北方謙三vs.川上未映子 特別対談 『いまそこにいる君は』刊行『あこがれ』渡辺淳一文学賞受賞記念〈「十字路が見える」&「オモロマンティック・ボム!」拡大版〉
ハードボイルドおよび歴史小説の大家と純文学の美しき旗手。本誌(「週刊新潮」)連載でおなじみの2人の作家が、片や連載をまとめたエッセイを刊行し、こなた第1回渡辺淳一文学賞を受賞したのを記念して、はじめてご対面。話題はエッセイ論からわき毛にまで縦横に展開した。
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北方 川上さんのことは、遠くから見たことがあるんじゃないかな。
川上 私も遠くからお見かけしています。知人が直木賞や芥川賞をもらったとき、お祝いに行くと奥にいらっしゃる。
北方 どうせ銀座の女に囲まれている(笑)。
川上 私、週刊新潮での連載が8年目になるんですけど、北方さんの連載が始まったときは、ページを開くと、熱風が吹くみたいにエネルギーが伝わってきました。今回、エッセイ集も2冊、まとめて読ませていただいて、エッセイという形式の魅力をあらためて感じました。
北方 僕はエッセイの連載はこれが初めてなんです。今まで小説だけでも書ききれないくらいの量がありましたからね。
川上 読者の方から反響とかありますか。
北方 まだないです。小説はあるんですよ。
北方謙三氏
川上 若い女性からの反響もあると、エッセイに書かれていましたね。サイン会にいらして、登場人物にすごく感情移入されていて。
北方 16歳の少女に、「小説の登場人物とあなたが私の初恋の人です」と言われたこともあった。僕は「あと2年待ってくれ」と言ったんですけど。
川上 16歳という、人生が始まったばかりの年齢の子が読んで、というのがすごい。北方さんのお書きになる男性の悲喜こもごもの素晴らしい世界を、“ボーイズラブ”とかが好きな一部の女性がすごく愛好しているんですってね。
北方 僕はね、そういう人にウケるんです。「ブラディ・ドール」シリーズという現代小説などは、いわゆるコミケ(コミックマーケット)でナンバーワンだったんです。
川上 コミケに集まる“腐女子”たちが北方さんの作品に狂喜乱舞しているなんて、すごくないですか。
北方 なぜその人たちにウケているのか、僕はわからない。最初に本を書いたときは、読者の男性率は100%で、それから10年くらい、90%台から下がらなかったんですよ。
川上 今回のエッセイの読後感は、マイケル・マン監督の映画を観たときに似ています。そこにとにかく行動がある。現場第一主義というか。
北方 僕の取柄は率直さしかないんです。だからバカなときはバカなんですね。
川上 そこにエッセイの可能性が開けている。北方さんのエッセイは先が読めないし、お話を直接聞いている感じがあって、ひきこまれます。
北方 僕はエッセイの形式はよくわからないけど、小説を書くときは、顔も見えないし、声も聞こえないある一人だけに向けて、その人と感応しあっているつもりで書いているんです。
川上 それが本当に伝わってきて、最後に呼びかけがあるじゃないですか、「君、嗤うなよ」とか。読んでいてだんだん、自分に語りかけられているような気がしてきます。
北方 僕ね、「ホットドッグ・プレス」という雑誌で人生相談をやっていたんです。そのときも酒を飲みながら一対一で話すような感じで、こいつは童貞という濡れたシャツを脱いだほうがいいと思ったら「ソープへ行け!」と言った。たまにしか言わなかったのに言葉が一人歩きして、街を歩いていると「ソープの人ですよね」と言われてね。それからは決め台詞として必然性がなくても、最後に「ソープへ行け!」。この連載のおかげで、若い連中へのアンテナが伸びたんです。
川上 違う世代の文化や好奇心にアンテナを伸ばすのは、すごく大事ですよね。
北方 僕は若いやつらと喋るのが好きなんです。十数年前、ある授賞式への迎えの車が早く来て、着いたら控室に五木寛之先生だけがいる。仲居さんに「俺が持っていく」と言って、先生にお茶を持っていったんですよ。そうしたら「北方、お前もね、そこそこ大家なんだから、そんなことしなくていい」と。それ以来、自分は「そこそこ大家」だと思っています(笑)。
川上 大家になっちゃダメだというお気持ちがおありなんですか。
北方 ありますよ。直木賞の選考でも、以前は一番末席に座って言いたいことを言っていたのに、気づいたらお誕生日席に座っている。今まであそこに座った人はみんな死んでるんですよ。
■いまだにわき毛フェチ
川上 北方さんは最初の本をお出しになるまで、すごく苦労されて、そこからもうすぐ40年ですか?
北方 新潮社の最初の担当者は本を書かれていて、プロフィールに育てた作家4人の名前がある。中上健次、立松和平、車谷長吉、それと僕なんです。3人とも死んでいるじゃないか(笑)。でも、若いころは感性が本当にみずみずしかったと思う。川上さんの『あこがれ』を読んで、麦彦くん、いいですね。こういう少年でいたかったなぁ。僕は昔から見栄っ張りで、女の子の前でわざと危ないことをしたりしたけど、彼はちょっと大人っぽい。
川上 やっぱり女性が書いた男の子ですよね。
北方 女の子をワーッと追いかけて行ったりしそうもない。それと文体が長いんですが、ヘガティーの視点になると、プツップツッと切れるんです。意図的に書き分けられたんですか。
川上 はい。私は作品ごとに文体を変えるのが好きなんです。それと出産のために、途中で1年半くらい間が空いているんですね。
北方 でも、ときどきプツップツッとなって、ヘガティーの性格がよく出ていました。麦くんはタラタラと思い悩んで結論を出せないけど、優しい子ですね。もう一つは、お書きになったテーマがすごく目新しかったです。エンターテインメントの作家だと、もっと事件性を追い求めてしまう。
川上 そうですね、何も起きませんし。
北方 でも、エンターテインメントと純文学で、どこに違いがあるかと言ったら、ないです。『あこがれ』は直木賞候補だと思って読んでも、「すごい」と思う。
川上 初のダブル受賞、ないですかね(笑)。
北方 目新しい部分、素材のどこに視点を当てるかという部分が、エンターテインメントとの違いになっていると思う。たぶん、エンターテインメントの作家はそこに目を当てない。
川上 事件が起きますし。
北方 僕は、ヘガティーは男を振り払って、わんわん泣くタイプだと思う。一生懸命追いかけて「大丈夫かい?」と言うのは、やっぱり麦彦くん。あとね、麦彦くんがミス・アイスサンドイッチに「これはぼくが描いた絵です」と言って、彼女の肖像をあげるシーンがあるじゃないですか。彼女はブスなんですか。
川上 今流行りのふたえの手術をしているようにも思えます。手術も糸でつまむのと切開するのがあるんですが、思い切ったほうをやっていると、パッと見てわかる。そして目には青いメークを施して、子供からは、デフォルメされて見える顔つきなんだと思うんです。
北方 僕はずっと、美人なのかどうか考えていました。
川上 大人の事情で考えると、整形していると思うんですが、本当はわからないという設定で書きました。
北方 あこがれの人の絵を描いて傷ついて。僕もこの年頃に恋したお姉さんが近所にいて、この世で一番美人だと思ったけど、今考えると、どうってことない。
川上 そのときにしか見えないものがある。世界の初心者というか練習生だから刺激も大きいし、女の人に優しくされたら、それだけで全部になっちゃう。
北方 僕はそのお姉さんに、同級生にはないわき毛が生えていたのを見てから、いまだにわき毛フェチですよ。彼女は60年安保のデモに行って、足が2倍くらいに膨れて帰ってきました。
川上 わき毛とか安保とか、いろんな背景や思い入れが混然一体となって、何かを書いているときに立ちあがってきますものね。
北方 わき毛なんか完全に立ちあがってくる。わき毛が出てくる映画は、それだけで評価が上がります。
川上 性的なものと結びついた体験は、なかなか拭えませんよね。
北方 銀座に行って剃っている女性を探して、頼むから生やしてくれとお願いしたり。あとは海外。中国の奥地に行くと、生えている人がいっぱいいます。
川上未映子氏
■松田優作との見果てぬ夢
川上 エッセイでは今がいつかわからないとお書きになっていて、その感覚に共感します。読む人が「いつ」読むか、書く人が「いつ」書くか。つまり、いろんな「いつ」があるのが、映像を喚起する力になると感じました。文体も短く、独特のリズムがあって。
北方 僕も、昔は長い文体でした。新潮社に原稿を持ち込んでいたころは、堀辰雄の原稿用紙1枚分くらい句点がない文体が雰囲気があると思って、一時真似していた。川上さんの文章を読んで思い出しました。僕はデビューしたころ、漢字一つに句点をつけたりしたんですから。殴り合いを「相手が転がって棒を拾い上げて、私に向って打ちかかってきた」と書いてもスピード感がない。だから「棒。」と書いたんです。
川上 映画と文法の融合ですね。それに、昔の出来事についてお書きになるときも「俺は正確さを求めていない」と。データを調べて間違いがないことより、読みたいのは強烈に残っている体験だろうと。
北方 調べるのは面倒くさいんです、僕はパソコンがあまりうまく使えないので。以前、『十八史略』をパソコンで調べていたら“十八歳の春”と出てきて、“あなたは18歳以上ですか”と言うので“以上”というほうを押した瞬間、パーッと画像が出て、しばらく見入ってから出ようとしたら出られないので、電源を引っこ抜きました。すると翌日、秘書が来て“昨日、なにか変なものを見ましたか”と。6万円の請求が来ているというんです。モザイクが入っていないやつで、結構長く見ていましたからね。
川上 わき毛もあった?
北方 なかった。わき毛があるのは映画ですね。荒井晴彦監督の「この国の空」は、二階堂ふみと長谷川博己が主演で、お母さんが工藤夕貴、おばさんが富田靖子ですが、監督がわき毛をつけてくれと言ったら、二階堂だけ“絶対にイヤ”と部屋にこもって、外しちゃった。戦争中の話なので、わき毛が生えていないとおかしいんです。
川上 役者をその気にさせるのも、わき毛をつけさせるのも大変ですね。でも二階堂さんって、体当たりで演技する女優さんで、評価が高いじゃないですか。
北方 彼女に言ったんですよ。「才能に自信があるだろ。だけど才能がないやつがじっと耐えて努力して、30歳になって才能だけで仕事をしてきたキミと対峙したら、存在感で負けるんだよ」と。そうしたら「私だって努力しているんだから」と言って、プイッと横むいちゃった。
川上 若手の芸術家と、どこで出会うんですか。
北方 最初から俳優さんと親しかったわけではなくて、3本目か4本目の小説を書いたとき、なぜか日本を代表する俳優さんが自ら、原作権を取りに来られたんです。プロデューサーも監督も来ないで俳優さんだけ5人も。高倉健さんが来て、菅原文太さんが来て、仲代達矢さんが来て、最後が松田優作でした。そのときはプロデューサーが来て“お金を払うから、2年間映像権を貸してくれ”と言う。“お金がかかるから映画は作れないけど、原作権をもらってきたと言えば優作は安心するから”と。
川上 ほかに原作権が行くのがイヤだと?
北方 そう。で、「ブラック・レイン」を撮影中の松田がアメリカから電話をかけてきて“いいシーンを思いついた”と言う。それが本当に細部で、“靴の底が路面を削って、次の瞬間にこう肘を飛ばして”とかね。彼はすでに膀胱がんだったわけですが、自分が死ぬとは思っていなかったと思いますね。彼とは見果てぬ夢を共有してしまったというのがあるなぁ。
■小説の言葉って
川上 北方さんのエッセイを北方さんの体験を通して読むと、抑制が効いた文体で、大事なところを想像させられるんです。
北方 それはハードボイルド小説の手法ですね。
川上 スマホをトイレに落とすところなんか素晴らしい。落ちたときに思考停止してしまう感じと、次の瞬間にもう拾っていたという運動神経と反射神経。それを文章で再現する描写力の力強さ。また「スマホですか」と聞かれるためだけにスマホを持っているというところも、声を出して笑ってしまいました。人の生き死にや別れも、淡々とお書きになって、内面を描写せずに、読み手を泣かせてしまう。ところで、北方さんは小説も原稿用紙ぴったりにお書きになると聞いたんですが。
北方 『大水滸伝』は2万5500枚なんですが、原稿用紙2万5500枚しか使いませんでした。
川上 最初にプロットとか考えないんですか。
北方 まったく考えません。何かしら事件が必要だとしても、主人公を丁寧に書いていると、そこそこの事件に見えてくるんです。山小屋にこもって執筆したとき、200枚書いても事件を思いつかなくてね。そこでは主人公は、友人の子が「助けてくれ」と言いにきても耳を貸さずに酒を飲んでいたんです。ところが翌朝から木刀を持って裏の大木を叩いて、血が出るまで叩いて木を切り倒した。そうしたら酒が抜けてアル中が収まり、少年に「行くぞ」って言えた。頭突きで岩を崩すのでもなんでもいい、行動できる男になって前に進んでいく。動かずに悩んで気づくのが純文学なら、エンターテインメントってそういうものなんです。
川上 それ、すごくないですか。若い作家には「短編を書け」とおっしゃっているそうですね。今のように無限に書き直せる時代だからこそ、50枚なら50枚で書くという感覚を叩きこむのは、よい文章修業になりますよね。
北方 枚数を守って書くと、言葉を選び、描写を切り詰めるようになる。僕は小説の言葉ってなんだろう、と考えるんです。赤いバラがあって、それを「美しい赤だ」と言っても「きれいな赤だ」と言っても意味は通じます。一方、「いい赤」だと「いい」は主観的な言葉ですが、「いい赤」と書いて普遍性をもたせることができるかどうか。主観的な言葉が活きて、普遍性をもってしまう。それが小説なんだと思っているんです。
■どこでも賞をとれる
川上 私、渡辺淳一文学賞の受賞の知らせをいただいたとき、意外だったんです。
北方 僕も『あこがれ』を読んでいて、渡辺淳一文学賞にふさわしいかというのは思いましたね。もっと露骨に性愛が描いてあると思って読み進めたんです。だって、これ、恋愛小説大賞なんでしょう?
川上 いえ、ジャンルを絞らず、人間心理に迫ったものを評する賞なんだとか。
北方 でも、この小説はどこへ出しても賞をとれるでしょうね。本当に小説のありようがちゃんと出ている。麦彦は勇気を出して、ミス・アイスサンドイッチに「ぼくが描いた絵です」って言うじゃないですか。僕はそれができなくて、ずっとわき毛を見ていた(笑)。
川上 感想を伺っても思うんですが、北方さんは文体の話以上に、小説の登場人物について話されます。現場主義と言うんでしょうか。マイケル・マン監督のインタビューを読むと、俳優に脚本に書かれていない役柄の背景を知り、その人物が育った環境に身を置き、どういう空気を吸っていたか雰囲気をつかめと言うらしいんです。その記憶を持って北方さんのエッセイや小説を読むと、ご自身や登場人物がとにかく行動されるのが肌で感じられます。
北方 『あこがれ』は人間が書けていますよ。
川上 行動して人間を書くんだ、という姿勢がひたひたと感じられる北方さんにほめていただけるのが、すごくうれしいです。
北方 感心したのは、女の子3人組がヘガティーのところへ行って、「(麦彦と)付きあってたりすんの」と囲んで話すところ。イジメになるパターンだけど、ヘガティーが強いから「もし(麦彦に)いやがらせがつづいてるんだったら、つぎはわたしが」と言って、イジメになっていかないところがすごいと思いますね。麦くんとヘガティーは恋をするんですか。そこがすごく気になるなあ。
川上 恋に行く前の最後のイノセンスを書こうと思ったんです。最後に二人は肩を組みますが、あのシーンは男女なんですが、ハードボイルドっぽい感じがあったかな、と思うんです。
北方 あそこは友情のほうが強い感じがしました。
川上 ところで、私、男の子を育てているんですけど、本当に理解できない。もう2時間たつと思っても、飽きずに夫と、ウルトラマンや仮面ライダーごっこをして闘っているんです。でも、性別が違ってここまで理解できないと、正しい距離感のもとに子育てできるように思います。二重に他人だ、というような。とはいえ、めちゃくちゃかわいいんですけどね。
北方 うちは孫が男2人で、なにかあると「マミー」とか呼ぶわけ。そのたびに2人とも逆さ吊りにして「このマザコン野郎!」とか言ってやりますよ。
「特別対談 『十字路が見える』&『オモロマンティック・ボム!』拡大版 『いまそこにいる君は』刊行『あこがれ』渡辺淳一文学賞受賞記念――北方謙三vs.川上未映子」より