改憲私案で共産党に糾弾されていた立憲民主・枝野代表の「恥ずかしい過去」

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今回の総選挙は単なる「就職活動」

 少なくとも①と枝野私案は整合性が取れないのではないかと問うたわけだが、共産党は「安倍政権による改正の反対」が合意政策だから問題ない、としれっと答えたわけだ。

「3野党のうち、社民党も自衛隊を合憲としていますから、違憲とする私たち共産党の主張とは相いれません。それでも、安倍政権による9条改正を阻止するために共闘を行います。かつて枝野代表が発表した改憲私案も同じです。3党は7政策に合意しました。にもかかわらず、これを野合と批判するのなら、政策協定など不可能でしょう」(同)

 今回の総選挙で「大義なき解散」を問題視する声は根強い。だが、普通の有権者が怒っているのは、解散の大義ではない。与党であれ野党であれ、「大義」に殉じようとする国会議員がどこにいるのかという疑問だ。

 この点では安倍自民党の方がマシである。憲法改正を公約の重点項目とし、野党との対立軸に設定したのは事実だ。もっとも、いきなり教育無償化やシビリアンコントロールが飛び出すなど、腰の据わった印象に乏しく、不安は少なくない。

 それ以上の批判にさらされているのが希望の党だ。小池代表の「排除」発言が批判を浴びたが、それでも唯々諾々と民進党を捨てる議員には侮蔑の声すら少なくない。何しろ集団的自衛権や、外国人参政権問題について簡単に踏み絵を踏むのだから、それこそ政界ジプシーだ。

 そして共産・社民・立憲民主党の選挙協力だが、大義が感じられないというところは、希望の党と本質的にはどっこい、どっこいだろう。「反安倍」という旗印は共有したかもしれないが、改憲や自衛隊に対するスタンスがあまりにも違うのは共産党も認めているところだ。

 政局ではなく政見を最優先とし、正論を吐いて倦むことを知らぬ――そんな政治家は死に絶えたのだろうか。今回の衆議院選挙は単なる「就職活動」であることが明らかになってしまった。有権者の多くは呆れており、これでは無党派層がますます増えるのも当然か。

週刊新潮WEB取材班

2017年10月13日掲載

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