高倉健の豪邸が取り壊しへ 元妻と暮らした思い入れのある場所

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「遠ざかる記憶のなかに花びらのようなる街と日日はささやく」と寺山修司は詠む。街を構成する建物もまた、散りゆく定めに違いない。映画俳優・高倉健(本名・小田剛一)が鬼籍に入ったのは、2014年11月10日のことである。享年83。つまり今年三回忌を迎えるのだが、それを待たず、世田谷の6億円豪邸で解体工事が始まったのだった。

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地元不動産業者によると「坪250万円なので、ざっと6億5000万円の市場価値があります」

 東急田園都市線の二子玉川駅から徒歩10分。低層の邸宅やマンションばかりが立ち並ぶ閑静な住宅街にあって、敷地約260坪を有するその家はひときわ存在感を放っている。地元不動産業者によると、

「坪250万円なので、ざっと6億5000万円の市場価値があります」

 丁寧に手入れされたツタの緑が、背後に控える象牙色の建物によく映える。

 そのガレージのシャッターに、〈解体工事のお知らせ〉という紙が貼られたのは数日前のこと。事業主には高倉プロモーションの代表取締役として養女(52)の名がある。工期は5月23日から7月16日まで。床面積280平方㍍の建築物を解体すると告知するのだ。

 これに先立って、石綿などの使用状況調査も行なわれている。それは3月3日に終了しているから、解体が計画的に進められているのが見て取れる。

「あの家はA・B・Cという名の3棟から成ります」

 と話すのは、小田家の事情をよく知る関係者。

「A棟が健さんでB棟が養女という割り当て。まずはA棟を壊すようです」

 事実、23日早朝には、工事作業員約10人が集い、A棟解体に着手していた。それとは対照的に、B棟の窓はカーテンで閉め切られているのだった。

■「最初で最後に」

 関係者が続ける。

「健さんはこの家に大変な思い入れがありました。江利チエミとかつて暮らしていた場所だからです」

 1959年、健さんは江利と結婚し、世田谷に新居を構える。3年後に彼女は身籠るが、妊娠中毒症で中絶を余儀なくされた。更に悪いことに、70年には自宅が火事で全焼し、翌年に離婚。江利は82年に死去している。

「それでも健さんの江利チエミへの思いは強く、ここを離れなかった。86年、同じ場所に自宅を建て、終生住み続けたんです」(同)

 自宅から3分程歩いたところにある法徳寺。ここには江利が祀られ、彼女を模した女性像が健さんの自宅を向いて立つ。あたかも江利と健さんが見つめ合うかのように。解体を伝え聞いた別の関係者はこう話す。

「養女は、そういった2人の関係を快く思っていなかったのかもしれません。だから、更地にして人手に渡す可能性もあるでしょう」

 差し当たって養女は、三回忌をもって始まる「追悼特別展『高倉健』」なるイベントの準備に余念がない。4月頭には、これを主催する毎日新聞社の本社で、全国から集った関係者を前に、こう挨拶しているのだ。

「最初で最後になると思いますので、よろしくお願いします」

 一方で、酸いも甘いも噛み分けたはずの健さんが愛した空間がひとつ消えて行く。

「ワイド特集 酸っぱい経験」より

週刊新潮 2016年6月2日号掲載

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