カラテカ・矢部太郎『大家さんと僕』手塚治虫文化賞受賞と「週刊新潮」連載開始で“マンガ道”を語る。

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もともと注目していた賞を受賞

――ただ者ではない印象があります、大家さん。

矢部:とにかく話が面白いんです。ユーモアのセンスを、すごくお持ちです。親戚の皆さんだけではなく、それこそ近所の方々も「話が面白い人」って認識しておられるんですね。その上で、精神的な気高さを感じますね。太宰治の『斜陽』(新潮文庫ほか)に出てくる「お母さま」のような印象です。とてもではないけど、僕らには到達できない高みに達しているというイメージです。

――その魅力的な大家さんを描くにしても、週刊ペースだと、正直、ネタが枯渇するのでは、と余計な心配をしてしまいます。

矢部:僕も先のことは全く見えていません。ネームのストックがあるので2カ月は大丈夫だと思いますけど(笑)。大家さんに喜んでもらえるということや、連載を続けるため必要に迫られて描くということが、追い風になってくれたらいいなと思っています。

――連載のスタートにあたり、手塚治虫文化賞を受賞するという嬉しいニュースも飛び込んできました。

矢部:ずっと注目していたし、憧れていた賞だったんです。だからもう、受賞の知らせを聞いた時は、ものすごく嬉しかったです。歴代の受賞作は、いずれも素晴らしい作品ばかりです。受賞で知った作品もあって、その選考の素晴らしさは理解しているつもりです。

小学校高学年で手塚治虫ファンクラブに入会

――となると、マンガは相当に読み込んでおられるんですね。

矢部:子供の頃から好きでした。小学校高学年の時でしたけど、手塚治虫さん(1928~1989年)のファンクラブに入っていたこともあります。死去される直前だったと記憶しています。まず藤子不二雄(A)さん(84)の『まんが道』(中公文庫ほか)を読んだんですね。パワフルで魅力的な手塚さんの人柄が描かれていただけでなく、マンガ史に残した功績も非常に分かりやすく解説されている。それで『ブラック・ジャック』(秋田書店ほか)や『火の鳥』(角川文庫ほか)から入って、初期の『新寶島』(講談社ほか)や『地帝国の怪人』(講談社ほか)も読み、手塚さんに関する評論も読破して、という状態で入会したんです。

――矢部さんは1977年の生まれです。高学年とはいえ、小学生で手塚治虫や藤子不二雄を愛読するというのは珍しいですよね。

矢部:そうかもしれません。同級生とマンガの話はしなかったですね。もちろん「週刊少年ジャンプ」(集英社)も読んでいました。でも「ガロ」(青林堂)のほうが好きでした。

――受賞については解禁日までは箝口令があって、大変だったそうですね。(※3月下旬に選考会があり、矢部さんに受賞が伝えられていた。)

矢部:家族ぐらいにしか言えないんです。受賞を教えてもらった日も、後輩で佐野くんという役者さんにお茶に誘われたんです。1人では抱えきれない喜びだったので、急いで向かうと、そこには板尾創路さん(54)もいらっしゃって、話が盛り上がったんです。

 そこで僕は受賞の喜びを喋りたいんだけど、店に向かっている間にも携帯で「解禁日まで身内以外は喋っては駄目」と釘を刺されていたので、本当にもやもやしました。あ、でも大家さんには報告しました。とても喜んでくださいました。

――入江さんにも言えなかったんですね。

矢部:入江くんは口が軽いですから、絶対に言わなかったです(笑)。もし教えたりしたら、業界関係者と呑んだりした時に「これ絶対内緒なんですけど」の前置きで、たくさんの人に喋るのは間違いないと思います(笑)。

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