江川卓「空白の一日」秘話 翻弄された「小林繁」と「藤圭子」

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“怨歌”…女性歌手からの電話

 片や江川との交渉権をもつクラウンは、翌53年10月、西武に買収される。交渉権を引き継いだ西武グループの総帥堤義明は、蓮実氏に「何でもする」と言って江川獲得に動く一方で、当時アメリカの大学においてスポーツアドミニストレーターなどをしていた河田弘道氏を江川のもとに派遣、説得を試みた。河田氏はこう回想する。

「江川とは2時間ぐらい話しましたが、まるで他人事のように話していたのが印象的でした。『自分は、船田先生と蓮実さんに西武に行けと言われたら、そうします。お2人の了解を得てください』と」

 説得は不首尾に終り、53年11月21日、運命の「空白の一日」を迎える。その前日、帰国した江川は巨人と入団契約を交わした。

 だがこの電撃契約は球界に憎悪や憤懣の渦を巻き起こした。実行委員会は江川の巨人選手登録を却下。それに断固抗議する巨人はドラフトをボイコットする。セ・リーグ脱退と新リーグ設立をちらつかせた。

 事態が混沌とする中、今度は阪神が1番クジを引いた。その最中に飛び出したのが“金子裁定”だ。金子鋭(とし)コミッショナーの「江川を一旦阪神と契約させ、その後巨人へトレード」という“強い要望”であった。

 世の関心事は、巨人の誰が、江川のトレード要員となるかという点に移った。

「巨人は迷わず小林繁に決めた。理由? 女癖の悪さに頭を痛めていたんだよ」

 そう話す蓮実氏はさらに、「妻以外には誰にも言わなかった話」として、こんな秘話を初めて明かし始めた。

「電撃トレードが記者発表された直後のこと、私の家にある女から電話がかかってきたんです。“蓮実さん、小林さんを阪神にトレードで出さないで下さい”と」

 声の主は“怨歌の歌手”と呼ばれた藤圭子だった。船田が日本有線放送連盟初代会長だった関係で、蓮実氏も藤と親しくなり、彼の家で麻雀をする仲だったのだ。

 蓮実氏が話を続ける。

「訳を聞くと、“小林さんは私の友達なんです”と。“小林は恋人なのか?”と尋ねても“友達です”と返すから“じゃあ大事な人なのか?”と聞くと“そうです”と。2人がデキているんじゃないかとピンときました」

 その後も藤からの電話は頻繁にかかってきた。あまりにしつこいので、小林に、

「何とかしてくれないか」

 と頼むと、慌てた様子で、

「プライベートなことでいろいろあって……」

 と言葉を濁していたが、その後、彼女からの電話はパタリと止まった。しかも小林が阪神に移った年、藤は突然引退を表明、ハワイに移住する。蓮実氏は言う。

「察するに、小林は離婚して、藤と結婚する予定だったんじゃないか。しかし阪神に入団すると2人はなかなか会えなくなる。彼女の引退には“空白の一日”が密接に絡まっていたと思う」

 その後、小林は平成22年(2010)、心筋梗塞で急死。57歳の若さだった。藤も3年後、62歳の時、飛び降り自殺。2人の運命もまた「空白の一日」に翻弄されたということか。

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

ワイド特集「『世紀の事件』の活断層」より

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