新聞は一切書かない東住吉放火冤罪「釈放男」が女児に許されざる暴行

国内 社会 週刊新潮 2015年11月26日雪待月増大号掲載

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 20年ぶりの釈放が叶った2人が姿を現すと、大メディアは沸きに沸いた。冤罪の恐怖をこぞって報じつつ、歓喜を共有しようと躍起になったのだ。が、背後に横たわる「事実」を報じたものは皆無。それは、まもなく正式に自由の身となるであろう2人の関係に、重い影を落としていた。

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 和歌山刑務所から青木恵子元被告(51)、そして大分刑務所から朴龍晧(ぼくたつひろ)元被告(49)が釈放されたのは、10月26日の午後だった。

 事件は、1995年7月に遡る。大阪市東住吉区の自宅で、青木元被告の長女(当時11=小6) が入浴していたところ、車庫で漏れたガソリンが風呂釜の種火に引火し、火災が発生。

「焼死した長女には、青木さんを受取人とする1500万円の死亡保険金が掛けられており、“保険金目当ての放火殺人”を疑われた彼女は、内縁関係にあった朴さんともども逮捕されてしまいます」(全国紙デスク)

 裁判では揃って無罪を主張したものの、06年に最高裁で無期懲役が確定。服役中だった09年、ともに再審請求し、12年3月には大阪地裁が再審開始を決定した。

 それから3年半――。大阪高裁は10月23日に地裁決定を支持し、検察側の即時抗告を棄却。刑の執行停止も決定した。続いて大阪高検が最高裁への特別抗告を断念したことで、再審公判では無罪が言い渡される見通しとなったのである。

「釈放後、青木さんは逮捕当時8歳だった長男と再会し、亡くなった長女の墓参にも赴いた。朴さんも実母と抱き合って喜んでいました」(同)

 婚姻関係にないとはいえ、筆舌に尽くし難い辛苦を分かち合った当人同士が、まずは対面を果たすのが通常であろう。にもかかわらず、それはいまだ実現していないという。

 刑の執行停止に伴い、両元被告は居住地を指定され、「海外渡航」「逃げ隠れ」「証拠隠滅行為」を禁ずるという条件が付けられたのだが、

「それは決して2人の対面を妨げるものではなく、両者の弁護士が同席すればクリアできること。実は、青木さんは取り調べ段階で知らされた、ある“事実”がずっと引っかかっており、朴さんに会おうという気持ちになれないままなのです」

 とは、両元被告の事情に詳しい関係者である。

 その“事実”は、朴元被告のしたためた書簡に記されていた。06年1月、彼は支援者らに宛て、拘置所から一通の手紙を投函している。そこでは、自らの無罪を主張しつつ、こう綴っていたのだ。

〈十年以上経っても、火事から子供を救助できずに死なせてしまった重い自責の念と性的虐待をした重い自責の念とが心に取り憑いていて、心が裂ける程激しく締め付けられます〉

〈平成七年九月十日、軟弱で臆病な僕は、その二重の自責の念に押し潰されて逃げてしまい、「心の自殺」=「虚偽の自白」の落し穴に嵌ったのです。全く愚かにも刑事の「否認したら死刑になる」の言葉を真に受けて信じ込み、それが怖くて堪らなかったのです。その結果、彼女(注・青木元被告)を不幸のドン底に落としてしまいました〉

 焼死した女児への許されざる行為が心の呵責となり、偽りの自白へと導いていったという理屈で、女児については、

〈本当に助けたかった(中略)熱くて中に飛び込めなかった自分が恨めしい。この命をあげてでも子供を生き返らせたい〉

 そう悔恨を綴っている。

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