ホンハイ傘下のシャープ、新本社は駅からバスで20分 「わざと不便な場所に…」 シャープ戦犯たちの終戦(1)

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 今や株価はピークの20分の1に下落したという。だが、経営陣に対する批判の声こそ上がったものの、シャープ「最後の株主総会」は、大きな混乱もなく終わってしまった。身売りの戦犯と兵隊たち、それぞれの終戦を、「ロケット・ササキ」(新潮社)の著者がレポートする。

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「わし2200円の時にシャープの株、買うたんや。130円ではどうもならんがな」

 6月23日、大阪市のオリックス劇場で開かれたシャープの第122期定時株主総会に出席した初老の株主は、会場前の公園でマスコミに囲まれて憤懣をぶちまけた。

「(シャープの創業者)早川徳次さんを信用してシャープの株主になったのに、ワシの退職金パーですわ。どないしてくれますの」

 この株主は、総会の議長を務めた高橋興三社長にも容赦なく怒りをぶつけた。しかしシャープが倒産してしまったのでは株が紙くずになってしまう。シャープが台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入る議案は可決され、創業から104年に及ぶ独立経営に幕が降ろされた。

「シャープ」公式サイトより

 リーマン・ショック前夜、液晶テレビ「アクオス」の大ヒットで、シャープの株価は2000円を超えていた。2445円に達したこともあり、経営陣は「パナソニック、ソニーを追い越せ」と本気で「株価5000円」を狙っていた。それがたったの10年で100円台。時価総額にして3兆円以上が吹き飛んだのだから、株主が怒るのも無理はない。

 総会翌日には英国のEU離脱で株式相場が大崩れ。東証2部落ちが決まったシャープ株は嫌気され100円を割った。これでは損切りもままならない。

 たまらないのは従業員も同じ。すでに2度の希望退職で6000人の仲間が会社を去った。出資交渉がまとまった4月の時点でホンハイは「人員削減はしない」と言っていたが、その後、前言を撤回。「国内2000人、海外5000人規模の削減が必要」と言い始めた。

 しかし現場は意外に冷静だ。「みんな『就活』に必死で、100人近くが自己都合で辞める月もあります。放っておいても、すぐに2000人くらい減るんじゃないですか」(シャープ社員)。

■「護送車のようになる」

 社員への求心力が落ちている大きな要因の一つが本社移転である。株主総会の少し前、大阪・西田辺のシャープ本社1階のロビーにあった早川徳次像が姿を消した。近く新本社になる堺市の工場に移されたのだ。

 工場といってもシャープのものではない。資金繰りに窮した2012年、ホンハイのテリー・ゴウ(郭台銘)会長が個人で600億円超を出資してシャープから買い上げた。現在の名称は「堺ディスプレイプロダクト(SDP)」だ。

 2009年に稼働したこの工場は町田勝彦会長、片山幹雄社長の時代に約4000億円を投じて建てた巨大な液晶コンビナートである。堺港の埋め立て地に建つSDPは、最寄りの南海電鉄堺駅からバスで20分。事務職のサラリーマンが通勤するには適さない。マイカー通勤が認められるのは管理職以上で、平社員は駅からバスに乗るしかない。ある社員は毎朝の通勤風景を「護送車のようになる」と自虐的に予想する。

 工場の敷地は120万平方メートル。先端技術が外部に漏れないよう厳重にガードされた正門でバスを降りると、事務棟まで約1キロを歩く。雨の日は職場にたどり着くだけで一苦労だ。

「あまりに不便な場所なので、SDPが新本社と聞いた瞬間に退職した社員もいる」(現役のシャープ社員)。中には「わざと不便な場所にして、社員をふるい落とす作戦ではないか」と勘ぐる社員もいる。

■社員たちの怒り

 だが不便さ以上にシャープの社員が怒っているのは、創業の地である西田辺を去らねばならないことに対してだ。

 創業者の早川徳次は江戸っ子である。小学校中退後、本所の錺(かざり)職人のところで奉公を始め、独立してからは繰り出し式鉛筆を改良し、わずかな回転で必要な分だけ芯が出る「エバー・レディー・シャープペンシル」を考案した。

 その後、社名の由来にもなるシャープペンシルは大ヒットした。しかし一代で築き上げた事業は関東大震災で灰燼に帰す。妻と二人の息子を失い、すべてを失くした徳次は大阪で再起を期す。西田辺で鉱石ラジオを作り始めたのだ。

 徳次は工場の敷地内に自宅を建て、後妻とともにそこに住んだ。工場を拡張するときに担当者に立ち退きを迫られ、渋々、会社のそばに家を建てたが、徳次にとって西田辺はそれほど思い入れのある場所だった。

 しかし徳次から数えて7代目にあたる高橋社長は、昨年9月、西田辺の本社ビルと、向かいの田辺ビルを総額188億円で家具販売大手のニトリホールディングスとNTT都市開発に売却してしまった。

 若手社員が憤る。

「聖域なきリストラのつもりだったのでしょうが、創業者の思いが染み付いた西田辺をたったの188億円で売るなんて」

(2)へつづく

「特別読物 最後の株主総会が終わって 『シャープ』戦犯たちの終戦 ジャーナリスト 大西康之」より

大西康之(おおにし・やすゆき)
1965年生まれ。88年早大法学部卒。日本経済新聞社に入社し、産業部、欧州総局(ロンドン駐在)を経て2016年に独立。著書に『ロケット・ササキ』(新潮社刊)がある。

週刊新潮 2016年7月7日号掲載

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