慰安婦像をクレーン車で撤去したい 慰安婦問題を作った男「吉田清治」の長男が語る

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 元慰安婦らへの支援を目的とする「和解・癒やし財団」に日本政府が10億円を拠出することが、8月24日に閣議決定された。昨年末の日韓合意に基づくもので、今後は、在ソウル日本大使館前の慰安婦像の撤去を求めていくという。

 慰安婦問題をめぐっては、一昨年に朝日新聞が、過去の記事を撤回したことが記憶に新しい。そこで「虚偽」とされたのが、“慰安婦狩り”をしたとの故・吉田清治氏の証言だ。

新潮45」9月号に掲載の『【「吉田清治」長男、衝撃の告白】「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」慰安婦問題を作った男の肖像』では、ジャーナリストの大高未貴氏が、謎に包まれてきた清治氏の実像に迫っている。特筆すべきは、清治氏の長男へのロングインタビューである。

■「済州島には行っていません」

〈「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様にたいへん申し訳なく思っております。できることなら、世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい(略)私自身、なぜ父があんなことをしたのか知りたいのです」

 と、吉田清治氏の長男は語り始めた。清治氏は平成一二年七月三〇日に死去するが、それまでずっと一緒に暮らしてきたのが、この長男だった〉※〈〉は本文より引用、以下同

 66歳になるこの長男に、大高氏は数々の貴重な話を聞いた。例えば清治氏は、諫早刑務所での服役生活の後に、山口県労務報国会下関支部の動員部長として済州島に赴き、“軍の命令で朝鮮人女性を強制連行し慰安婦にした”ということになっている。
 
 ところが、

〈その長男が衝撃的な証言をする。

「父は済州島には行っていません。それは父から聞いています。それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ原稿を書いていました」

 ではなぜあれほど克明に書けたのか。

「材料はなかったはずです。ですからそれは、出版社や周りにいた人たちに発言をしていただきたいんです」〉

“原稿”とは、済州島での慰安婦狩りを詳細に綴った1983年出版の『私の戦争犯罪』のこと。清治氏が済州島に行っていないとすれば、“慰安婦狩り”に携わったという証言が捏造であることはいうまでもない。なお大高氏は、当時の担当編集者にも接触し、話を聞いている。

■戦後に会社経営

 また、先述の“服役後に労務報国会に所属”の経歴についても、出所直後に半官半民団体に入る不自然さが指摘されており、清治氏が本当に在籍していたかどうかの証拠も見つかっていない。

 これは長男によると、

〈「終戦時、父は労務報国会で物資の管理をしていたそうです。だから戦後、その物資を自由に隠匿できた(略)そこにあった配給の余りものの肥料を隠匿して『下関肥料』という会社を作った。一時はもうかったようです。ただ父は商売の経験がない。どんぶり勘定であっと言う間に倒産してしまいました」〉

 という。清治氏は労務報国会に在籍し、それを元手に「下関肥料株式会社」を戦後に経営していたというのだ。

 ***

 18ページにわたる特集では、このほかにも「朝鮮半島の“ある組織”と活動していた」とする清治氏のエピソードなどが明かされる。今日まで続く日韓問題を作った「吉田清治」という人物を考える上で、本記事は貴重な資料である。

デイリー新潮編集部

新潮45 2016年9月号掲載

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