【ボリビア戦】リオ五輪で落選の「橋本拳人」が最大の収穫、本人も「役割を果たせた」

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南ア戦での活躍が仇

 そして最大の収穫は、橋本拳人(25)が、そのポテンシャルを存分に発揮したことだ。ボリビアのカウンターに対し、体を張ったパスカットやタイミングを心得たアタックによるドリブル阻止、さらには体幹の強さを活かしたボール奪取などで攻守に貢献した。

 もともと評価の高い橋本が、今回、初めて代表に招集されたのは、合宿初日に守田英正(23)が負傷により代表を辞退したからだった。翌19日、チームはオフだったが、FC東京の強化部長からの電話で急きょ横浜で合宿中のチームに合流した。携帯電話の着信番号を見て「もしかしたら」との予感はあったという。

 そのときの正直な感想を練習初日後に聞くと「まだ実感がわかないというか、ここから頑張っていきたいなという思いが強いです。(リオの)オリンピックが終わった後からは、もうA代表しかないと思っていたので、できるだけJリーグでアピールして(代表に)入るかっていうところを目指していたので、初めて選ばれて本当にうれしい気持ちでいっぱいです」と目を輝かせていた。

「もうA代表しかない」というコメントを補足すると、橋本は2016年リオ五輪の候補選手だった。ボランチに加え、CB(センターバック)とSB(サイドバック)、さらにはサイドMFでもプレーできるユーティリティープレーヤーだった。候補合宿にもたびたび呼ばれ、16年6月29日、リオ五輪の最終メンバーを決める国内最後のテストマッチである南アフリカ戦にも出場した。

 4-1の逆転勝利を収めた試合後、橋本は「インパクトはあまり残らないかもしれませんが、やるべきことはやって勝てたから良かったです。後半は南アもロングボールが多くなり、(フィジカルの強さを)アピールするのが難しくなりました。それでも横パスを縦につけるのは出せたかな。監督(手倉森誠)が求めることは出せたと思います。リーグやACLに出られるようになって自信につながったし、成長できていると思います。それを代表でどういうプレーに結びつけるか。少しずつ成長しているので、これを止めずに成長を続けて頑張りたいです」と抱負を語っていた。

 しかし、その成長が裏目に出た。当時のFC東京はリーグ戦とACLを並行して戦っていた。このため戦力として認められた橋本は、代表に招集されてもチームが辞退したこともあった。その結果、リオ五輪の最終メンバーを決める際に18人のラスト1人で橋本か井手口陽介(22)かで日本サッカー協会技術委員会の意見は分かれた。

 複数のポジションでプレーできる橋本を押す委員もいたが、最終判断は手倉森監督に委ねられた。そして手倉森監督は井手口を選択肢した。アジア最終予選を戦った井手口と辞退した橋本では、井手口を選択した手倉森監督の心情も理解できる。

 こうして橋本は、リオ五輪で代表選手として戦う機会を失った。それだけに「A代表しかない」という気持ちは強かった。

 憧れだった日本代表の初日練習を終えると「気持ちが高ぶりすぎて、抑えるのに必死です。メンタル面だけでもだいぶ変わってくると思うので、メンタル面がいい状態で臨めれば、いいプレーもできると思います。ただ、まだちょっとそわそわしています。(代表招集が)急な感じだったので」と戸惑いを隠せないでいた。

 それでも「翔哉(中島)に武蔵(鈴木)とか大地(鎌田)らリオ五輪に入っていた選手も多いので、そこの選手からも刺激を受けていたので、やっとここから勝負していきたいと思っています」と意気込みを語っていた。

 彼が指摘したように、森保ジャパンの主力は、リオ五輪のメンバーになりつつある。DF三浦弦太(24)とMF橋本、鎌田は候補メンバーで、GK中村航輔(24)、室屋成(24)、中島、南野、鈴木は主力選手。そして今回は呼ばれていない遠藤航(26)と実に9人にのぼる。

 話を橋本に戻すと、鎌田大地、畠中槙之輔と肩を組み、初めてピッチで「君が代」を歌ったときは「常にいつもテレビでは代表戦を見ていたので、すごいうれしい気持ちと、すごく高ぶりましたね、国歌を歌っているときは」とデビュー戦の喜びを素直に語る。

 そして前半8分、相手ボールに体幹の強さを活かして奪ったプレーで「あのファーストプレーで自分の良さを出せたということで、ゲームにスムーズに入っていけたかなと思います」と手応えをつかみ、90分間フル出場した。

 そのことについても「バランスはうまく取れていたのは自分でも感じていました。普段であればボランチは90分使われるのが当たり前です。チームは勝っていましたし、いいバランスを取り続けることが大事だと思っていたので、手応えというよりは自分の役割をしっかり果たせていたのかなというのは感じました」と自信を深めた。

 代表チームの若返り————長らく日本を支えた北京五輪の本田圭佑(32)、香川真司、吉田麻也(30)、長友佑都(32)からリオ五輪へ————そしてそれを加速させる東京五輪への橋渡しとしての森保ジャパン。そう考えると3月の2試合は結果と内容は物足りないが、ターニングポイントとして意義深い試合だったかもしれない。

六川亨(ろくかわ・とおる)
1957年、東京都生まれ。法政大学卒。「サッカーダイジェスト」の記者・編集長としてW杯、EURO、南米選手権などを取材。その後「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。

週刊新潮WEB取材班

2019年3月31日掲載

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