「西城秀樹さん」が明かしていた家族への感謝 献身「18歳年下妻」は実姉の紹介
スーパースターは、「かつての」と形容がつく場合もふくめ、自宅周辺にもあまり姿を見せないことが多いが、近年の西城秀樹は、横浜市の自宅近くで頻繁に姿を見られていた。
「午後3時ごろ、ウォーキングをしているのをよく見かけました。奥様が西城さんの手をとって仲睦まじく歩いていましたね。西城さんを支えるのが楽しみという表情で、一番最近見たのは4月半ば。そのときはお嬢さんも一緒でした」
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近所に住む40代の女性はそう語るが、ただし、秀樹の歩みはゆっくりで、杖をつきながらのことも多かった。あくまでもウォーキングは、2度目の脳梗塞後のリハビリだった。やはり近所の70代の女性は、
「私にも脳梗塞を患った知人がいて、以前、一緒に公園を散歩中に西城さんにお会いしましてね。そのとき西城さんは杖もなく一人で歩いていらして、脳梗塞の先輩として私の知人に“どうすればよくなるか”を熱心に話してくださり、知人はかなり勇気づけられたと言っていました」
1970年代に「情熱の嵐」「激しい恋」「傷だらけのローラ」など、強烈なアクションとともに絶唱した歌そのもののように、その人生は激しく、傷だらけになりながら、リハビリにも情熱的に取り組んだ。
2003年6月、ディナーショーのために訪れていた韓国の済州島で脳梗塞を発症。このときは後遺症も軽かったが、11年末、2度目の発症に見舞われた。
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