沖縄慰霊の日で来日した「李登輝」 95歳の車椅子姿

国際週刊新潮 2018年7月5日号掲載

  • 共有
  • ブックマーク

 風にたなびくあの旗に 古(いにしえ)よりはためく旗に 意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに――♪

 日本の人気バンドRADWIMPSの新曲「HINOMARU」は、発表直後から「歌詞が軍歌のよう」と物議を醸(かも)した。だが、そう批判する人々には、自ら日の丸を背負ってホンモノの軍歌を歌った経験があるのだろうか。

 6月22日、那覇空港に降り立った台湾の元総統・李登輝(りとうき)氏。95歳の高齢を押しての来日は、糸満市における戦没者慰霊祭への出席が目的だった。

「23日は『沖縄慰霊の日』で、元総統は翌24日、台湾出身日本兵の慰霊祭に参加しました。先の大戦では台湾から出征した人も多く、戦死者は3万人に上るといわれます」(地元紙記者)

 氏自身、京都帝国大学在学中に学徒出陣し、日本陸軍の少尉として終戦を迎えている。

「当初は慰霊碑の揮毫(きごう)のみで、訪日の予定はなかった。でも本人が“沖縄なら行けるかな”と。直前まで入院していたものの、病室で“台湾人の慰霊は大事だ”と語る表情には鬼気迫るものがありました。誰も“やめましょう”とは言えなかった」(李登輝氏側近)

 屈強な護衛に車椅子を押される姿は、往年よりずいぶん痩せて見える。それでも、晩餐会では乾杯のワインにも口をつけ、マイクを握ると天敵たる中国の覇権主義を激しく非難。台湾を“アジア四小竜”の一角に押し上げた老政治家の、衰えぬ気迫を見せつけた。

 そんな彼も、スピーチ中に数分ほど涙声になっていたという。

「感極まったのでしょう。李登輝さんの実兄も、終戦の半年前にフィリピンで戦死しています。感傷的になるのは決まって日本の話をする時。“22歳まで私は日本人だった”と公言するほど、思い入れが強いんです」(後援者の一人)

「中華民国」の元国家元首を迎える場に、青天白日旗はひとつもなかった。海の向こう、台湾人老兵の胸中に今もたなびく、HINOMARU――。