「あさイチ」で大反響! 発達障害(ADHD)は適材適所で「才能」に変えられる

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 24日放送のNHK「あさイチ」で発達障害(ADHD)の特集が組まれた。ADHDとは、不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(考えずに行動してしまう)の3つの症状がみられる発達障害のことだ。「あさイチ」には2015年に同番組でADHDであることをカミングアウトし話題になったモデルの栗原類さんも出演し、ADHDの人々が日々の生活の中でぶつかる困難などを、実体験を交えて解説し反響を呼んでいる。

「変人」「空気が読めない」などと誤解されがちなADHD。近年は様々な場面でADHDの人たちと接する機会が増えているとはいえ、私たちが“普通”と思っていることが、ADHDの人には“普通でない”ということも多く、まだまだ理解されていない部分も多い。さらにこのことを考えだすと、番組でMCの井ノ原快彦さんがコメントしたように「普通ってなんだろうね」という根源的な問題にも突き当たることとなる。

 しかし、「普通でない」のは悪いことばかりではない。むしろそれを強みや才能に変えることができると明言しているのが、34歳でADHDと診断された起業家でコンサルタントの立入勝義さんである。

 立入さんはデジタルマーケティングのコンサルタントとして成功しており、かつては世界銀行やウォルト・ディズニーに勤務した経験も。そんな経歴からは想像しにくいが、著書『ADHDでよかった』によれば、幼いころから多動で不注意、「変わり者」と呼ばれ、大学入試も全敗と失敗続きだったという。そんな立入さんは自身の経験を踏まえ、ADHDをもつ人々に「障害と正面から向き合おう」と力強い言葉を投げかけている(以下「 」内同書より抜粋、引用)。

■“ごく普通”のサラリーマン時代

「私はこれまで自営を除き、3年以上1つの会社に勤めたことがありません。就労形態も学生時代の各種アルバイトに始まり、正規雇用、非正規雇用、自営、中間管理職、雇われ社長、上場企業子会社の代表、世界的に有名な企業や組織でのコンサルタントなど、さまざまな立場を経験してきました」

 中でも社会人としての基礎は、アメリカの大学を卒業し日本に帰国後、一般的な企業にサラリーマンとして勤めたときに培ったという。“ごく普通の会社員”として仕事をすることで、自分が得意なこと、不得意なことを学んだというのだ。

「『ごく普通』というのは、仕事内容もそうですが、『毎日決まった時間に出社する』という勤務形態も含めてです。ただし、そういう型にはまった生活をするうちに、数々の問題や弱点に直面していきました。じっと座っていられない『多動性』の問題、プレッシャー下で急いで仕事を仕上げようとしてケアレスミスを犯す『不注意』の問題、そしてことあるごとに脱線したり突発的な行動で周囲に迷惑をかけたりしてしまう『衝動性』の問題がありました。上司の横暴や論理性を欠く指示にはことごとく反発を覚えていましたし、仕入先や取引先の不手際に対してついつい怒りのメールを送って大騒ぎになったこともあります。その半面、議論や製品開発の場で発揮した創造性、職場内の潤滑油的な役割を果たしていたコミュニケーション能力や調整能力、単独で出張にでかける自主性や機動力などは、評価されていたと記憶しています」

■他人ができないことを

 立入さんは、ADHDをもつ人々は、その特性を生かし、自身の得意な分野で活躍することができるという。事実、世界一のスイマーと名高いマイケル・フェルプス、ハリウッド俳優のジム・キャリーやウィル・スミスなど、世界で活躍する著名人でADHDをカミングアウトしている人もいる。

「発達障害をもった人間は傍から見ると、奇異で協調性がなく扱い難い存在かも知れません。しかし、いざというときに発揮する集中力や専門スキル、そして自己を顧みない積極的な行動力を過小評価することは社会の損失であると断言できます。

 ADHDをかかえる人は『人生の優先順位が守れない』とは言え、寝食、通勤に仕事、友達付き合いという一般的な日常生活では、それほど大きな問題はありません。だから本人は人知れず悩んでいても、なかなか世間から認知されにくいのです。

 あなた(あるいは家族)が、ADHDをもっているとしたら、大いに希望をもって、自分でも成功できるという信念を失わないでください。

 私の場合、普通のことが簡単にできない一方で、他人ができないこと簡単にやり遂げてしまうのもまた事実です。

 逆境や失敗に慣れていて打たれ強いこと、新しいことへの挑戦に不安をあまり感じないというのも、努力や挑戦心を存続させられるという意味では一つの才能といえます。

 ある日、友人の小学校高学年の息子が、目の前で興奮して部屋中を駆けまわっては、大学生でも考えつかないような数学の公式をつくりだすのを目の当たりにしました。そこには自分の姿が重なり合います。心配する親御さんに、微笑みながらこう言いました。

『私もこんな感じでした。何の問題もありませんよ』

 発達障害に悩む人やその家族に、安心をあげられるような自分であり続けたい、と思っています。小さな共感と支援の輪が広がれば、少しずつ社会も変わるでしょう」

 ADHDをもっているいないにかかわらず、どんな人にも得手不得手が存在する。ひとくくりに「普通の人」「変わっている人」などとレッテルを貼ることは、とても窮屈なことではないだろうか。

デイリー新潮編集部

2017年5月26日掲載

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