林真理子が語る田辺聖子さん「先生には本当に可愛がっていただきました」

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 昭和から平成にかけて活躍した作家、田辺聖子さんが6月6日に胆管炎のため神戸市内の病院で逝去した。享年91。

「先生には、本当に可愛がっていただきました」

 こう振り返るのは、田辺聖子文学館ジュニア文学賞で選考委員を務める、作家の林真理子さんだ。この文学館は、2007年に田辺さんの母校・大阪樟蔭女子大学の創立90周年を記念して設立された。林さんが続ける。

「昔から先生の大ファンで、初めてお会いした時に“先生の作品はどれも好きですが、『花狩』が一番好きです”と打ち明けると、“昔の作品も読んでくれているのね”と、笑顔を見せてくれました」

『花狩』の初版は1958年。大正から昭和の敗戦までの大阪を舞台に、メリヤス工場で働く女性の波乱の人生を描いている。

「それまで女性作家の描く小説は、女性や子供の読み物と思われがちでした。先生が『花狩』で大阪弁の男女の軽妙なやり取りを通じて、文学にまで昇華させた功績は大きいと思います」

 田辺さんは功績が認められて1995年に紫綬褒章、2008年に文化勲章を受章している。

「先生の周りには業種の異なる女性たちがたくさん集まり、“聖子会”を結成していたのです。私も何度か参加させていただき、ご自宅に泊まったことも。夕食後、ご自宅近くのスナックへ連れて行ってもらいました。そこで先生とご主人(医師の川野純夫さん・故人)が仲睦まじく『昭和枯れすすき』をデュエットしていたのが印象的でしたね」(同)

 また、田辺さんと同じ兵庫県伊丹市内に住む、作家の宮本輝さんはこんな談話を発表した。

〈わたしにとっては、大先輩であると同時に、深い古典の教養を教えて下さる大教師でもありました。源氏物語を誰もが楽しめるわかりやすい物語として多くの読者に提供すると同時に、滋味に満ちた厖大な田辺文学を生みだされた功績は、実におおきかったと思います。今は、仲のよかった飲みともだちに去られてしまったという寂しさのなかにいます〉

 泉下の人になっても、後世に残る田辺文学。天国でも執筆を続け、ご主人と一緒にマイクを握っているか。

週刊新潮 2019年6月20日号掲載

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