名誉顧問、名誉会長…なぜ「偉い人」は会社に居続けるのか?

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■ファウンダーって何者?

「社内外の顔として機能する」といった理由がある場合には、社長退任後も、何らかの肩書を持つことが合理的

 会社で一番偉いのは「社長」もしくは「会長」というのは一昔前の常識だろう。

 日本の高齢化をそのまま反映して、経営陣も軒並み高齢化するなか、会長、相談役だけでなく、いろんな肩書が生み出されている。

 なかには「シニア・チェアマン」「ファウンダー」といった聞き慣れない肩書を使う企業も現れた。

 チェアマンと聞くと多くの人は「川淵さん?」と思ってしまうかもしれないが、チェアマンとは通常、取締役会の議長を務める人のことを指す。

 なぜこのようにわかりにくい肩書が企業で増えているのか。そこにはどういう意味があるのか。

「日本初の肩書入門」と謳っている『出世と肩書』(藤澤志穂子著・新潮新書)をもとに見てみよう(以下、引用はすべて同書より)。

 現在、「シニア・チェアマン」という肩書を持っているのは、金融グループ・オリックスの事実上の創業者である宮内義彦氏だ。

「長く会長兼CEOの地位にあり、事業拡大を進めて2014年に経営の一線から退いた後につけられた」(同)

 もっとも宮内氏の場合、議長の仕事は当然なく、ご本人も記者会見で「非常にわかりにくい称号」と話しているという。

 そして「ファウンダー」の和訳は「創業者」。それならそう素直に言えばいいのに、と思わないでもないが、企業側にはトップをカリスマ的に見せようという狙いがあるという。

「早くは2001年頃、ダイエー創業者、故中内功氏が一線を退いた際の肩書として使用。近年ではDeNAの南場智子氏、ユニ・チャームの高原慶一朗氏が名乗っている」(同)

「シニア・チェアマン」と「ファウンダー」に共通するのは、経営の第一線から離れた人物あるいは、一定の役割を終えた人物の肩書ということだろう。

 しかし、それならそもそも肩書なんかなくしてもいいのでは?

 卒業しても部室に顔を出しまくる迷惑な先輩みたいじゃない?

 そんな疑問も湧いてくるが、実際には企業にとっても、社長を退いたあとも「先輩」に肩書を持ってもらうことには意味があるケースも少なからずあるのだという。

 まず、社長を退いたとはいえ実際に仕事があるケース。こういう場合には当然、何らかの肩書が必要になる。

 JR東海の葛西敬之氏は「代表取締役名誉会長」。

 名誉会長という響きは、一線を退いたような印象を与えるかもしれない。しかし、実際には今でも現役バリバリで、リニアの海外販路の開拓担当だ。社長、会長は国内業務と仕事が分かれている。東海道新幹線を抱え、JR各社の中でも一番高い収益力を誇る同社ならではかもしれない。

 また、社員の精神的支柱として、縁が切れていないことを対外的に示したほうが良い、と経営陣が判断するケースもある。日本航空名誉会長の稲盛和夫氏などはこのケースだという。ちなみに退任時にもめたセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文氏の肩書は結局「名誉顧問」に落ち着いている。

 一方で、外部に対してのイメージを配慮して肩書を残すケースもある。その人物イコール会社の顔となっている場合、その人が経営から離れることで、対外的にイメージダウンする可能性がある。だから肩書無しというわけにはいかないのだとか。

 前出の宮内氏のケースはまさにそれだという。

「オリックス=宮内氏というイメージが強いだけに、全く離れてしまうと信頼を損ないかねない。会社に引き続き近い存在だということを関係先に示す意味合いもある」(同)

 会社の不祥事で経営の一線に返り咲いた南場氏もこのケースにあてはまる。この人の言うことなら信用しよう、と世間が思ってくれるだろう、という計算が企業側にはあったのではないか。実際に、謝罪会見での南場氏の対応は高く評価されていた。

 つまり「実務上必要」「社内外の顔として機能する」といった理由がある場合には、社長退任後も、何らかの肩書を持つことが合理的だということになる。

 逆に言えば、本人だけが現役でいることにこだわって、肩書を持ち続けるケースは「老害」と言われても仕方ないのだろう。

デイリー新潮編集部

2017年3月31日掲載

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