伝統の全日本柔道で初の“両者反則失格”、前代未聞の珍事はなぜ起きたのか

スポーツ2019年5月3日掲載

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 戦前から戦後を跨ぐ伝説の柔道家・木村政彦(1917〜1993)と石川隆彦(1917〜2008)が死闘の末、双方引分け優勝した第2回大会(1949年)、山下泰裕(61)=ロス五輪金メダル/日本オリンピック委員会(JOC)会長[内定]・全日本柔道連盟の会長=が、斉藤仁(1961〜2015)=ロス五輪、・ソウル五輪で金メダル=との激戦で9連覇を達成した第37回大会(1985年)など、数々のドラマを築き71年の歴史がある全日本柔道選手権大会で初の事態が起きた。(文/粟野仁雄)

 体重無差別で「真の柔道日本一」を決める同選手権は、今年も昭和天皇生誕日の4月29日に日本武道館で、全国各地区の代表と推薦選手による42人が勝ち抜きトーナメントを戦った。優勝候補の王子谷剛志(26=旭化成)と原沢久喜(26=百五銀行)が準決勝で敗退。決勝はウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)とベテラン加藤博剛(33=千葉県警)という、無差別では小柄同士の戦いとなりアロンが「支え釣込み足」で加藤を制して初優勝した。

 最重量選手らの不甲斐なさに不安を残したこの大会で、異例の出来事はベテランの熊代佑輔(30=ALSOK)と若手ホープの佐藤和哉(24=日本製鉄)の3回戦で起きた。

 この2人、ともに東京が拠点のため、よく合同練習をし、手の内を知り尽くすためか、互いに返し技を警戒して技が出ない。組手争いばかりでさっぱり組まず、組んでも技をかけない。そんな中、主審は試合開始から1分ほどで「両者指導」を2回取った。現在の国際ルールでは、消極性には指導が与えられ、3回の指導で失格し反則負けとなる。

 4分間の「本割」の試合時間を終えてGS(ゴールデンスコア=片方が有効以上のポイントを取った時点で勝負が決まる延長戦)に入るが様子は変わらない。業を煮やした主審は試合を止めて再開させたが、さっぱり技を出さない。延長1分43秒、再び試合を止めた主審は、腕をくるくる回して両者を交互に指さして「反則負け」と宣言した。ともに3回目の指導で敗退だ。「えーっ」と場内はどよめいた。

 この試合の勝者は次の準々決勝で、全日本6度の優勝者でバルセロナ五輪銀メダリストの小川直也(51)の子息・小川雄勢(22=パーク24)と当たるはずだった。筆者は慌てて広報担当に「小川は不戦勝になるのですか?」と確認した。ちなみに小川は、これで準々決勝を不戦勝したが、準決勝でアロンに投げられて負けた。

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