内縁夫の死去から7年! 孤独の中の「都はるみ」が完全引退!?

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“あなた変わりはないですか~♪”と、『北の宿から』を口ずさんでいる場合ではない。何しろ、都はるみ(67)のツアー公演の広告に躍ったのは、〈来年からちょっとコンサートをお休みいたします〉という唐突な休養宣言である。引退説まで取り沙汰されるなか、最愛のパートナーの死去から7年が経過した今、彼女の身に何が起きたのか。

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 その一報を受けて仰天したのは、彼女を扱ったノンフィクション『歌屋 都はるみ』の著者である有田芳生参院議員も同じだった。

「7月25日に事務所の方から電話があって、はるみさんが“来年いっぱいコンサートを休止する”と聞かされたんです。ただ、その理由を本人もきちんと語っていないそうで……。事が事だけに確認もできず気を揉んでいます」

 それからまもなく発表された今年のツアー情報には、有田氏の不安を煽るような文言が並んでいた。

 冒頭の休養宣言に加え、〈“歌屋”はるみの集大成〉〈最後の喝采〉〈ファイナルステージ2015〉と、このツアーを花道に表舞台から退くとしか思えない表現が続く。これに、長年のファンが敏感に反応したのは、彼女にとって“引退”の二文字が特別な響きを持つからに他ならない。

■全く声が出なかった

 ご記憶の方も多かろうが、彼女は過去に引退を宣言したことがあった。当時を知る芸能記者が振り返る。

「歌手として人気、実力共に絶頂を迎えていた84年、まだ36歳だった彼女は突如、“普通のオバサンになりたい”と言い放ち、歌手業を引退するのです。その理由は恋人の子供を産みたいという一念にありました」

 都はるみが選んだお相手は、彼女が契約していた日本コロムビアのディレクター、中村一好(かずよし)氏。彼に妻子がいることを承知した上での略奪愛であった。

「しばらくして彼女に子宮筋腫が見つかり、出産は断念せざるを得なくなりました。ただ、彼女の才能に惚れ込んでいた中村さんは、自らが代表となって個人事務所を設立します。そして、内縁関係のまま、実質的なプロデューサーとして彼女を再ブレイクに導いた。その後も人気は衰えず、現役では北島三郎、氷川きよしと並び、5000人規模のホールを満席にできる数少ない演歌歌手のひとりです」(同)

 しかし、彼女の復帰を公私に亘って支えた中村氏は、2008年4月に自ら命を絶つ。彼の古い友人は、

「イッコウさんと一心同体で歩んできたはるみさんが受けた衝撃は、我々には想像がつかないほど大きかった。その直前に旧知のスタッフも亡くなったので、本当に孤独だったと思います。それから早7年が経って、ようやく立ち直ったと思っていたのですが……」

 そんな矢先に降って湧いたのが今回の騒動だった。

 所属事務所に質すと、

「来年はコンサートを開かないというだけで、引退ではありません。一昨年のデビュー50周年コンサートの直前に喉を痛めて緊急入院し、一時は全く声が出なかった。今回は本人の意志でリフレッシュ期間を頂くことにしたのです」

 それでも懸念は残る。

「歌一本で生きてきた彼女がコンサートを開かないというのは歌手生命を左右する決断。全盛期と比べて声が出ていないのは事実だし、本人の覚悟は決まっているのではないか」(先の記者)

 たとえ引退の花道を拒もうと、2度目の復帰には茨の道が待ち受けている。

「ワイド特集 女たちは荒野をめざす」より

週刊新潮 2015年8月13・20日夏季特大号掲載

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