進める「留学生30万人計画」の闇が凝縮していると考えるからだ。簡単に経緯を振り返っておこう。

 ブータンでは、若者の失業が大きな社会問題となっている。そこでブータン政府は2017年、失業対策として日本への留学生の送り出しを始めた。日本には近年、ベトナムなどアジアの新興国から出稼ぎ目的の留学生が押し寄せている。そうした実態に目をつけ、ブータンは政府ぐるみで日本への留学制度「学び・稼ぐプログラム」(The Learn and Earn Program)を立ち上げた。

 同プログラムを中心となって進めたのは、ブータン労働人材省と現地の留学斡旋業者「ブータン・エンプロイメント・オーバーシーズ」(BEO)である(『「幸せの国」ブータン留学生の「不幸せ」な実態(2)』2018年8月27日参照)。

「日本に留学すれば勉強しながら稼げ、しかも日本語学校を卒業すれば大学院進学や就職も簡単にできる」

 そんなプログラムの宣伝文句に惹かれ、人口約80万の小国から、わずか1年間で700人以上の若者がブータンから日本へと留学していった。

 彼らは留学費用を借金に頼っていた。その額は、留学先の日本語学校に支払う初年度の学費などで「70万ニュルタム」に上る。為替が円高に振れた現在では105万円程度だが、大卒の若手公務員の給与が月3万円ほどのブータンではかなりの大金だ。しかも留学生たちは仕送りが見込めず、翌年分の学費はアルバイトで稼がなければならない。

 こうした経済力のない外国人は、本来であれば日本への留学は認められない。留学ビザは、アルバイトなしで日本での生活を送れる経費支弁能力のある外国人にのみ発給される原則なのだ。しかし、ルールを守っていれば「留学生30万人計画」は達成できない。同計画の“裏テーマ”である「底辺労働者の確保」も見込めず、留学生アルバイト頼みの職種で人手不足がさらに悪化する。そのため日本政府は原則を無視して、ビザの大盤振る舞いを続けてきた。

 結果、ブータン人たちに数々の悲劇が起きていく。借金返済に追われるなか、ある青年は自ら命を絶った(『ブータン留学生の「自殺」が暴いた「深く暗い闇」(上)』2019年1月21日)。

 アルバイト漬けの生活で、体調を壊す留学生も続出した。病に倒れ、約1年にわたって昏睡状態が続く女子学生もいる。「簡単」だと宣伝された進学や就職が果たせず、借金を抱えたままブータンへと帰国した留学生も数多い。

「抑圧」と「搾取」

 前回の連載(『「食い物」にされ続ける「幸せの国」ブータン留学生の「惨状」』2019年6月24日)では、ブータンで斡旋業者の責任追求に乗り出した留学生と親たちのグループの活動と、頑なに「学び・稼ぐプログラム」の失敗を認めようとしない同国政府側の対立について書いた。その後、ブータンで大きな動きがあった。

 まず6月27日、留学生と親のグループがBEOを刑事告訴した。そして約1カ月を経た7月30日、BEO経営者であるジュルミ・ツェワン氏らが王立ブータン警察によって逮捕されたのだ。容疑は文書偽造である。

 BEOは、日本へ留学生を送り出す免許の取得過程に問題があったと政府の反汚職委員会から指摘され、すでに業務の停止処分を受けていた。ただし、それ以上の処罰は下っていなかった。BEOを追及すれば、プログラムを一体になって進めた労働人材省幹部の罪も問われることになる。しかし、幹部は現政権とも関係が深い。そのため政府はBEOに甘い処分しか下さず、同プログラムも「成功」だったと強弁していた。そんななか、ツェワン氏らが逮捕され、関係者の間では衝撃が走った。

 BEO経営者らの逮捕後、同プログラムをめぐる報道がブータン国内で再燃した。とりわけ問題追及に熱心な現地紙『ブータニーズ』電子版には8月3日、2本の関連記事が載っている。

 うちの1本で〈局長〉(The DG=「局長」を表すDirector Generalの略字)と題されたコラムは、労働人材省で同プログラムを主導した「局長」について取り上げている。記事は実名報道していないが、同省のシェラブ・テンジン雇用人材局長を指すことは、関係者なら誰でもわかる。

 BEOへの免許を不正に与えた張本人がテンジン局長だ。同局長には、他にもインドへの労働者派遣に関する汚職疑惑が指摘されていた。さらに今年7月、日本で昏睡状態にある女子学生の家族が来日した際、労働人材大臣や政府の承認を得ず、BEOの日本側エージェントを務める一般社団法人「SND」の代表理事・遠藤峰盛氏(『ブータン留学生の「自殺」が暴いた「深く暗い闇」(中)』2019年1月21日参照)らに家族の世話を一任するという内容の公文書を発給して問題となった。そんな同局長の横暴ぶりを批判した記事である。

 そしてもう1本、昏睡状態の女子留学生の名前をタイトルに使った〈ソナム・タマンとLEP(学び・稼ぐプログラム)問題の本質〉というタイトルの記事は、一向にテンジン局長の罪を問う気配のない政府を断罪し、警察当局にこうエールを送っている。

〈政府が何もしようとしないなか、立ち上がったRBP(王立ブータン警察)は賞賛に値する〉

 こうした報道も影響したのかもしれない。8月23日、ついに司直が動いた。日本の検察に当たるブータン法務総裁事務局(OAG)が、テンジン局長を起訴したのである。昨年12月に反汚職委員会が同局長やBEOの不正を指摘する報告書を提出してから、9カ月という長い期間を経てのことだ。日本とインドに絡む容疑で、OAGは同局長に禁錮1~3年を求刑した。加えてインド問題に関し、前労働人材大臣と家族も同様に起訴された。ブータンにおいて「学び・稼ぐプログラム」は、政官の大物を巻き込む大スキャンダルに発展しているのだ。

 一方、これまで現地メディアには、日本側を非難する声はほとんどなかった。それが最近になって変化しつつある。

 7月27日の『ブータニーズ』電子版は〈学べも稼げもしない〉と題したコラムで、同プログラムの問題点を改めて指摘した。記事では、ブータン人留学生たちが日本で借金返済に追われながら勉強し、翌年分の学費を稼ぎ、さらには母国へと仕送りすることなど最初から不可能だったと強調される。そのうえで、非難の矛先を日本側にこう向ける。

〈「学び・稼ぐプログラム」の構造的な欠陥に加え、事態はエージェントや日本語学校の非倫理的な行為によってさらに悪化した。(中略)BEOの日本側パートナーであるSNDは、ブータン人留学生を日本語学校に斡旋し大きな手数料を得、さらにアルバイト代の一部までも徴収していたと非難されている。そして日本語学校も同様に留学生たちを抑圧し、搾取することを厭わなかった〉

 ブータンのメディアが日本語学校まで批判するのは珍しいが、具体的な事例までは述べられていない。

 ブータン人留学生の多くは今年3月に日本語学校を卒業し、日本から去っていった。大半は借金の返済が終わっておらず、膨らみ続ける金利の支払いもできない状況だ。筆者のもとにも、以前取材で出会った留学生たちから、悲鳴のようなメールが頻繁に届く。その一方で、今も日本に残るブータン人たちは、日本語学校などからの「抑圧」と「搾取」に喘いでいる。

ダワ君にも呼び出しが……

 話を4人のブータン人留学生が暮らす船橋のアパートに戻そう。

 アパートは最寄りのJR船橋駅から歩けばゆうに30分以上、自転車を飛ばしても10分かかる。古い公団住宅を思わせる5階建ての建物にはエレベーターもない。日本人の借り手がつかず、外国人を受け入れて維持されている典型的な物件だ。隣の部屋の住人はベトナム人らしく、ドアにベトナム語の張り紙がしてある。

 アパートの間取りは2DKで、家賃は月5万7000円だ。4人で住めば光熱費を入れても1人月2万円以下で収まり、日本語学校の寮よりも安い。4人は2人ずつ4畳半ほどの部屋に分かれ、スーパーで買ってきた安物の布団を敷いて生活している。

 しかし、そんな4人の暮らしも間もなく終わる。タンディン君がブータンへと強制送還になってしまうからだ。

 タンディン君は2018年4月、「学び・稼ぐプログラム」最後のグループの1人として来日した。当初取得したビザの在留期間は「1年3カ月」で、今年7月に更新を迎えていた。

 タンディン君は更新を楽観的に考えていたようだ。この日の朝も、ダワ君にこう言い残して日本語学校に向かっていた。

「夢で『ビザは更新される』という“お告げ”があったんだ」

 ブータンは敬虔な仏教国である。若者の間でも“お告げ”を真剣に信じる者が多い。

 しかし、ビザの更新はできなかった。タンディン君は「週28時間以内」の就労制限を大幅に超えて働いていた。コンビニ弁当の製造工場と宅配便の仕分けという、ともに夜勤のアルバイトをかけ持ちしてのことだ。そんな違法就労を入管当局が突き止め、ビザの更新を拒んだ。

 入国時に取得したビザの在留期間は、あと1週間ほど残っていた。せめて期限いっぱいアルバイトが続けられれば、借金返済の足しになっただろう。だが、日本語学校が許さなかった。学校側は更新不許可の事実をタンディン君に告げた後、すぐにアパートに戻り、荷物をまとめるよう命じた。職員たちに取り囲まれ、逃げるわけにもいかない。学校側は当日午後の航空券まで用意していた。

 留学生ビザの更新手続きは、在籍する学校を通じてなされる。更新の可否も、留学生本人ではなく学校に届く。航空券を手配していたことからも、タンディン君の日本語学校には入管から事前に「更新不許可」の連絡が届いていたのだろう。しかし、タンディン君には結果を告げず、航空券購入の事実も隠して学校へと呼び出した。計画的に強制送還するためである。

 留学生の強制送還は全国各地の日本語学校で横行している。騙して学校に呼び出し、その場で拘束して空港まで連行するケースも多い。最近では、強制送還を代行する民間業者まで現れたほどだ。

 日本語学校としては、ビザを更新できなかった留学生が失踪し、不法残留されては困る。学校側の責任が問われ、入管当局からの監視が強まるからだ。そうなれば、新たに受け入れる留学生の数が減って、自らのビジネスに影響が出る。

 だから更新不許可となった留学生は、手段を選ばず母国へと送り返そうと努める。もちろん、違法就労した留学生にも非はある。とはいえ、有無を言わさぬ「強制送還」は、明白な人権侵害である。

 4人の日本語学校職員に囲まれ、急いで荷物をまとめるタンディン君の姿を、ダワ君はただ見守るしかなかった。

「彼は友だちやブータンの家族に電話していました。その口元はブルブルと震えていた」

 アパートで数カ月を一緒に過ごしたタンディン君が、職員らと部屋を後にしていく。彼らは空港までタンディン君を連れていき、出国ゲートをくぐるまで見届ける役目なのだ。

 タンディン君が去った部屋で、ダワ君は1人呆然となっていた。専門学校に通う彼自身もビザ更新の問題を抱えている。3日後の7月19日には、入管に出頭することになっていた。タンディン君と同様、「週28時間以内」を超える違法就労が発覚した可能性が高かった。(つづく)

出井康博
1965年、岡山県生れ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『日経ウィークリー』記者、米国黒人問題専門のシンクタンク「政治経済研究ジョイント・センター」(ワシントンDC)を経てフリーに。著書に、本サイト連載を大幅加筆した『ルポ ニッポン絶望工場」(講談社+α新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『松下政経塾とは何か』(新潮新書)など。最新刊は『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』(角川新書)

Foresight 2019年9月5日掲載

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