「怒りの発散=他人を引きずり下ろす」がつくる不寛容社会 リベラルの怒り方は「間違い」とプロが指摘

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リベラルのパラドックス

 だが、前述の石田の妻を罵った中年女性が厳しい批判に晒されたことからもわかるとおり、「報復」はさらなる「報復」を呼ぶ。“他人の引きずり下ろし合い”という「ギスギスの悪循環」の行き着く先は「破滅」でしかない。「怒りのプロ」である安藤氏も以下のように指摘している。

「怒りの矛先を、他人を引きずり下ろすことへ向けてしまう人は、周囲から共感を得られないので孤立します。いくら他人を引きずり下ろしても結果が出ないので、焦りからさらに激しい他者攻撃をして自滅していく。このパターンのわかりやすい例がいまの野党でしょう」

 確かに、立憲民主党や日本共産党といういわゆる左派野党は政権への厳しい批判を展開してきたが、それが支持率に全く反映していない。事実、NHKの世論調査でも、一時期10%を超えていた立民党の支持率は、10月時点で6・1%と低迷している。

「日本のリベラルは基本的に怒り方が間違っていると思います。本来は最も自由で寛容でなくてはいけない人たちなのに、あの発言は問題だ、黙れ、潰せ、と他人を叩いてばかり。リベラルが実は最も不寛容というものすごいパラドックスが起きている。これで国民に支持しろというのは無理な話ではないでしょうか」(安藤氏)

 そのように言われると、野党や反安倍政権界隈から、「安倍政権の暴走を止めるには怒りで立ち向かうしかないのだ」という反論が聞こえてきそうだが、安藤氏は決して「怒るな」などと言っているわけではない。

「怒りという感情はまったく悪いものではなく、むしろ現状を変える原動力になる。例えば、スティーブ・ジョブズのように世界を変える人物や、多くの名経営者と呼ばれる人々というのは常に怒っている。ただ、彼らは他人を引きずり下ろしたりしません。怒りを自分がやるべき行動のエネルギーに変えているのです」

 それは裏を返せば、「他人を引きずり下ろす」ことにばかり腐心するような“ギスギス社会”は、前に進むことなく、互いに罵り合いながら沈んでゆく、「共倒れ社会」だということだ。

 安藤氏の話を聞いて、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が頭に浮かんだ。地獄に堕ちた罪人・カンダタが、かつて蜘蛛の命を救ったことから、釈迦が情けをかけて天から蜘蛛の糸を垂らした。必死に昇るカンダタがふと下を見ると、他の罪人も昇ってくる。彼は叫んだ。

「この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。下りろ」

 次の瞬間、糸はぷつりと切れて、カンダタは罪人らと地獄の底へと堕ちていった――。

 正義のため、より良い社会をつくるためにと、多くの人が怒りをあらわにしている。誰が悪い、これが問題だという文句や不平不満を叫ぶ声も大きくなっている。だが、この社会が一向に良い方向へ向かっている実感がないのは、多くの日本人がカンダタのようになってしまっているからなのではないか。

窪田順生(くぼた・まさき)
ノンフィクション・ライター。1974年生まれ。雑誌記者、新聞記者を経てフリーランスに。事件をはじめ現代世相を幅広く取材。『「愛国」という名の亡国論』(さくら舎)等の著書がある。

週刊新潮 2018年11月1日号掲載

特別読物「新幹線で『たこ焼き』も『豚まん』も食べられない!? 『不寛容』な『ギスギス社会ニッポン』――窪田順生(ノンフィクション・ライター)」より

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