剛力彩芽の「公開恋愛」が及ぼす意外な影響

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 いったいどうした、剛力彩芽。2人でひとつと言わんばかりのSNSに、サンドイッチが2つ入りのランチパックを嫌でも重ねてしまう。 

 思えば、世間はずっと剛力彩芽を持て余してきたのではないか。ブレイクした理由が今ひとつあいまいなのに、テレビに売れっ子の体で出ていることに。視聴者の戸惑いをよそに、明石家さんまら芸能界のおじさま方には人気という得体の知れなさに。そんな世間と業界のギャップをものともせずに、腕をブンブン振り回しながら歌い踊る彼女の底抜けの明るさに。さらに初スキャンダルは婚外子がいる17歳年上の資産家・前澤氏、しかも元カノが紗栄子、というツッコミどころ満載な相手であるのもまた。

 とどめを刺したのは、前澤氏との交際アピールが過ぎたと反省して削除したかに思えたSNSに、懲りずにラブラブな投稿を続けたその豪胆さである。そこでようやくわかった。彼女が大物として扱われている理由は、その類まれなるポジティブさというか鈍感力の高さなのだと。代表作がない、ごり押しタレントだ、と言われ続けていた剛力。しかし彼女には代表作などいらなかったのだ。なぜなら、自分自身の毎日が代表作だから。

 鈍感力という、抜きんでた自らの特殊能力が発揮されるのはドラマでも映画でもない。何気ない日常でこそ大いに発揮され、注目を集めることができるのである。彼女が「公開恋愛」で押しも押されぬ有名タレントとなったのは、当然のなりゆきと言える。

ランチパック戦略が起こす、芸能界の恋愛革命

 従来は剛力のような「公開恋愛」の手法を取るのは、とりたてて芸も能もないが「芸能人」と名乗りたい女性に多かった。裏を返せば、本業ではなく恋愛沙汰ばかりが有名になると、二流タレントと言われかねない。たとえば浜崎あゆみの人気が衰え始めたのを私が感じたのは、恋人と空港で頻繁に撮られ「空港芸人」と揶揄され始めた時である。つまりある意味では、剛力は二流と呼ばれるリスクを自ら背負ったのだ。

 しかし彼女に限らず、最近はあえて恋愛事情をオープンにする芸能人が増えてきた。しかも若く人気のタレントにも多い。広瀬アリスや高橋みなみ。先日結婚した三浦翔平も、桐谷美玲との交際を以前から認めていた。だが恋愛事情を公にするのは、昔の芸能界では考えられないことではなかったか。特に女性タレントにとっては、芸能生命を脅かす致命傷ともなりえた。しかし今や、交際を堂々と認める芸能人は潔くて好感が持てる、という世間の反応も増えているほどだ。

 私生活が謎であるほどスターの風格は高まり、だから所属事務所は恋愛を否定する。ゆえに週刊誌のスクープが大きな価値を生む、という持ちつ持たれつの業界ルールが、もはや崩れつつあるのだ。むしろ、意図的に崩されているというのが正しいかもしれない。今回の剛力のSNSも、メディア含む業界側への宣戦布告なのではないか。わたしの情報と人生の主導権は、わたしが握るからね、と。いまだ閉鎖的かつ旧時代的な芸能界で、反感を買いながらもプライベートの自由を主張するのは、それなりに覚悟がいるものだ。だからこそ、このジャンヌ・ダルク的な役割は、「ミス鈍感力」の剛力にしかやり遂げられなかったに違いない。

 ふと思い出したのは、70年代に人気を博したアイドル・キャンディーズの解散宣言での「普通の女の子に戻りたい」という言葉である。これは「どんな恋愛や暮らしをしても、もう一般人になるのだから、誰も騒がないでくださいね」という、いじらしい意思表明でもある。でも今の芸能界に、40年前の悲壮な影はない。普通の女の子としての幸せの始まりは、芸能人としての終わり。そんな決死の覚悟をもって、突然の引退発表やできちゃった婚を強行するのは、もう古いと言わんばかりだ。「公開恋愛」を通じて、芸能界の古い恋愛作法に一石を投じた剛力のように。芸能人としての人気や豊かさを享受しつつ、自分の幸せもあきらめずに先手を打つたくましいタレントが、これから主流になっていくだろう。そして芸能界を、より豊かに彩っていくだろう。

 だからこそ剛力は、後進のためにも「公開恋愛」を見せ続けてほしい。次から次へとラインナップが増える、ランチパックのように。玉子のようなふんわりポエムもよし。カレー&ハンバーグのように胃もたれしそうな贅沢デート報告もよし。はたまた、小倉&マーガリンのようにおっさん好みキャラを極めるのもよし。ランチパックに始まり、ランチパックに終わる剛力の生存戦略と恋愛革命。次はどんな味わい深い投稿を見せてくるか、楽しみな今日この頃である。

(冨士海ネコ)

2018年8月14日掲載

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