がん死から1年半「ジャーナリスト竹田圭吾」が遺したもの

エンタメ週刊新潮 2017年5月18日菖蒲月増大号掲載

 国際ジャーナリストの竹田圭吾さん(享年51)が、闘病のすえに亡くなり、間もなく1年半が経とうとしている。一家の大黒柱を失って以来、残された家族はどのような暮らしを送ってきたのか。夫を支え、最期を看取った妻の裕子さん(53)が、今日までの日々を振り返る。

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 テレビやラジオ番組のコメンテーターとして活躍していた竹田さんが、すい臓がんと診断されたのは2013年秋のこと。その後、自身が出演するレギュラー番組で病名を明かし、復帰を誓ったものの、2年3カ月後の昨年1月10日、帰らぬ人となってしまった。

 夫の死から1年を機に、壮絶な闘病生活を綴った手記『一〇〇万回言っても、言い足りないけど』(新潮社刊)を上梓した裕子さん。だが、長年連れ添ったパートナーを失った喪失感は、そう易々とは癒えないようだ。

「圭吾さんが亡くなって1年ぐらいは、遺影を見るのが、とにかく辛かったです」

 とは、裕子さんご本人。

「亡くなる瞬間に立ち会ったはずなのに、死んだという事実を自分の中で消化できませんでした。“なんで写真になってんの”と死を認めたくない気持ちが大きかった。遺影を見なければ、いつもの長期出張という意識でいられるのですが……」

 なかなか現実と向き合うことができない自分がいたという。さらに、

「今年3月、娘は大学を、息子は高校を卒業しました。この時は辛かったです。これまで、子供たちの入学や卒業などの節目には、いつも隣に圭吾さんがいました。でも、今年は、初めて圭吾さんが隣にいない。周囲は子供たちの卒業を喜んでくれますが、自分と同じ立場、同じ熱量で喜びの気持ちを共有できる人は、圭吾さん以外にいないんです。入学式と同じコースを歩いて、卒業式の会場に向かったこともあって、今はいないんだと、あらためて思ってしまいました。努めて落ち込まないようにしているのですが、この時はやはり寂しかったですね」

■ロジカルでソックリ

 もっとも、妻より一足先に子供たちは父の死を受け入れることができたようで、

「昨年、息子と話す機会がありました。息子は、亡くなってしばらくは、“まだ50年しか生きていないのに”と思っていたようですが、1年ほど経つと、“亡くなるギリギリまで仕事をして、みんなから惜しまれて、お父さんの死ってそんなに悪いもんじゃなかったと思う”と言ってくれたのです。それを聞いて私よりも先に乗り越えていると安心しました」

 子供たち2人は、この春から新たなスタートを切っている。長男は竹田さんが学生時代にアメリカンフットボールの選手だったこともあってか、本格的にアメフトを学ぶため、米国の短大に留学。長女は機械メーカーに就職し、社会人となった。

「娘が就職先を選んだ訳は、“日本の先端技術を通じて、発展途上国を支援できる”と思ったからだそうです。圭吾さんが編集長だった雑誌『ニューズウィーク』が、毎号、置いてあったから世界に目が向いたとも言っていました。長男も入院中の夫を延命治療させるかどうかとなった時、“判断材料がない。もう少し詳しく聞かないと決められない”と言ったんです。ロジカルなセリフが圭吾さんソックリでした」

 裕子さんも出版を機に、近頃は医師や看護師の勉強会に呼ばれ、がん患者と家族に対するケアについて話をしたり、がん検診のイベントで講演を行ったりしている。働き盛りで逝ってしまった竹田さんが遣り残したことは、この先、家族が引き継いでくれるに違いない。

ワイド特集「女と男の『劇場』」より