「台湾総統選」出馬! テリー・ゴウの「大衆熱狂術」

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 鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)董事長が、2020年1月に実施予定の台湾総統選挙に、最大野党・国民党からの出馬を表明した。世新大学(台北市)が4月19日までに実施した世論調査では、現職の蔡英文総統には20ポイント強の大差を付けている。郭氏にとってシャープ買収はゴールではなく、野望への第一歩だった。

雇用創出力は政治力

 「今太閤」。郭氏の台湾におけるポジションを言い表すなら、かつて日本で田中角栄氏を指したこの言葉が、もっともふさわしい。

 郭氏の父親は中国山西省出身の警察官で、国共内戦で国民党軍とともに戦った。母親からの借金を元手に1974年、台北郊外で白黒テレビ用のプラスチック製選局つまみの製造を始めた。これがホンハイグループの始まりである。その会社は昨年、5兆台湾ドル(1620億ドル、約17兆8000億円)の売り上げを記録した。日立製作所とソニーを足した規模である。

 皮肉なことにホンハイを育てたのは日本の電機大手だ。バブル経済が崩壊した後の1990年代後半、ソニー、パナソニックといった日本の電機大手はコスト削減のため、製造部門のアウトソーシングを始めた。最初は国内の工場でクリスタルなどの請負、派遣業者を使っていたが、それで間に合わなくなると、海外にリソースを求めた。これを一手に引き受けたのがホンハイである。

 組み立てる製品はテレビ、家庭用ゲーム機、パソコンと移り変わり、パソコンではデル、コンパックといった米国の大手も加わった。大きな転機は2007年。米アップルが発売したスマートフォン「iPhone」の製造を受託したことだった。工場を持たないアップルにとって、ホンハイはまさに「手と足」であり、アップルの快進撃に合わせてホンハイもまた巨大化していった。

 その過程で、郭氏は起業家としては類稀な政治手腕を発揮する。アップルやデルといったアメリカIT企業のハイテク製品を中国で組み立てたのである。「世界の工場」になった中国の労働力は魅力だが、「独資」すなわち外資による単独出資を認めない中国に、アップルやデルが自前の工場を持つのは難しい。郭氏は、米国、中国の双方に出入り可能な「半導体」の特性を持つホンハイを使って、米国のハイテク産業と中国の労働力を結びつけたのだ。

 中国では「富士康(Foxconn)」を名乗るホンハイの本拠地(広東省深圳)を訪れた者は、一様にその巨大さに度肝を抜かれる。工場は宝安区龍華と宝安区観瀾の2カ所に分かれ、それぞれで約20万人が働いている。総勢40万人が働く工場は都市そのものであり、敷地内には病院、銀行、消防署がある。

 「iPhone」の主力工場は2011年8月から河南省鄭州に移転しており、中国の9都市13工場で、提携工場を含めると約80万人の雇用を支えている。その他のアジアや中南米にも生産拠点を持ち、世界の従業員数は100万人近くいる。日本の従業員数トップ3、トヨタ自動車、日立製作所、NTTを足した数をはるかに上回る規模である。

 雇用創出力はすなわち政治力である。中国の習近平国家主席は、郭氏と1対1で何度も会い、中国における雇用から台湾の政治に至るまで、様々な問題を話し合っているという。ドナルド・トランプ氏が米国の大統領になった時には、ソフトバンクの孫正義社長とともに真っ先にワシントンに飛び、米国での雇用創出をアピールした。米国ではウィスコンシン州に1万人以上の雇用を生む巨大な製造拠点を建設する約束もしている。

 「雇用」を武器に、現代の2大超大国である中国と米国にとって「なくてはならない企業」になる。郭氏には、台湾という地政学上、極めて複雑な場所で生まれた企業で培ったバランス感覚が備わっている。その感覚は政治においても有効だろう。

ワンフレーズで耳目を引き寄せる手法

 実業家出身というので、郭氏をトランプ大統領に重ねる向きもあるが、経営者としての力量は、売上高約17兆8000億円、従業員数約100万人の郭氏の方が圧倒的に上だ。ただし、大衆を引きつける手腕という意味では、トランプ氏に通じるものがある。

 シャープの買収交渉が佳境を迎えていた2016年2月、郭氏は電撃的に大阪市のシャープ本社を訪れた。入り口で待ち構えた報道陣に「午後3時に会おう」といって、シャープ本社に入った郭氏だったが、約束の時間を過ぎても一向に姿を現さない。寒空の下で凍える報道陣を見かねて、シャープの広報は本社の会議室に入れた。

 報道陣が待っているのは郭氏であり、「買われるかもしれない」シャープが会場を提供するいわれはないのだが、寒さゆえの人道的な対応だった。だが高橋興三社長(当時)らとの会談は8時間を超え、待ちくたびれた報道陣に衝撃的な情報がもたらされる。

 「郭会長は台湾に帰ったらしい」

 交渉が思うように進まず、怒った郭氏は報道陣との約束をすっぽかし、飛行機に乗って帰ってしまったのだ。かわいそうなのは報道陣に怒りの矛先を向けられたシャープの広報である。

 「いったい、どうなってるんだ!」

 「そんなこと言われても」

 このやり方は今も同じだ。4月16日、米国の台湾関係法の制定40周年を記念する地域安全保障に関する会議に、郭氏はホンハイと国民党のロゴをあしらった野球帽をかぶって出席した。

 最初は台湾の現体制をこき下ろして上機嫌だった郭氏だが、会議にパネリストとして参加した与党・民進党の女性国会議員に、「台湾の経済にとって、米国と中国のどちらがより重要だと考えるか」と尋ねられると、突然、激高。「こんな会議には出ていられない。これが民進党の有り様だ。ホワイトハウスに伝える」と、席を蹴って出て行った。

 こうしたパフォーマンスがメディアの大好物であり、自分に注目が集まることを郭氏は知っている。

 すっぽかすばかりではない。2017年、シャープを傘下に収めた郭氏は中国広州にシャープの最先端技術を使った巨大な液晶パネル工場を建設する計画を打ち出した。鍬入れ式の式典には中国メディアを中心に100人を超える報道陣が詰めかけた。

 式典が終わると、郭氏は報道陣を引き連れて展示室を練り歩き、中国のテレビ局のカメラに向かい1時間以上に渡ってシャープの技術の素晴らしさをまくし立てた。ちょうどこの時、日本では粉飾決算と米国原発事業の失敗で経営危機を迎えていた東芝の再建が大問題になっていた。

 何とかしてガードや囲むマスコミを潜り抜け、大声で私は郭氏こう尋ねた。

 「シャープに続いて東芝を買収する意思はありますか」

 すると郭氏はつかつかとこちらにやってきてにっこり笑い、

 「買うよ。買うとも。大いに興味があるね」

 と言うと、「いい質問だった。ありがとう。日本からわざわざ、ようこそ」と、郭氏は握手を求めてきた。

 「ホンハイ会長、東芝買収にも意欲」

 『フォーサイト』に掲載されたこのやり取りは、様々なメディアに転電され、あっという間に世界に広がった(速報:「東芝も俺が買う!」吠える鴻海テリー・ゴウ会長。中国から実況生中継! 2017年3月1日)。

 実際、ホンハイは東芝メモリの買収に強い意欲を示したが、経産省などの意向もあって実現しなかった。だが、ワンフレーズで世界の耳目を引き寄せる手法は、ツイッターで世界のメディアを翻弄するトランプ氏とよく似ている。

 悪趣味でマナーが悪く、人を不快にすることを恐れない。しかし「大衆が何を望んでいるか」は知り尽くしており、がむしゃらに行動する。その姿がネットで増幅され、世界中に拡散する。トリックスターかもしれないが、郭氏がこのネット時代に、瞬間的に大衆を熱狂させる「技術」を持っていることだけは確かだ。

大西康之
経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生」(日本経済新聞)、「会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから」(日経BP)、「ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア 佐々木正」(新潮社)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」 (講談社現代新書)、「東芝 原子力敗戦」(文藝春秋)がある。

Foresight 2019年4月25日掲載

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