“ホンダvsヤマハ”原付バイク戦争 過熱した販売合戦に、首を吊った店主も…

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■「赤字企業にしてやれ!」

 55年9月、ホンダは今も継続販売される「タクト」(定価10万8000円)を発売し大ヒット。

 ドリームインキュベータ代表の堀紘一は、ホンダに雇われた傭兵だった。

「56年、まだボストン コンサルティングに入って数カ月の若造でした。ホンダの河島社長から『ヤマハが二度とホンダの尾を踏めないところまで突き落とせ』と命令があった。『赤字企業にしてやれ!』、『子会社の1社や2社は倒産させろ』と、そのためにお前たちを雇ったと目の前で言われた」

 河島が故人となった今、2代目社長としての意地か、実弟を解雇された私怨かはわかりようもない。

「まずは販売店の調査です。千葉のとある市で、そこには複数のブランドを扱う併売店と1社のみを扱う専売店が合わせて50ほどあったのですが、4人で3日掛けて全店を調査。なぜそんなことをやったかといえば、販売店の経済性が不透明だったから。ヤマハがどんな条件で販売を行っているかもわからなかった」(同)

 すでに実勢価格は定価の半分以下にまでダンピングされていた。

「ホンダからは『原価は1台5円だ。1万9800円で売ってこい』と言われていました。原価が5円のワケがない。でも、何としても勝つ、ということでした。ホンダの社員と朝イチで店に行って店頭のバイクを磨き、そのついでにヤマハのバイクを倉庫に入れ、倉庫の中から出してきたホンダのバイクを一番いいところに展示する、なんてことまでやった。ヤマハ関連会社も潰した。販売合戦のあおりで販売代理店の店主が首を吊ったことも……」(同)

 店先で、ホンダとヤマハの営業マンが罵り合うという風景もみられた。

♪盗んだバイクで走り出す……と歌った尾崎豊の「15の夜」で、盗まれたバイクはパッソルだった、と言われる。尾崎が15歳だったのは55~56年である。当時のスクーターにはロックも備わっていなかったから、よく盗まれた。すでに街にはスクーターが溢れていた。(敬称略)

 ***

(3)へつづく

特集「ダンピングとリベートの嵐! 原付バイクの覇権を争ったホンダ・ヤマハ『HY戦争』血風録」より

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

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