忖度辞任・塚田一郎議員の破天荒母に借金問題  「最後は息子が払います」が決まり文句

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晴れて正妻に…

 それにしても、こうも破天荒なTさんは、どんな来歴の持ち主なのか。1980年代初頭の「FOCUS」および「週刊新潮」に書かれた内容を、ざっとまとめてみたい。

 新潟県北部の山村出身で、義務教育もそこそこに、上京してバーやクラブに勤めたのち、新潟に戻ると、東京仕込みの洒落た会話や服の着こなしが、地元の政財界人に大いに受けたという。最盛期には9軒のバーやクラブを経営し、新潟市内の一等地にビルを建設。さらには銀座のクラブにまで手を伸ばした。そして、61年に新潟県知事に当選した塚田十一郎氏と、急速にねんごろになったという。63年には一郎議員が生まれたが、当時はまだ十一郎氏には妻子がいた。66年に先妻が他界すると、Tさんは晴れて十一郎氏の正妻になったのだ。ちなみに、一郎議員は十一郎氏の五男だが、Tさんから生まれたのは一郎議員1人である。

 だが、その後が茨の道だった。クラブ経営が政治家の懐を支えるといういびつな状況は長くは続かず、まず十一郎氏が金銭スキャンダルで知事を辞任。68年に参院議員に当選するが、74年には落選。そうこうする間に、Tさんの水商売も次第に傾き、夫妻は一蓮托生のように借金地獄に陥る。その額は当時、20億円にまで膨らんだと騒がれ、十一郎氏の手形が雄琴のソープランドに渡る、という騒動にまで発展した。

 その際、十一郎氏の債務整理を請け負った右翼政治結社の会長と、先に記したように、Tさんは不倫関係になって……。その後、Tさんは一郎議員と2人で暮らしたこともあるそうだが、次第に“借金稼業”に精を出すようになったというわけだ。

(2)へつづく

週刊新潮 2019年4月18日号掲載

特集「母親が1億円騙し取っても被害者には忖度しない『塚田一郎国交副大臣』」より

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