「だまってトイレをつまらせろ」で結局何が言いたいのか? 「朝日新聞」政治コラムにチリ紙1枚の価値もない!

社会週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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朝日新聞東京本社

「天声人語」を筆頭に「朝日新聞」のコラムが“名文の代名詞”とされていた時代があった。しかし、その栄光も今は昔で、つい先日も女子高生の作文かと見まがう原稿が紙面を飾る始末。しかも、筆者は政治部の女性次長サマで……。朝日の退廃、ここに極まれり。
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 多くの勤め人にとって、「日曜日の朝」はもっとも心穏やかなる時間のひとつだろう。いつもより少し遅く起き、朝食を味わいながら、新聞を開いて世の“動き”を見つめ直す。それは翌日から始まる厳しい日常の糧ともなるべき、貴重な時間でもあるのである。

 ところが――。

〈だまってトイレをつまらせろ〉

 2月最後のその朝をさわやかな気持ちで迎えた朝日新聞の読者諸兄は、朝刊を捲って仰天してしまったのではあるまいか。

 2月28日付の紙面には、そんな尾籠な見出しが堂々と躍っていたばかりか、その筆は女性記者によるもので、しかも「政治部次長」の肩書を持つエリート。オマケに顔写真まで堂々載せていたのだから。

「あまりにくだらなくて、鳥肌が立ちましたよ」

 半世紀に亘る記者経験を持つ、産経新聞の古森義久・ワシントン駐在客員特派員にそう言わしめる“迷文”の筆者の名は、高橋純子氏。年の頃四十半ばの彼女が何者で、何が「くだらない」のかは後に触れるとして、まずはこの記事の主張を整理しておこう。

 彼女によれば、「だまってトイレを~」とは、〈船本洲治という山谷や釜ヶ崎で名をはせた活動家〉の言葉だそうだ。〈ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しない〉場合、労働者には、〈(1)会社側と交渉する(2)実力闘争をやる〉の2つの方法があるが、船本氏は、第3の道を指し示す。それは〈新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる〉こと。〈修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ〉。

 もちろんこれ、器物損壊に当たるのだが、なぜか彼女はこれに〈きらめくなにかを感受してしまった〉。そして、〈おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはない〉〈生かされるな、生きろ。私たちは自由だ〉と、トイレだけに“くさい”セリフを連発するのである。

 ここまで紹介しただけで、「大新聞というより、高校の校内新聞に出てくるような記事。文章が幼稚で下品」(元毎日新聞編集委員でジャーナリストの徳岡孝夫氏)と論評されても仕方ない代物であるが、この後もコラムは衝撃の展開を辿る。

 ここで彼女は、急に〈他者を従わせたいと欲望する人〉を持ち出し、彼らは〈あなたのことが心配だ、あなたのためを思ってこそ、みたいな歌詞を「お前は無力だ」の旋律にのせて朗々と歌いあげる〉と述べる。

 続けて、〈(2014年の)解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。「この道しかない」。為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ〉と、矛先を突如総理に向け、〈道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?〉と腐す。

 そして締めの言葉は〈もう一回。だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている〉。

 かように、アジテーションや独善的主張、説明不足のオンパレードでは、いまどきの女子高生の方がもう少しまともな表現をすると思えてしまうのだが、要はこの人、コラムを通じて、

・「トイレをつまらせる」式の抵抗は自由で素晴らしい。

・安倍政権は人々の自由を制限しようとしている。

・我々はそこから自由でいよう。時には物理的手段をもって抵抗しよう。

 と、述べたいらしいのだ。

■おわびを掲載

朝日新聞社代表取締役社長、渡辺雅隆氏

 これについて、

「“一刻も早く安倍体制を終わらせたい”という朝日の執念が伝わってきて、興味深く読みましたよ」

 と皮肉交じりに語るのは、先輩に当たる朝日の元経済部記者・永栄潔氏である。

「“だまってトイレを”というのは、問答無用の発想ですよね。話し合いなどは一切なく、安倍は危険だから次の選挙で間違っても自民党に投票してはいけませんよ、と言わんとしているのだと思いました。それでいわゆる権威や制度、世間の仕組みを拒否する、超過激な思想の人を紹介することにしたのでしょう。憧れがあるんだろうけれど」

 確かに故・船本洲治氏は単なる「活動家」とは呼べない人物だ。60年代後半から70年代前半、山谷、釜ヶ崎の労務者問題に取り組んだ彼は、地域センターを爆破した疑いで指名手配され、全国を潜行していた最中、75年に皇太子殿下(当時)の訪沖に抗議し、嘉手納基地前で29歳にして焼身自殺を遂げた。

 そんな“特異人物”について何の留保もなしに褒め称えては、あまりにバランスに欠けると言わざるを得ないし、そもそも、マスコミ界の中枢にある「朝日」の、そのまた中枢にある「政治部」幹部が彼の思想をわかった風に述べたところで、少しも説得力を感じないのである。

 永栄氏が続ける。

「コラムでは、総理が“この道しかない”と言ったことを批判していますが、政治とはそもそもそういうもの。自民党が“この政策しかない”と言い、それに対して野党が“いや、こっちが最善だ”と主張をぶつけ合って議論する。これが代議制なのです。それを彼女は、為政者に言われたくないと書く。これでよく政治部の記者が勤まりますね」

 朝日の記者と言えば、イスラムテロも慰安婦問題も、何でもかんでも話し合えば解決すると思っているおめでたい方々だ。その幹部にして、コラムでは民主主義の根幹を閉ざそうと言わんばかりなのだから、ブラックジョークも良い所なのだ。

「実はこの高橋次長、筋金入りの反権威・権力主義者として有名でして……」

 と明かすのは、朝日の同僚記者。

「森喜朗さんが首相だった00年に番記者を務めた時は、慣例だった番記者による誕生日プレゼントを拒否して話題になりました。09年には、『自民党支持者だった奈良県の元森林組合長が、悪政に愛想を尽かし民主党と共産党との選挙協力を主導している』という記事を書いたものの、当事者から抗議を受け、おわびを掲載しましたし、これまで過去の同じコラムでも、再三安倍批判を行っています」

 要は、ただただ現政権を貶めたかった彼女は、目先を変えようと新しい表現に挑戦。しかし、それがまったくハマらず、大失敗に終わったというワケなのだ。

 当の朝日は「ご意見として承りました」と述べるのみだが、元週刊朝日編集長の川村二郎氏が、

「一番の問題はこの人が政治部の次長だということ。若い記者の書いた文章を、こういう人が直して、同じような記者を作っていくかと思うと、恐ろしいね」

 とため息をつくように、これでは朝日の劣化は加速する一方─―。チリ紙より薄っぺらいコラムがいつまでも紙面に躍るようでは、朝日自らがいつ「お尻を拭く紙」となりさがってもちっとも不思議はないのである。