自衛隊は「戦力」ではない! 国際政治学者が「不毛な神学論争」に終止符を打つ

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 今後、政局の焦点となってくるであろう憲法改正。安倍総理が目指している憲法改正の「目玉」とされるのが、「自衛隊を正しく憲法の中に位置づけること」だ。

 憲法9条第2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という文言がある。この文言ゆえに、「自衛隊はまぎれもない『戦力』だから、そもそも自衛隊は違憲だ」という議論が、ことあるごとに噴出してくる。こうした議論に決着をつけるために、安倍総理は自衛隊に関する文言を憲法の中に盛り込み、憲法解釈に誤解が生じないようにすることを意図しているようだ。

 じつは、憲法学者の間でも、自衛隊の憲法上の位置づけについては議論が割れている。そもそも自衛隊違憲論をとる人もいる一方で、自衛隊は合憲であるという政府見解を受け入れている人も少なくない。ただし、「アベ改憲には反対!」という部分では、多くの憲法学者が大同団結している、というのが現状だ。

 こうした自衛隊の憲法上の位置づけを巡る混乱の原因に、「憲法の『戦力』という言葉を巡る二重の誤解がある」と指摘する国際政治学者がいる。戦後の憲法学「通説」を徹底的に批判した『憲法学の病』の著者、篠田英朗東京外国語大学教授である。

禁止されているのは「国権の発動としての戦争」だけ

 篠田教授は言う。

「日本国憲法が放棄しているのは、『国権の発動としての戦争』です。そもそも論で言えば、1928年の不戦条約以降、国際社会では『戦争は違法』ということになっていますから、『国権の発動としての戦争』を仕掛けるための『戦力』は、どんな国でも持ってはいけないのです。『戦力』を禁じられているのは日本だけじゃない」

 それでも、世界中のあらゆる国に軍隊が存在しているが、これは違法ということにはならないのだろうか。

「なりません。なぜなら、国際法上は、世界の平和を維持するための集団安全保障措置、ないしは個別的・集団的自衛権の行使のための軍隊を持つことは合法だからです。というよりも、集団安全保障措置に参加することは、国連加盟国の責務ですらあります。
『戦力』を持つことは禁止されていても、自衛権を行使するための潜在能力を持つことは違法ではない。軍隊=戦力ではないんです。自衛隊は『戦力』ではなく、その名の通り『自衛権を行使するための潜在能力』ですから、国際法的にはまったく問題ない。自衛隊を『戦力』と解することが、国際法の観点から見ると、そもそも誤解なんです」

「戦力」という曖昧な言葉の罪

 それに加えてもう一つ問題なのが、憲法に記されたその「戦力」という言葉の曖昧さだ。

「憲法に『戦力』として記されている言葉は、制定時の英文では『war potential』と記されています。字義通りに訳せば、『戦争潜在能力』です。これをなぜか、憲法制定当時の日本人は『戦力』という、極めて曖昧かつ一般的に使われる言葉に訳してしまった。これによって、その後に大きな混乱が生じました。
 私は広島カープのファンですが、『カープから丸選手が移籍した巨人の戦力は大幅アップした』なんて表現を、世間でも普通に使いますよね(笑)。だれもが勝手にイメージできる言葉を憲法に載せてしまったが故に、『自衛隊は戦力かどうか』を巡って、憲法学の神学論争が続くことになってしまいました。英語を文字通り訳して、『戦争潜在能力』という言い方をしていたら、憲法と国際法の連動が意識されて、こうした混乱は避けられていたかもしれません」

 それでも、「『戦力』を侵略目的とそうでないものに区別するのは不可能」「攻撃的兵器と防御的兵器を区別することは難しい」といった議論は生まれたかもしれない。実際、戦後を代表する憲法学者の中にも、そう主張している人がいる。

「それはまさに『戦力』という言葉の曖昧なイメージにひきつけられた印象論と言わざるを得ませんね。
 おなじモノであっても、目的によってそのモノの位置づけは変わります。人を殺傷するためだと明言して保有されている刀剣は凶器であり、公権力が取り上げて当然ですが、美術品として鑑賞することを目的に保有された刀剣は違法所有物ではない。目的の宣明を行って、所定の法的手続きをすればいいだけです。
 陸海空軍についても、違法行為である戦争を行う潜在能力(war potential)でないことを宣言し、必要な法的措置をこうじれば、違憲存在でないことは確定するのです」

 要するに、「憲法学ムラ」では議論がかまびすしいものの、自衛隊の「合憲性」は現状でも明確だ、というのである。「改憲によって、自衛隊の扱いに誤解が無いように憲法解釈を確定させることには意味があると思いますが、より重要なのは、ガラパゴス化した憲法学界の常識にとらわれず、憲法を国際法に則した自然な形で解釈するようにすることです」(篠田氏)。

 改憲論議の行方がどうなるにせよ、不毛な神学論争には、はやく終止符を打ってもらいたいものだ。

デイリー新潮編集部

2019年8月17日掲載

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