人類「火星滞在」に警鐘「宇宙模擬実験」の驚愕体験レポート(下)

国際Foresight 2019年2月11日掲載

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 極地では日本的な言語体系から生まれてくる発想が人を救うのではないか――。その仮説を検証するため、MDRS基地での2週間の模擬実験に「チームアジア」で臨んだ村上祐資(40)さん。

 だが、実験も半ばの8日目、トラブルが起きた。

タンクに白いロウのようなもの

「水を保管していた屋外のタンクに白いロウのようなものが浮いていると分かったのです。しかも、その水を2日間、気づかずに飲んでいた。体の不調を訴えるクルーはいませんでしたが、地球側に報告したところ、その水は飲まないようにと言われ、補給が来ることになった。ただ、補給するにもタンクが汚染され、タンクを洗うにも宇宙服を着なければならず、宇宙服を着た状態ではタンクの中に入れない。タンクを室内に移動させるスペースもない。地球側は、後のことは僕らに任せるということでした」

 重苦しい空気の中で、ミーティングがはじまった。

「検査をして白いものが何なのか突き止めたらどうかと言うクルーもいましたが、基地でできる検査には限界がある。きちんと調べるには地球側にサンプルを送るしかなく、結果を待っている間に飲み水が尽きてしまう。結局、タンクの水を飲むか、飲まないかの2択なのです。実際に水を飲んでも問題がなかったのだから、このままミッションを続けたい、というのがみんなの本音でした。実際の火星ミッションなら、どんな水でも飲むしかないのだから、ここで飲むのが本当の模擬実験ではないか、という思いもあった。けれど、クルーの健康管理を担うHSO(ヘルス&セーフティ・オフィサー)は立場上、安全が確認されていない水を飲んでもいいとは言えないし、その立ち位置からブレないでいてくれた」

 夜中まで続いた激論の末、村上さんは苦渋の決断を下した。

「これが本当の火星ミッションなら水を飲む、というのが1つの結論でした。ただ、実験でリスクをおかす必要はないし、僕の隊長としての唯一のミッションはみんなを無事に帰すこと。なので、もう1つの結論として、ここで水を飲むなら実験は中止する、と。みんなも納得してくれました」

「見本になるチーム」

 だが、そこで終わらないのが「チームアジア」であった。

「本当にできることはもうないのか、再度検証が始まったのです。すると、使っていなかった基地内の車庫の入り口にスペースがあることに気が付いた。そこにタンクを運べば、宇宙服を着ずに清掃でき、水を補給してもらえる。とはいえ、もともと予定されていたミッションも同時並行でこなしつつ、すでに居住棟の給水システムに入ってしまっていた水もすべて抜かないといけない。作業は山積みでしたが、みんなに負荷がかかりすぎないよう緻密にプランニングをして、最後まで実験をやり遂げた」

  これが「Mars160」のチームだったら、どうなっていたことだろう。

「僕が“このチームはよくできているな”と感じたのは、水を飲むかどうかの議論をしていた時でした。彼らは一切、“シムブレイク”をする気配を見せなかった。これはシミュレーション(模擬実験)をブレイク(中断)するという意味で、こっそり火星モードを解除して地球側に逃げることを言います。この場合なら、どうせホンモノの火星じゃないし、誰も見ていないのだからと、宇宙服を着ずに外に出てタンクを洗うこともできた。でも、彼らは真摯にホンモノの火星のミッションに当たっていました」

 先述のディレクターからは、「今までのチームの中で1番本気で火星ミッションを実施し、見本になるチームだった」との評価を得たという。

“ない”をベースにした暮らし

 こうして一躍、「日本で1番火星に近い男」と囃されるようになった村上さんだが、

「火星模擬居住実験に関わるようになって5年、うんざりしてしまったというのが正直なところで……」

 と、意外な心境を明かす。

「そもそも僕が実験に参加したのは、宇宙に行きたいからではなく、“暮らしの原点”を知り、僕自身が1人の人間として暮らすことに上手くなりたかったからです。もし人類が違う惑星に家を建てることになったら、少なくとも地球では誰よりも上手く暮らせるぞ、というものを持っていないと、建てる資格を得られない。それで十数年、ヒントを求めて足掻いてきたわけですが、ネパールの山奥でも南極でも学べるものがあったのに、模擬火星実験には何もなかった」

 なぜか。

「科学者が“ない”をベースに頭で考えた暮らしだからでしょう。火星には空気がない、水がない、あれもこれもない、だからそれを埋めよう、という発想です。でも、僕らが本当に“生きているな”と感じるのは、“ない”ものが埋まった時ではなく、“ある”と気づいた時。ないと思っていたものが実はあった、と気づいた時にこそ充足感が生まれる。職場でも家庭でも、“あれがない、これがない”と言われ続け、それを埋める作業に終始していたら、しんどいですよね。いま科学者が理論や想像で“ない”を埋めている火星での暮らしも同じ。クルーが苦しむだろうことは目に見えています」

 結局、つくり手が頭で考えた暮らしに「原点」はない。それはかつて昭和基地の継ぎ接ぎが教えてくれたことでもあった。

「しらせ」は模擬宇宙実験に適うか

 そこで自ら模擬実験「SHIRASE EXP.」を行い、警鐘を鳴らそうというわけだ。

 今回、「宇宙船」として使用する3代目南極観測船「SHIRASE5002」は、2008年の退役後、一般財団法人「WNI気象文化創造センター」が所有し、さまざまなイベントなどで活用されている。

「ただ、そもそも模擬実験のためにつくられた施設ではないので、まずは『SHIRASE5002』が模擬実験に適う環境かどうかを確かめる必要があります。そのため、今回はあくまでもトライアルという位置づけ。ここで『SHIRASE5002』がMDRS基地のように機能することが証明されれば、2020年をクルーの選考期間に当て、2021年と2022年に2回ずつ正式な実験を行っていく予定」

 実験に向けてNPO法人「フィールドアシスタント」を立ち上げ、活動の幅を広げつつ、スポンサーを募っている村上さん。朝日新聞のクラウドファンディングサイト「A-port」でも、宇宙服やレスキュー訓練用の道具などの製作費を集めているが、目標金額150万円に対し、達成率は69パーセント。なかなか厳しい。

 それでも、現状を見過ごすことはできないという。

「極地で1番恐ろしいのは、じわじわと人間らしさが失われていくこと。“人間らしさ”と一口に言っても、肉体的なものと精神的なものとがありますが、極地では肉体よりも先に精神が死にます。でも、現在の有人飛行ミッションでは、クルーの体をどう維持するかという肉体的な人間らしさの方が重視され、精神的な人間らしさのケアがあまり注目されていない。僕の中には、クルーが火星に行ったときにどういうところで苦しむか、苦しまないためには何をすればいいのか、というある種の確信みたいなのがある。それを『SHIRASE EXP.』で再現し、記録として残したい」

  遠くない将来に「人類初の火星着陸」が実現した時、村上さんのその記録は間違いなく人類の貴重なデータとして活用されるに違いない。

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