「移民元年」で日本人が直視するべき「労働現場」の真実

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 4月10日に拙著『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』(角川新書)を上梓した。その内容には、自殺者まで出たブータン人留学生をめぐる問題や、『朝日新聞』販売所で横行するベトナム人奨学生の違法就労、全国各地に広がる「留学生で町おこし」の欺瞞など、これまで本連載で取り上げたテーマも多く含まれる。

 連載が長期にわたって続き、こうして新著の出版が実現したのも、フォーサイト読者の方々の支えがあってのことだ。この場を借りて感謝の思いを伝えさせていただきたい。

“本丸”は留学生の動向

 私は2007年、当時は月刊誌だった『フォーサイト』で外国人労働者をテーマにした連載『2010年の開国 外国人労働者の現実と未来』を始めた(2007年8月号~2010年4月号まで全27回)。その際、とりわけ関心を持って取材したのが、外国人介護士の受け入れ問題である。

 翌08年、日本は経済連携協定(EPA)を通じ、インドネシアなど一部のアジア諸国から外国人介護士・看護師の受け入れを始めることが決まっていた。介護士らには、国家試験合格を条件として日本での定住、永住が認められる。日系人や日本人の配偶者、ホワイトカラーの専門職以外の外国人として、初めて日本で移民が誕生するかもしれない。私は日本が「移民国家」に向けて踏み出す重要な一歩だと捉え、外国人介護士の受け入れ問題を追いかけた。

 その後、ネットメディアとなった『フォーサイト』で、2014年に『「人手不足」と外国人』として連載を再開して以降は、主に留学生問題を中心に取り上げてきた。今回の新著のテーマも“偽装留学生”である。

 人手不足が深刻化するなか、日本は外国人労働者の受け入れを増やし続けている。その中心が「実習生」と「留学生」である。ともに受け入れ制度には様々な問題があるが、実習生については頻繁に取り上げる新聞やテレビも、留学生の置かれた実態はほとんど報じない。また、実習生には最長5年という就労制限が設けられているのに対し、留学生は就職によって移民への道も開かれる。外国人介護士問題と同様、「移民」という視点も私が留学生の受け入れに着目する理由の1つだ。

 政府は2019年度から、外国人労働者の受け入れ政策を大きく転換した。入管法改正(「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が4月1日から施行)によって、「特定技能」という新たな在留資格が設けられ、外国人が「単純労働」目的に入国できるようになる。もはや実習生と留学生だけでは人手不足が凌ぎ切れないと、政府が判断したのである。

 新元号の導入になぞらえ、メディアでは「移民元年」といった言葉も見かける。だが、新在留資格は移民の受け入れには直結しない。「特定技能」は「1号」と「2号」の2つの在留資格に分かれているが、1号は最長5年という就労上限がある。一方、永住も認められる2号は当面導入されない。「移民元年」の“本丸”は、新在留資格よりも留学生の動向なのである。

大幅に緩んだ「就労ビザの発給基準」

 留学生の数は、第2次安倍晋三政権が誕生した2012年末からの6年間で約16万人も増え、33万7000人を数えるまでになった。こうして急増した留学生の大半が、ベトナムなどアジア新興国から多額の借金を背負い、出稼ぎ目的で入国した“偽装留学生”であることは、本連載で繰り返し述べてきた。

“偽装留学生”は日本語学校に最長2年間まで在籍した後、専門学校や大学へ進学して出稼ぎを続ける。留学ビザを更新し、出稼ぎの権利を確保するためだ。営利目的で、学費さえ払えば日本語能力など問わず、“偽装留学生”を受け入れる学校は増えている。先日、東京福祉大学で、わずか1年間で約700人もの留学生が所在不明となっていることが判明したが、“偽装留学生”の受け入れは決して同大に限った問題ではない(「消えた留学生」問題に潜む安倍政権の「パンドラの箱」 2019年4月5日

 そんな“偽装留学生”が今後、続々と就職時期を迎えていく。その時期に合わせるように、政府は留学生の就職条件緩和策を打ち出した(外国人留学生「就職条件緩和」に潜む「優秀な人材」という欺瞞 2018年10月1日)。「留学生30万人計画」と並び安倍政権が「成長戦略」に掲げる留学生の就職率アップを実現するためだ。

 その後、政府は方針を引っ込め、2019年度にも導入が見込まれた就職条件緩和策は、今のところ実現していない。だが、今年3月に卒業時期を迎えた留学生に対し、就労ビザの発給基準が大幅に緩んだことは、取材を通じて断言できる。

 専門学校や大学を経ず、日本語学校の卒業と同時に日本で就職した留学生も数多い。日本語能力がなかろうが、専門職向けの在留資格「技術・人文知識・国際業務」(通称「技人国ビザ」)が得られている。「母国の大卒」という学歴を使ってのことだが、以前ではあり得なかった大盤振る舞いだ。

「技人国ビザ」の悪用

 技人国ビザは日本で就職する留学生の9割以上が取得する。在留期限には就職先となる企業の規模などによって「1年」から「5年」まで開きがあるが、ひとたび取得すれば更新は難しくない。つまり、留学生は実質的に日本で移民となる権利を得るに等しい。

 技人国ビザで日本に滞在する外国人は、2018年6月時点で21万2403人を数え、12年末から約10万人、17年6月からの1年間に限っても3万人以上も増えている。留学生の就職が増加した結果である。この数字こそ、日本が「移民国家」に向かっている大きな証と言える。ただし実態は、驚くほど杜撰なものだ。

 技人国ビザでは、「単純労働」には就けない。しかし、そのルールは必ずしも守られていない。ホワイトカラーの仕事をやるように見せかけてビザを取得し、実際には単純労働に従事する“偽装就職”が横行しているのだ。この問題は、2年前の本連載(増加する「偽装留学生」の「偽装就職」闇システム 2017年9月25日)でも取り上げたが、留学生の就職増を目指す政府の方針が、“偽装就職”の助長を招いている。

 私の取材協力者である“偽装留学生”たちも多くが今春、就職先を見つけた。あるベトナム人の女子留学生は、日本語学校時代のアルバイト先だった飲食チェーン店に就職した。そしてアルバイト当時と同じ仕事を店舗で担っている。彼女はベトナムの大学を卒業してはいるが、日本語は日常会話すら怪しいレベルである。

 この女子留学生の場合、就職斡旋業者を通さず仕事に就けたのは幸運だった。日本語能力に乏しい留学生は、ほとんどが業者に多額の手数料を払って技人国ビザを取得する。

 ブータン人留学生たちに対しては、斡旋業者が「40万円払えばビザが取れる」と営業をかけている。誘いを受ける留学生は多い。うちの1人は「ホテルで働ける」と言われていたが、実際に配属されたのは弁当の製造工場だった。業者の関連会社である人材派遣会社が、留学生を「通訳」として採用すると申請して技人国ビザを取り、提携先の弁当工場へと送り込んだのだ。こんなことが今、留学生の就職現場では当たり前のように起きている。

“偽装留学生”たちは、来日当初から日本で都合よく利用され続ける。徹夜で肉体労働に明け暮れ、しかも稼いだ金は学費として日本語学校などに吸い上げられる。母国で背負った借金はなかなか減らず、専門学校や大学に進学しても出稼ぎの目的も十分に果たせない。そして卒業時期を迎えると、今度は“偽装就職”ビジネスのターゲットになってしまうのだ。

 彼らは日本語能力を身につけておらず、就職してもキャリアアップは望めない。つまり、底辺労働に固定されることになる。低賃金の労働者を欲する企業にとっては、極めて望ましい話である。

“偽装留学生”の流入は止む気配がない。しかも“偽装就職”を通じて彼らを「移民化」する動きが加速している。すべて「人手不足」が影響してのことだ。

 だが、「人手不足」の正体とは何なのか。その問題に関し、突っ込んだ議論は全くなされていない。

“人権派”の思い上がり

 外国人労働者の受け入れ拡大が話題となっていた2018年後半、新聞やネットメディアでよく見かけた言葉がある。

〈我々は労働力を呼んだ。だが、やってきたのは人間だった〉

 1991年に亡くなったスイス人作家、マックス・フリッシュの言葉なのだという。政府の政策に批判的な“人権派”の有識者たちが金科玉条のごとく使った。『朝日新聞』2018年10月29日朝刊の「外国人労働者 『人』として受け入れよう」と題された社説も、フリッシュの言葉を用いてこう主張する。

〈外国人に頼らなければ、もはやこの国は成り立たない。その認識の下、同じ社会でともに生活する仲間として外国人を受け入れ、遇するべきだ。朝日新聞の社説はそう主張してきた。だが政府が進めようとしている政策は、こうした考えとは異なる。根底にある発想は旧態依然のままで、「共生」にほど遠いと言わざるを得ない〉

 入管法改正の国会論議では、主要野党も似た主張を展開した。つまり、“人権派”や野党は、外国人労働者の受け入れ拡大自体には反対せず、また人手不足の実態について精査することもなく、単に「共生」の中身を問題にしていたのだ。

〈外国人に頼らなければ、もはやこの国は成り立たない〉

『朝日新聞』が当たり前のように書くこの認識は、実は政府とも重なる。菅義偉官房長官も「外国人材の働きなくして日本経済は回らないところまで来ている」(『西日本新聞』電子版インタビュー 2018年8月23日)と述べている。

「外国人なしでは日本は成り立たない」という前提には、外国人が嫌いなはずの保守派からも異論が出ない。しかし、この前提は本当に正しいのだろうか。

 人手不足によって外国人頼みが進んだ仕事とは、日本人が嫌がる低賃金の肉体労働である。そんな仕事を貧しい国の外国人に担わせることが、本当に「共生」と呼べるのだろうか。むしろ私には、自らの利益のため、低賃金の“奴隷労働者”を欲する経済界の方がよほど正直に映る。

“人権派”が唱える「共生」とは、外国人に家族と一緒に日本へ来てもらい、日本人と同じ待遇で働き、最後は移民になってもらうことらしい。しかし、私が過去12年の取材で出会ってきた外国人労働者の多くは、家族の帯同も、日本で移民になることも望んでいなかった。日本で短期間のうちにできるだけ稼ぎ、母国へ戻って家族と暮らすのが希望なのだ。

 彼らは好き好んで日本にやってくるわけではない。日本にいる限り、自分たちが底辺労働から抜け出せないとわかっている。優秀な若者ほどそうだ。しかも日本人が思うほど、この国はアジアの人たちに魅力的には映っていない。「共生」すれば嫌な仕事も担ってくれるという発想は、外国人の本音を知らない“人権派”の思い上がりだ。

日本人の「特権」の「限界」

 留学生の労働力がなくなれば、『朝日新聞』の配達現場は成り立たなくなるだろう。スーパーやコンビニの弁当の値段、宅配便の配送料なども値上げされる。コンビニや飲食チェーンでは「24時間営業」が成立しない店も出てくる。

 だからといって、〈もはやこの国は成り立たない〉わけではない。外国人の犠牲によって維持されている私たちの「便利で安価な暮らし」が成り立たなくなるだけだ。

 全国隅々にまでコンビニがあって、深夜でも温かい牛丼が「380円」で提供され、スーパーでは「398円」で弁当が買える――。そんな暮らしは世界でも日本人だけが得ている「特権」だ。しかし、もはや限界なのである。脱24時間営業を求めるコンビニオーナーが声をあげたことが最近ニュースとなった。まさに「限界」を象徴する現象と言える。

 現状を無理して維持しようとすれば、私たちは必ず代償を払うことになる。外国人頼りの職種では、日本人の賃金が抑えられていく。また、ひとたび景気が悪化すれば、底辺労働の現場で日本人との競合関係が生まれる。外国人の方が安く使え、しかも従順だと企業が判断すれば、日本人から先に首を切られることになる。そうなったとき、日本人の怒りが「移民」へと向かい、排斥の動きが高まるかもしれない。それは欧州の歴史が証明している。

 さもなければ、日本人との衝突が起きる前に、外国人の方から日本を見捨てるかもしれない。マックス・フリッシュも指摘しているように、外国人労働者も「人間」だ。途上国の出身者であろうと、日本人が嫌がる仕事は、できれば彼らもやりたくない。母国の賃金が上昇するか、さらに魅力的な出稼ぎ先が見つかれば、彼らはさっさと日本から去っていく。

 アジアの貧しい人々ならば、嫌な仕事でも進んで担い、日本人の若者が去った田舎にも住み、空き家に入って暮らし、そして日本で「移民」にもなってくれる。そうした発想で外国人の受け入れを進めていれば、やがて大きなしっぺ返しがある。日本人が魅力を感じない地域や国には、外国人だって魅力は感じないのだ。

「移民元年」を迎えた日本――。日本人の大半が目を背け続けている現場で、いったい何が起きているのか。皆さんにとって、拙著が現実の是非を判断するための一助になればと願っている。

出井康博
1965年、岡山県生れ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『日経ウィークリー』記者、米国黒人問題専門のシンクタンク「政治経済研究ジョイント・センター」(ワシントンDC)を経てフリーに。著書に、本サイト連載を大幅加筆した『ルポ ニッポン絶望工場」(講談社+α新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『松下政経塾とは何か』(新潮新書)など。最新刊は『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』(角川新書)

Foresight 2019年4月18日掲載

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