日本人というだけでカリブのオタクに尊敬されて――風樹茂

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■オタク第一世代の憂鬱

 コスプレコンクール終了後、職場の同僚の従弟でカラカスに住んでいるフレディ・モーヤ(36歳、金融関係のシステムアナリスト)と落ち合い、ホットドッグ、ラーメンなどの売店が出ている庭の一角で話をきいた。同僚によると、彼はかなりのオタクだという。日本のゲームソフトや漫画を読むために、ひらがなはマスターしている。

 ――会場は盛況だけど、オタクとか日本文化に興味がある人はベネズエラ全体では大した数ではない? アニメは中国製と思っている人間も多いぐらいだから。

「いや、そんなことはないよ。ぼくらの世代は日本のアニメで育っているから、オタクの土壌がある。80年代のテレビの影響だよ。ラテンアメリカでは、ロボットフェスティバルと称してテレビで毎日、『マグネロボ ガ・キーン』、『鋼鉄ジーグ』、『SF西遊記スタージンガー』、『大空魔竜ガイキング』(日本ではいずれも70年代中盤~後半に放映)のどれかが放送されていたんだよ。ぼくは『ウルトラマン』、『月光仮面』も見ていた。すごく影響を受けたのは『キックの鬼』(実在したキックボクサー・沢村忠の物語)かな。本気でキックボクサーになろうと思ったんだ」

 私は月光仮面でうなった。私が小学校に上がる前に見たのはテレビの実写版で、内容はうろ覚えだ。アニメの月光仮面(1972年にNTV〔日本テレビ〕系列にて放映)があるとは、全く知らなかった。

「もっと、古い世代はファンタスマゴリコ(Fantasmagorico)を見ていたっていうよ」

 何? ファンタスマゴリコとは一体何モノだ? よくよく説明を聞くと、それは高笑いをする気味の悪い骸骨の主人公=黄金バットのことで、私は紙芝居の世界でしか知らない。アニメはこれもNTV系列で1967~68年にかけて放映されていたようだから、小学6年で野球少年だった私は別番組を見ていたのだろう。

 私がテレビで最初に見たアニメは、50年以上も前の白黒の「鉄腕アトム」。フレディも子供の頃に見ていたというが、それはカラーのリメーク版だ。

 想像するに、ベネズエラだけではなく、世界中の多くの国々で、何十年も遅れて、テレビでオリジナル版かリメーク版が放送されるので、30代半ばの人間は、私と同じようなアニメを見て育ち、しかもオタクとして成長すれば最近の作品にも詳しいわけだ。今の時代、どの分野でもそうだが、途中参入者には、過去と現在が一挙に押し寄せてくる。

 ――ベネズエラじゃ、いつごろからオタクが増えてきたのかな?

「オタクの層が広がったのは90年代半ばからで、2000年から大きなうねりとなった。やっぱり、インターネットのおかげだよ。その前、ぼくらはベータマックスなんかで、細々とビデオを貸し借りしていたからね。とはいえ、ネット環境が悪すぎてイライラするけど。あとゲームソフトを買うのも一苦労だ。ファイナルファンタジーの最新版(北米版)を買いたいけど、マイアミ経由で、届くのに2カ月もかかるんだよ。いっそ、秋葉原まで行って買いたいけど、それも難しい」

 彼は長い溜息をつく。ベネズエラ通貨の対ドル実勢価値は、ここ7年で、50分の1ほどになってしまった。一般のベネズエラ人には、日本旅行は高嶺の花。持ち出し外貨も最近上限2000ドルになった。彼の究極の夢は、日本人のお嫁さんをもらうことだというが……。

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