右翼も左翼も盲信するな! 「憲法で戦争を放棄した世界唯一の国・日本」という大ウソ

政治2019年8月14日掲載

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 先頃の参議院選挙の結果、いわゆる「改憲勢力」は参議院で数を減らしたとはいえ、いまだ3分の2に迫る議席を占めている。衆議院では依然「改憲勢力」が3分の2を超えており、政権の「レガシー」を意識する時期にさしかかった安倍総理の意向も加わって、今後は憲法改正が具体的な日程に上がってくることだろう。

 憲法改正の焦点はもちろん、憲法9条の扱いだ。

 左派系は通常、「日本は憲法9条であらゆる武力行使を禁じている。この規程は、今後すべての国が進むべき方向を示した、世界に冠たるものだ。よって9条は絶対に改正すべきでない」と絶叫する。いわゆる護憲派の中には、「憲法9条を世界遺産に」などと言う向きまである。

 一方で右派も「アメリカに押しつけられた憲法9条の『交戦権否認』によって、日本は主権国家として当然の『武力行使の権利』を奪われた。その異常な状態を排し、日本も武力を行使できる『普通の国』になるべきだ」との論理を駆使する。

 たとえば、戦後を代表する保守論客の江藤淳には『一九四六年憲法──その拘束』という憲法を論じた著作があるが、その中で江藤はこんなことを言っている。

「もし米国が、憲法第9条2項の『交戦権』否認が、日本の主権行使を少なからず拘束している現実を認めるならば、米国はおそらくこの”主権制限条項”が、なによりもまず対日不信の象徴であることを認めるはずである」

 要するに江藤は、「日本以外の国は『交戦権』という国家主権を持っている」「その主権国家としての当然の権利を日本はアメリカに奪われた」と考えていたわけだ。

 しかし、こうした認識に対し、「左派も右派も、戦後のガラパゴス的な憲法学がもたらした『ウソ』を前提にしている点では一緒。そもそもの前提が間違っている」と指摘する国際政治学者がいる。先頃、『憲法学の病』を出版して、戦後の憲法学の「通説」に徹底的な批判を加えた東京外国語大学の篠田英朗教授だ。

アメリカにもロシアにも中国にも「交戦権」はない!

 篠田教授が続ける。

「右派も左派も、『交戦権の否認』を何か特別なことのように語りますが、これは『国際社会の常識』を追認した規程に過ぎません。

 1928年の不戦条約において、『戦争』なるものは違法化されました。戦争が違法化された以上、主権国家の権利としての『交戦権』なるものも存在しなくなった。だから、アメリカにもロシアにも中国にも『交戦権はない』のです。

 ただ、戦前の日本は国際的な合意を無視して勝手に中国を侵略したりしたので、戦後すぐに作られた憲法ではわざわざ、『国際社会では交戦権というものはもう存在していないんだよ』という確認の事項を入れた。それが9条2項の『国の交戦権は、これを認めない』という文言なのです」

 要するに、本来は「言わずもがな」のことなのだけれど、国際法に違反した日本に対する「念押し」としてこの文言が入れられた、というわけだ。

自衛権の意義に個別的も集団的もない

 それでも、実際の世界においては、「戦争」に類する事態はつねに起こっている。武力を行使しなければならない局面も少なくない。では、どういう場合なら、武力の行使は正当化されるのだろうか。

「国際法の観点から言えば、武力の行使が認められるのは、国際社会の平和を維持したり、他国からの侵略を防御したりする場合に限られます。そうした場合の武力行使は国連による集団安全保障の措置、または自衛権の行使として正当化されるのです。

 この場合の『自衛権』の意義に、国連憲章では個別的と集団的の区別はありません(51条)。平和安全法制の審議の際、日本では集団的自衛権の方だけ切り離して議論が紛糾していましたが、国際法の観点でいえばナンセンスです」

 逆に言えば、国際社会の平和を維持したり、個別的であれ集団的であれ自衛権を行使するための武力を持つことには、日本が国連加盟国である以上、国際法上の制限はない、というわけだ。篠田教授が続ける。

「実は、日本国憲法の文言には、不戦条約、国連憲章、アメリカ独立宣言などからの『コピペ』がそこかしこに溢れています。その事実が示しているように、日本国憲法は本来、『戦争を放棄した世界唯一の国としての日本』をうたうガラパゴス的な経典ではなく、国際社会との協調を目指した『グローバルスタンダードの法典』なのです。憲法の前文には『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』とちゃんと書いてあります。憲法9条も、こうした前文に記された意図に従って読むべきです」

 日本国憲法は「特殊」ではなく、国際的に見ればむしろ「普通」なのだ。

「ガラパゴス化した戦後の憲法学は、こうした憲法の国際主義的な性格を徹底的に消し去ろうとしましたが、もはやその誤魔化しは通用しない。その誤魔化しが、『国際社会において、名誉ある地位を占めたい』日本の施策を、ことごとく阻んできたからです。先頃の平和安全法制の審議の際には、日本の国際貢献のあり方を問うという本筋の議論そっちのけで、『戦争法案』という現実離れしたレッテルを巡って議論が百出しました。こうした不毛な議論は、いい加減にやめなければなりません。憲法改正の是非は人によって異なるでしょうが、これまで『ガラパゴス憲法学』によって隠されていた、日本国憲法本来の『国際主義的な性格』は、絶対に取り戻すべきです」

デイリー新潮編集部