〈鼎談〉ケニー・オメガ×マキシマムザ亮君×糸井重里 第5回 4のこと。どせいさんのこと。

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 平成の終わりを目前に、みなさんはどんな「忘れられない記憶」をお持ちだろうか? 

 新日本プロレスの現IWGPヘビー級チャンピオン(2019年1月1日現在)のケニー・オメガ選手と、ロックバンド「マキシマム ザ ホルモン」のマキシマムザ亮君さんが揃って挙げるのは、平成元年に任天堂より発売された伝説のRPGゲーム『MOTHER』。いまもなおカルト的な人気を誇るシリーズのゲームデザインを手がけたのは、コピーライターの糸井重里さん。

 プロレスラーとして、ミュージシャンとして、『MOTHER』の世界観に強い影響を受け続けてきたというお2人が、30年越しの想いを抱えて糸井さんと初対面! ひとつのゲームを語るうちに蘇る、平成を駆け抜けてきたそれぞれの葛藤、そして勇気。

 2018年12月に「ほぼ日刊イトイ新聞」で企画・掲載されたこの異色の座談会(全8回)を、お正月スペシャルということで特別に「デイリー新潮」からもお届けします! では第5回〈4のこと。どせいさんのこと。〉 お楽しみください。

 ***

ケニー:海外版の『Earthbound』は、他のゲームソフトよりも箱のサイズがすごく大きかったんです。あれは糸井さんのアイデアですか?

糸井:あれはアメリカ任天堂の考えです。

ケニー:ああ、そうでしたか。あれにはすごくビックリしました。私がはじめて『Earthbound』を見たのは、カナダのレンタルゲーム屋さんでした。ゲームを借りようと思って、ゲームの棚を順番に見ていたら、いきなりすっごく大きな箱があって、「うわぁ、なんだこれは?!」って。すごくインパクトがあったんです。そのときは貸出中だったんですが、じつはそれを借りてた人が、私のとなりに住んでた人でした。

会場:(笑)

ケニー:私、それを知らなかったので、そのとなりの人に「すごく大きな箱のゲームがあった!」って話をしたら、「それ、俺の家にあるよ」って(笑)。それでとなりの家に遊びに行って、はじめて『Earthbound』をプレイしたんです。

亮君:へぇーー。

糸井:『Earthbound』って、すごくいいタイトルですよね。地球を故郷だって思ってる感じがあるし、なんかセンチメンタルだし、なおかつスケール感もある。いま思うと『Earthbound』というタイトルは、ほんと良くつけてくれたなって思います。

ケニー:こういう話をすると、『MOTHER』がやりたくなります(笑)。糸井さんの気持ちはわかってるけど、いつか『MOTHER4』もやりたいです。

糸井:ぼくだってやりたいですよ、『4』。

ケニー:え、ほんとに?!

糸井:やりたいというのは「つくりたい」じゃなくて、プレイヤーとしてね。

ケニー:あぁ‥‥(笑)。

糸井:だって『4』をつくる人は、ぼくがつくったものを知った上で新しくつくるわけですよね。どうやって新しいおもしろさをあの世界にのっけていくのか、そのアイデアや技や知恵が知りたいです。でも、もしだれかが『MOTHER4』をつくっても、どうしてもマネしきれないところは出てくるように思いますね。それがさっきの「気持ち悪さ」みたいなもので、どうしてもわかりやすい気持ち悪さや、悲しさになっちゃうような気がする。そこはじぶんのほうが、まだ負けてない気もするんです。

ケニー:もしだれかがつくると言ったら、糸井さんはアドバイザーになりますか?

糸井:そうじゃないほうがいいと思うな。やるなら思いっきり勝手にやってほしいし。『MOTHER』をつくりたいというのは、じぶんの気持ちとしてはあるんです。でも、やっぱり時間がすごくかかるからね。『3』のときも一度中止になったり‥‥。

亮君:ああ、64バージョンですね。

ケニー:64バージョンって、どのくらいできていたんですか?

糸井:うーん‥‥。パートパートはあったんだけど、全体がぜんぜんつながってなかった。

亮君:そうなんだぁ。

糸井:でも、ちゃんと3Dになってたところは、すごくかっこ良かった(笑)。あれはあれで見てみたかったなあ、という気持ちはありますね。

ケニー:それは見たかったです‥‥。でも、私はゲームボーイアドバンスで良かったとも思うんです。だって、2Dはいつまでもキレイ。昔のものでもキレイです。でも、3Dはそうじゃない。

亮君:ああ、逆にギザギザしちゃって。

ケニー:はい。初期の『バイオハザード』とか『メタルギアソリッド』とか、いいゲームなんですけど、いまだとちょっとやりにくい。

糸井:ケニーさんは、ほんとにゲームが好きなんだね(笑)。

亮君:ケニーさんに質問してもいいですか?

ケニー:どうぞ。

亮君:ぼくが『MOTHER』をやるときって、やっぱり「ひらがな」の情感というか、日本語特有のおもしろさを感じるんですが、英語だとどういう印象なのかなぁって。

ケニー:ああ、英語はですね、うーん‥‥。私は英語版と日本語版、どっちもやったことがあります。

糸井:はぁぁ、すごいね。

ケニー:私が寮に住んでたとき、ルームメイトが『MOTHER』のソフトを持ってたんです。私が日本語の勉強をしてたから、「漢字が出てこないから大丈夫だと思う」って言って貸してくれました。それで日本語版をやったんですが、セリフはどちらも似てると思いました。でも、「どせいさん」のことばは、まったく理解できませんでした(笑)。

会場:(笑)

ケニー:英語だと、まだギリギリわかります。でも、日本語になると、どせいさんの言いたいことがまったくわからない。

糸井:それはしょうがないよね(笑)。わざとわからないようにしてるわけだし。

ケニー:日本語版は、そこがたいへんでした。じつは、私とタッグを組むプロレスラーの飯伏幸太さんも『MOTHER』が大好きなんです。なので、日本語版をプレイしているとき、「どせいさんの言ってる意味がわからない」って、飯伏さんに相談したことがあるんです。そしたら「それはぼくにもわからない」って言われましたね(笑)。

会場:(笑)

(つづきは明日配信です)

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ケニー・オメガ(Kenny Omega)新日本プロレスに参戦するプロレスラー。
1983年生まれ。出身地はカナダ・マニトバ州。所属ユニット「THE ELITE」。第66代IWGPヘビー級王者。得意技は「片翼の天使」「Vトリガー」など。大のゲーム好きとして知られる。「ゴールデン☆ラヴァーズ」としてタッグを組む飯伏幸太選手との技に「PKこころ」という技もある。新潮社より新日本プロレス公式ブック『NEW WORLD』絶賛発売中。

マキシマムザ亮君(まきしまむざりょうくん)「マキシマム ザ ホルモン」の歌と6弦と弟。
1978年生まれ。 1998年に結成された 「マキシマム ザ ホルモン」に加入。 すべての作詞作曲を担うバンドの中心人物。 足元はいつも便所サンダル。 前作のアルバム『予襲復讐』は、 週間アルバムランキング3週連続首位を獲得。 2018年11月28日に発売された最新作 『これからの麺カタコッテリの話をしよう』は、 新曲CDとマンガをセットにして書籍として発売。 収録されたマンガ 『マキシマムザ亮君の必殺!!アウトサイダー広告代理人』は、 マキシマムザ亮君が監修・脚本を担当。

糸井重里(いとい・しげさと)株式会社ほぼ日代表取締役社長。
1948(昭和23)年、群馬県生れ。コピーライター。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。広告、作詞、文筆、ゲーム制作など多彩な分野で活躍。近作に『他人だったのに。』『みっつめのボールのようなことば。』など。著書に『海馬』(池谷裕二との共著)『黄昏』(南伸坊との共著)『知ろうとすること。』(早野龍五との共著)ほか多数。

古賀史健(こが・ふみたけ)ライター、株式会社バトンズ代表。

燃え殻(もえがら)都内のテレビ美術制作会社勤務。作家。

田中泰延(たなか・ひろのぶ)ライター、コピーライター。自称・青年失業家。

浅生鴨(あそう・かも)作家、広告プランナー。

永田泰大(ながた・やすひろ)ほぼ日の乗組員。

2018年1月5日掲載

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